香港の街角にて。ねこがいっぱいいるが、いすれも美ねこ。香港はさまざまな由来のお菓子であふれている。台湾や香港で、観光客が撮った「龍髭糖」の映像が作り方がおもしろいために、いっぱい見つかる。
【龍のひげ飴】
いろいろと調べていると、雲南では絲窩糖と呼ばれ、かつて明末清初の文人が窩絲糖と呼んだお菓子とまったく同じものが「龍髭糖」との名称で香港や北京周辺で売られていることがわかりました。
台湾など華僑系の文化圏ではむしろポピュラーなのがこの名称です。
「龍髭糖」(龍のひげ飴)のウィキペディアによると、新疆自治区の特産品で、明の正徳帝(1505年~1521年)の時代に広まったという説と清の雍正帝(1722年~1735年)に広められたという説があるということです。
正徳帝は明の11代皇帝で明国を傾けるほど遊興にふけった皇帝。以後、国は疲弊の一途をたどり、ついに滅亡します。
彼には馬氏という側室がいました。
延綏(陝西省楡林市)で軍政についていた馬昂の妹だった女性なので、回族の人で彼女の好んだお菓子だった、とも考えられます。
(つづく)
【龍のひげ飴】
いろいろと調べていると、雲南では絲窩糖と呼ばれ、かつて明末清初の文人が窩絲糖と呼んだお菓子とまったく同じものが「龍髭糖」との名称で香港や北京周辺で売られていることがわかりました。
台湾など華僑系の文化圏ではむしろポピュラーなのがこの名称です。
「龍髭糖」(龍のひげ飴)のウィキペディアによると、新疆自治区の特産品で、明の正徳帝(1505年~1521年)の時代に広まったという説と清の雍正帝(1722年~1735年)に広められたという説があるということです。
正徳帝は明の11代皇帝で明国を傾けるほど遊興にふけった皇帝。以後、国は疲弊の一途をたどり、ついに滅亡します。
彼には馬氏という側室がいました。
延綏(陝西省楡林市)で軍政についていた馬昂の妹だった女性なので、回族の人で彼女の好んだお菓子だった、とも考えられます。
(つづく)
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