遠い森 遠い聲 ........語り部・ストーリーテラー lucaのことのは
語り部は いにしえを語り継ぎ いまを読み解き あしたを予言する。騙りかも!?内容はご自身の手で検証してください。
 



 

きのうの語りの会はスピリチュアルな おはなしでした。

東日本大震災 石巻市立大川小学校 3月11日 ちょうど帰りの時間 あの大地震が起きました。そのあと 子どもたちは震えながら校庭に待機していました。先生方はお迎えに来た親へ子どもをわたしたり どこへ逃げるか決めかねて議論をしていました。たまりかねた 高学年の男子が 先生 裏山に逃げっぺ ここにいたら死ぬ と泣きながら訴えました。そのときには地震が起きて50分も経過していたのです。やっと避難の行列が向かったのは裏山ではなく 川の方 橋のたもとの三角地帯 標高7M..... わずか二分後 子どもたちの列に津波がどどー-と襲い掛かります。裏山に駆け上れたのはわずか4名 74名の子どもたちが亡くなりました。

幾日か たって ひとりのおとうさんが 学校に行きました。息子の形見がないかとさがしにきたのです。おそるおそる 教室にはいると泥にまみれた机や椅子や勉強道具が散乱しゴミのようにからまっていました。.... すると ピーピー 微かな音がしました。おとうさんは不思議に思い 手を泥だらけにしながら 机をどかし椅子をよけ ピーピー 鳴っているのがなにか 夢中でさがしました。それは カバン 見覚えのあるカバン 息子のカバンでした。鳴っていたのは 持たせていたポケットベルだったのです。おとうさんは カバンをつよく胸に抱きしめ うづくまり 泣きました。待っていたんだな.....  「遅くなってごめんな いっしょに家に帰ろうな...」おとうさんはピーピーとか細い声をあげるカバンをだきかかえ 学校をあとにしました。家について 「ただいま 帰ったよ」と玄関をあけたそのとき ピーピーという音が止まりました。

このおはなしは 3.11 のあと ネットか本で読みました。実話として書いてあったと思います。細かいところは記憶違いもあると思います。

 

 

ほかにいくつか おはなしをしました。わたしが 語るのは 降ってくるものがたりのほかは たいてい 事実 ほんとうにあったおはなしです。自分が経験したこと 友人や家族が経験したこと 事実として記された本 たとえば 3.11については 霊性の震災学という本で タクシー運転手の証言を聞き書きし記録しています。多くの運転手さんが 乗せたお客が消えた....という体験を語っています。行先を訊いて あれあの町は流されたはずだ と思い 目的地に着くと 後部座席のお客はいない.... そういえば 8月なのに白いコートを着た娘さんだった..... どんなにか家に帰りたかったことでしょう。

あの世は この世の となり 突然 裂け目ができて あの世につながったり とんでもない異世界にゆくこともあります。わたしたちが生きているのは固く閉ざされた世界ではなく 不定形のやわやわゆらゆらした世界 なにかの弾みで どこへ放り出されるかわからない 不可思議な世界なのです。

そうでした 黒い舟 というものがたりも語りました。阿刀田さんの小説 と 映画評論家の淀川長治さんのおはなしから インスパイヤされたものがたり..... 淀川さんは 実は ゲイでした。おかあさんをとてもたいせつにしていました。そのおかあさんが具合がわるくなり 明日をも知れぬ というある晩 おかあさんを看病していた淀川さんは 目を疑います。部屋の四隅にそれぞれひとりずつ 黒装束の男が立っている 死神だ! と淀川さんは直観します。四つの黒い影は ススッ ススッ と音もたてずに おかあさんの布団にちかづいてくる 布団の四隅に四人の男が片膝ついた.... おかあさんが 連れていかれる! 淀川さんは思わず 叫びました。お願いです。どうかあと三か月待ってください。わたしの三か月分の命をおかあさんの命の代わりにさしあげます。

黒い影は スーッと 溶けるように消えました。それから 淀川さんはおかあさんに精一杯親孝行をしました。おかあさんが亡くなったのは ちょうど三か月後のことでした。

 


 シャンソンの話はまた あとにしましょう。



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