株に出会う

独自開発のテクニカル指標で株式市場の先行きを読む!

ベトナム・カンボジアの印象

2008-03-02 06:48:29 | 折々の随想
いろいろと所用があり、2月中旬に帰国した、ベトナムとカンボジアの印象記のご紹介が遅れました。

もうすっかり旅行の詳細は忘却しつつありますが、実際に現地を訪れることでしか感じ取れない、筆者自身の印象記を綴ってみます。

まず、カンボジアは予想通りに貧しい国でした。それは、ポルポト政権時代に200万人に上る知識人(反対勢力の政治家はもちろん、教師や医師等の)を虐殺したことで加速されました。フランスで教育を受けたポルポトによる、このような虐殺が何故起こったのか?ある種のイデオロギー(クメール・ルージュ)が行き着いた結末は、ナチスのドイツと同様な、思想的な背景があったようです。

国は貧しいのに、シアヌーク殿下を中心とする王族は、プノンペンに宮殿などを構えるのはもちろん、あちこちに別荘を持っての優雅な暮らしです。しかし、驚くなかれ、アンコールワットなどの世界遺産の遺跡は、民間の会社がその権益を握っており、月収2万円くらいの貧しい国での、アンコールワットの共通入場券が5千円もしますが、その収入は国家には入らずに、その民間会社に入っているとのこと。これは公に認められた賄賂のようなものでしょう。ビザで20ドル、空港税が25ドルもとられます。まさか、これらも私企業に行っているのではないでしょうね??

長く続いた戦乱のため、アンコールワットの近くには、未だに、世界で最悪の「地雷原」が拡がっております。地雷を踏みつけて片腕や足をなくした人が大勢、観光地で物乞いをしておりました。子供達も、母親が物陰でこっそりと見守る中、観光客に物乞いをしておりました。こんな生活では学校にも行けないのですが、国が用意してる収容施設(ここからは学校に行ける)に入ると、物乞い収入(外人観光客から1日に20-30ドルも与えられることがあるようです。)がなくなるので、そうした施設に入りたがらないようです。

それでも、プノンペンの中心地ではコンドーミアムが建設されており、約2000万円もするそうです。ガイドさんの月収が2万円の国です。一体誰が買うのか?今、不動産屋が一番景気が良いそうです。ここにもいつか来た道がありました。

対するベトナムは、何と言っても若者の国です。戦後生まれ(ベトナム戦争終結の1975年以降)の人口が半分を占める若い国です。写真にあるように、若者がオートバイで町中を、まるで蟻の大群のように走り回る姿は圧巻でした。

日本企業も多く進出しており、その勤勉さと手先の器用さ、そして日本人のような気だての良さで、中国の人件費の高騰やら、人材管理の難しさから、中国からベトナムにシフトしている企業が増えているそうです。

しかし、ご多分に漏れず経済成長率は高いものの、インフレもそれに劣らず昂進しております。14%の成長率ですが、インフレ率も10%に達しております。しかし、まだまだ物価は安い水準です。

例えば西欧でのトイレチップは日本円で50円程度が普通ですが、ベトナムでは3円程度でした。

いくつかの写真をご紹介します。



これがカンボジアの典型的な高床式住居です。なぜ高床式かですが、毒蛇やら猛獣の襲撃を避けるためだそうです。昔は野生の象までいたそうです。しかし、階段を伝って毒蛇が進入して来るのではと、人ごとながらチョイと心配。



最初の写真は、カンボジアの孤児を収容する宗教施設の一部ですが、そこにいた女の子です。持っていたチューインガムをあげたら、このポーズをしてくれました。チョイとあさっての方向を向いているのが残念ですけれど。観光地にいる浮浪児と違い、宗教施設にいる子供は物乞いをしません。逆に観光客にこうして挨拶をしてくれました。そうすると何かあげたくなるのが人情というもの。



ホーチミン(昔のサイゴン)の大統領府にいた若者達です。女性はアオザイを着ております。男2人はどういう訳か、30度にもなる暑い中、ネクタイ姿ですね。ちなみに、一番右に写っている女性は筆者の家人ではありません。同じツアーに参加した河口湖の女性です。多分、ご亭主にデジカメで写してもらっているところでしょう。アオザイを着れば似合いそうなお方ですね。



これはアンコールトムの仏像群の1つ。アンコールワットより、トムの方が仏像の遺跡としては見所があります。その中でも、この仏像は、往年の京歌子を彷彿とさせると、現地を訪れる日本人の間で評判のようです。現地人や欧米人は、当然ながら無反応。そう言われれば口元が似ております。



有名なハロン湾に住む水上生活者の筏です。ハロン湾クルーズは確かに鏡面のような内海を3時間ほど動き回るのですが、似たような島々が続いているだけであり、すぐに退屈します。水上生活者の物売りが、観光船の窓を勝手に開けて何やらモノを差し出します。(不思議なことに船内から窓は開きませんでした。)家人はバナナを1ドルで買いましたが、渋くてとても食べられたものではなかったようです。



最後は、ハノイのオートバイ軍団です。ほとんどが若者です。ホンダのスーパーカブのようなオートバイに、3人乗り、4人乗りは当たり前。ホーチミンで見たときは、最高で7人乗りの家族がおりました。どうやって乗るのか?想像がつかないでしょう。小さな子供はよく見ないとどこにいるのか分かりませんでした。よく見るとぺっちゃんこになって体と体の間に挟まっておりました。ところで、あちらでは免許が不要です。乗車定員もありません。お酒を飲んで運転してもOKのようです。バイクタクシーも自由自在。町中では自転車タクシーが外人客を乗せて走り回っておりました。

以上、日本の戦後の闇市の光景(筆者は記憶にありませんが。)を思い起こさせるような、ベトナム・カンボジアでした。それなりに混沌とした光景は異国の風情もあり面白い旅でした。料理は期待したほどの味ではありませんでしたが、なかなかにフランス風ベトナム料理などは乙なものでした。両国とも、米ドルなら喜んで受け取り、釣り銭を現地通貨でよこすのも、かつての戦乱の傷跡を見せているようで不思議な気持ちでした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« サブプライムの損失はどこま... | トップ | 明日のモニタリング銘柄(3... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

折々の随想」カテゴリの最新記事