写真はメキシコシティ近郊のテぺヤクの丘に建つグアダルーペ寺院。1531年12月9日にインディオの人の前に聖母が現れ、この地に聖堂を建立するように告げたという。以後、メキシコの人々の心に深く根差している。
2018年4月4日にBS2でマーロンブランド主演の映画『革命児サパタ』(1952年)を観ていたら、トップシーンでいきなりグアダルーペのマリアの絵を描いた旗を掲げた民衆が畑の中を行進する映像から始まっての銃撃戦で、くぎ付けになった。調べるとグアダルーペのマリアはメキシコ独立革命のシンボルともなっていた。サパタの軍はこの像を帽子につけていたそうだ。
【コロンブスとグアダルーペのマリア】
グアダルーペのマリアの考察ついでに、もう一つ、グアダルーペで調べると、出てくるのが島の名前です。
1492年、新大陸を「発見」したコロンブスはその後、同大陸への4度にわたる航海で、カリブ海に浮かぶいくつもの島に上陸します。その2度目の航海中の1943年11月に上陸したカリブ海の島々の一つにグアダルーペと名付けました。現在はフランス領で、グアドループと呼ばれていますが、綴りは同じ「Guadeloupe」。
コロンブスはたくさんの「発見」した島に名前を付けていますが、その多くは宗教的な名前でした。この島の名前も、まさにその流れにあります。グアダルーペのマリアは航海の神様でもあったのです。
ローマのグレゴリウス一世の命を受けて、セビリヤ出身のイシドロがローマからセビリアへ像を移送するとき大嵐に襲われました。その時、この像の庇護によって救われたという伝説があって、以来、船乗りの信仰が篤い聖像となりました。
コロンブスも「新大陸」を発見した行きは幸運に恵まれて順風満帆でしたが、帰りの航海中の1493年2月13日夜に、これまでにない大嵐に見舞われ、最後を覚悟するほどの状況に陥りました。その時にまず祈ったのがグアダルーペのマリアです。
航海から帰ったら
「(コロンブスが)この聖母マリアへ巡礼に赴いて、聖母に5リプラの大ろうそくを献じる者をくじで選び出すよう、そしてその選ばれし者が巡礼の誓を果たせるようにと一同が祈願することを命じた。」≪林屋永吉訳『コロンブス航海誌』(岩波文庫)≫
そして、くじを引き当てたのがコロンブスでした。
第一回の航海から帰った半年後に出航した第2回目の航海において、はじめて現地の人を見つけた島に「サンタ・マリア・デ・グアタルーペ」と名付けたのです。1493年11月4日のことでした。
中国の媽祖といい、航海の神様は女性が多いですね。おそらく船乗りが男の世界ということの裏返しなのでしょう。
参考資料
林屋永吉訳『コロンブス航海誌』(岩波文庫)1977年
青木康征著『コロンブス 大航海時代の起業家』(中公新書)1989年
グアドループ - Wikipedia
https://world-note.com/christopher-columbus/
グアダルーペ (スペイン) - Wikipedia
(「サンイシドロ教会」編 おわり)
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