![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/31/9dc38747b386600c556a7d71fd49816f.jpg)
写真は市中心部の盤龍江(2010年夏撮影。)9年前は生活排水が入り込み、夏ともなると相当な臭いを発していた川だが、2010年には、川底が臨めるまでに水質が改善していた。まこものような藻が生え、水質改善に植物がだいぶ、貢献していた。ゴミ拾いの船もしょっちゅう往来していた。じつはこの川は市中心部の流れるところだけが、非常な清流になっていて、不思議なことにその上流と、下流はまたもや生活排水の流れ込む、悲しい川になっていた・・。つまり、見た目だけの「清流」という不思議な現象が生じていた。
【11月は胃腸系の「かぜ」の国に】
11月ともなると、朝方には外気が0度近くになり、昆明は通称「春城」、という言葉を鵜呑みにしていたため、なんの準備もないまま、より一層体調的には不安な状況に突入。
わが家に遊びにきた雲南大学に留学している20代前半の日本女性も、
「この間、南の農村調査から昆明に帰ったら、体調を崩しちゃって。」とポツリ。
聞けば、戻ってみると昆明は乾期のただ中。日本にはない湿気のなさと、暖かな太陽の光に惑わされて、気づかないうちに体の芯の熱を奪う高原の冷たい風が、人々の風邪をこじらせていき、昆明は風邪っぴき天国になっていた、と。
そんななか、彼女はあまりの胃腸の痛みと風邪の諸症状に耐えきれず、地元の大学生の案内で昆明の大病院に行き、何時間も待った後に点滴を打って、持ち直した、と言っておりました。風邪で点滴、とは、よほど症状が重かったのだろうと、そのときは思いました。
ちなみに、この時期、昆明は寒さのために、激辛火鍋店がおおはやりになり、胃腸を壊した人が胃腸科に駆け込んでいる、と新聞にも掲載されるほど、ぐんと気候が変動するのです。
娘もご多分にもれず、風邪に。
熱と咳がひどいので幼稚園を休ませると、家の中では寝ることもなく元気に遊んでいるのですが、それが3日も続くと、親としては不安になります。その頃には日本からの抗生物質も切れてしまったので、11月11日にとうとう、外国人窓口のある病院で念のため、診てもらうことにしました。
昆明市第一人民病院(http://www.kmrmyy.com/)は市中心部を流れる盤龍江のほとりに建つ、化学系の研究室のような大きくて白い、簡素で古びた建物でした。とくに植栽もなく、日差しだけはたっぷりと降り注いでいます。
拓東路という繁華街を貫く道路から一歩入った巡津街通りは車通りも少なく、静かなところで、病院の裏側には赤十字病院も併設されています。
入り口に入って、受付でパスポートを見せ、症状を話すと、何科かに割り振られて、木札をもらい、その番号のある場所に行きました。
その病院はくだんの才媛の行った一般の病院ではなく、日本の損保会社が提携する外国人窓口のある大病院だったからか、待合室は閑散としていて、すぐ先生に診てもらうことができました。
ただ、外国人窓口があるといっても昆明らしく、医者から受付の人まで日本語も英語もまったく通じません。(今も状況は同じようです。) (つづく)
【11月は胃腸系の「かぜ」の国に】
11月ともなると、朝方には外気が0度近くになり、昆明は通称「春城」、という言葉を鵜呑みにしていたため、なんの準備もないまま、より一層体調的には不安な状況に突入。
わが家に遊びにきた雲南大学に留学している20代前半の日本女性も、
「この間、南の農村調査から昆明に帰ったら、体調を崩しちゃって。」とポツリ。
聞けば、戻ってみると昆明は乾期のただ中。日本にはない湿気のなさと、暖かな太陽の光に惑わされて、気づかないうちに体の芯の熱を奪う高原の冷たい風が、人々の風邪をこじらせていき、昆明は風邪っぴき天国になっていた、と。
そんななか、彼女はあまりの胃腸の痛みと風邪の諸症状に耐えきれず、地元の大学生の案内で昆明の大病院に行き、何時間も待った後に点滴を打って、持ち直した、と言っておりました。風邪で点滴、とは、よほど症状が重かったのだろうと、そのときは思いました。
ちなみに、この時期、昆明は寒さのために、激辛火鍋店がおおはやりになり、胃腸を壊した人が胃腸科に駆け込んでいる、と新聞にも掲載されるほど、ぐんと気候が変動するのです。
娘もご多分にもれず、風邪に。
熱と咳がひどいので幼稚園を休ませると、家の中では寝ることもなく元気に遊んでいるのですが、それが3日も続くと、親としては不安になります。その頃には日本からの抗生物質も切れてしまったので、11月11日にとうとう、外国人窓口のある病院で念のため、診てもらうことにしました。
昆明市第一人民病院(http://www.kmrmyy.com/)は市中心部を流れる盤龍江のほとりに建つ、化学系の研究室のような大きくて白い、簡素で古びた建物でした。とくに植栽もなく、日差しだけはたっぷりと降り注いでいます。
拓東路という繁華街を貫く道路から一歩入った巡津街通りは車通りも少なく、静かなところで、病院の裏側には赤十字病院も併設されています。
入り口に入って、受付でパスポートを見せ、症状を話すと、何科かに割り振られて、木札をもらい、その番号のある場所に行きました。
その病院はくだんの才媛の行った一般の病院ではなく、日本の損保会社が提携する外国人窓口のある大病院だったからか、待合室は閑散としていて、すぐ先生に診てもらうことができました。
ただ、外国人窓口があるといっても昆明らしく、医者から受付の人まで日本語も英語もまったく通じません。(今も状況は同じようです。) (つづく)
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