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明の楊慎の酒3 酒を漉す

2017-01-21 14:42:13 | Weblog
写真は大理の名刹・弘聖寺(旧名・王舎寺)塔。楊慎らはこれらの寺詣でをしつつ、酒と詩作に明けるくれる旅をした。本文の宝華寺とともに上記の寺も詣でている。
上記は楊慎が訪れる300年以上前の大理国時期(938-1253)の塔で、今はなくなってしまった寺院は明代に建設されていた。にぎわっていたのだろう。

【「巾」が「中」に】
楊慎が雲南に流されて6年目の旧暦2月。春の初めに雲南は大理の友人・李元陽[字は中谿1490年―1580年]の案内で大理の點蒼山のお寺や名所を訪ねました。嘉靖9年(1530年)のことです。

「名山巌洞泉石古蹟」の中の一篇「遊點蒼山記」は楊慎が記した気ままな旅の記録です。40日という長期の旅のうちの8日ほどを記したものですが、名所に行っては「酌酒」をする様子が楽しげに綴られています。

沿溪而西過獨木橋、升寶華寺。其地多花卉、紅紫膠轕乃移枕簟以息。中谿弟仲春、叔期、季和預煮罇酒於叢薄巾、忽從滴乳巖傍出見、不覺、驚喜拍手、大笑因引滿盡醉。
(『中国西南地理史料叢刊 第24冊、p80』及び文字解釈は「漢籍リポジトリ」京都大学人文科学研究所附属東アジア人文情報学研究センターより)

「渓谷にそって西に進んで獨木橋を過ぎると、宝華寺に着く。多くの花が赤や紫色に入り乱れて咲いているので、そこに枕を移して休むこととする。

中谿の弟たちがあらかじめ酒樽ごと酒を煮て(あたため)、(コーヒーフィルターのように先のすぼまった)薄い頭巾で入れると、たちまち(漉されて)しずくが乳の腫れものから出るようにあふれ出るのを見て、思わず驚喜して手を叩き、大いに笑って杯に酒をなみなみと盛って、ついに酔う。」

私が薄い頭巾と訳した箇所は、いくつか記された原文が不鮮明なため、「薄中」と印字する書籍が主流となっています。が、今回は明の万暦4年刻《天下名山諸勝一覧記》の影印本を見たところ、明らかに「中」ではなく「巾」字だったので、その文字で解釈しました。

おそらく、「巾」では読み解けない、と思って「中」の字にしたのでしょうが、じつは頭巾と酒の関係は、中国の六朝時代から記されているのです。
(つづく)
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