父の誕生日、大正14年7月21日、83歳を迎えます。実家の近くの特別養護老人ホーム、窓からは米山山がよくみえます。記憶がどんな風に痴呆が出ている父の頭を駆け巡っているのか、話を聞きたいものです。
小学生の頃、秋の頃、学校から帰ってくると母と二人で堆肥つくりをしている姿を今も思い出します。切り分けた藁を二人で四角い木枠の中に並べて踏み鳴らし水をかけ積み上げていきます。
稲刈りもよく手伝わされました。稲をまるける技を結局最後までうまくいかなかったように思います。はさかけをした翌日の朝、落ち穂ひろいに行くのが学校に行く前の仕事でした。
小学校の卒業式の謝恩会で、隣で父が大きな声で「仰げば尊し」を歌っていたことを良く覚えています。実はちょっと恥ずかしかった記憶です。長男が卒業、ロシア帰りの父は嬉しかったのだと思います。
その父も、今は施設で生活。父がよく言っていました。私にとっての祖父、父にとってはお父さん、寝たきりが続きました。「人間は年をとると子供になるんだ」といって、祖父のわがままを聞いていました。
その父は、今、どんな思いであろうか。
小学生の頃、秋の頃、学校から帰ってくると母と二人で堆肥つくりをしている姿を今も思い出します。切り分けた藁を二人で四角い木枠の中に並べて踏み鳴らし水をかけ積み上げていきます。
稲刈りもよく手伝わされました。稲をまるける技を結局最後までうまくいかなかったように思います。はさかけをした翌日の朝、落ち穂ひろいに行くのが学校に行く前の仕事でした。
小学校の卒業式の謝恩会で、隣で父が大きな声で「仰げば尊し」を歌っていたことを良く覚えています。実はちょっと恥ずかしかった記憶です。長男が卒業、ロシア帰りの父は嬉しかったのだと思います。
その父も、今は施設で生活。父がよく言っていました。私にとっての祖父、父にとってはお父さん、寝たきりが続きました。「人間は年をとると子供になるんだ」といって、祖父のわがままを聞いていました。
その父は、今、どんな思いであろうか。