西山厚 「仏像に会うー53の仏像の写真と物語 」読了
著者は、『半蔵門ミュージアム館長、帝塚山大学客員教授、奈良国立博物館名誉館員。徳島県鳴門市生まれの伊勢育ち。京都大 学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館で学芸部長として「女性と仏教」など数々の特別展を企画。』というような人だそうだ。
著者が出会ってきた仏像の中で個人的にお気に入りの仏像について由来や見どころを写真入りで解説している。
「見る」ではなく、「会う」と書いているところがミソであるように思う。仏さまというのは見るものではなく出会うものなのだそうである。
記憶力がまったくなくて、阿弥陀如来様の脇侍がどんな名前の菩薩様だったか、釈迦如来様の脇侍がどんな名前の菩薩様だったか、八部衆、明王、天の名前、そんなお名前を記憶にとどめることがまったくできない。
話はまったく変わるが、人の頭の良し悪しには、脳の中にあるグリア細胞の数というものが鍵を握っているらしいことがわかってきたそうだ。
この細胞は、脳の神経細胞の周りにたくさん存在していて、脳の中の信号の伝達速度を速めたり、記憶力についても影響を及ぼしているそうだ。アインシュタインの脳には一般の人の1.7倍のグリア細胞が存在したということがわかっているらしい。
だから、僕の脳の中にはおそらく一般の人の半分くらいのグリア細胞しか存在していないのだろうなと思う。みうらじゅんやいとうせいこうのテレビ番組や著作を見たり読んだりしていると、この人たちの記憶力と理解力に感嘆してこれだけの知識と蘊蓄がすらすら出てきたらそれは仏像を見ていても確かに対話をしている感が十分実感できるのだろうなと思うのである。
なので、ひょっとしなくても、僕の場合、恋焦がれはするものの仏様の方から拒否されているということになるのだと思う。だからだろうか、たまに博物館なんかで拝見しても、どうもその美しさというものが実感することが難しい。こういった本や写真集の画像というのは光線の当て方や画角が計算されていて、仏様にまつわる話も解説されているので親近感や出会ったという実感が持てるのだと思っていたけれども、それが記憶力と理解力の欠如によるものなのだとなってしまっては、僕には仏様の救いというものを願っても無理な話なのかもしれない。
実物を前にしても、ただ佇むだけなのである・・。
少しだけ53体の仏様の中でこれは、と思った仏様について書いておきたいと思う。
おひとり目は、興福寺のあの有名な阿修羅像をはじめとする八部衆だ。
元は西金堂に祀られていたという。西金堂は聖武天皇の妃である光明皇后が母の一周忌にその供養のために建立された。光明皇后は母が亡くなる4年4か月前に1歳になる前の子供を亡くしている。
八部衆の姿はその子供の成長を重ね合わせるような容姿であるという。
沙羯羅は生きていれば建立当時の6歳の頃、五部浄は11歳頃、阿修羅は10代後半、迦楼羅は母親に手をつながれた子供のような顔をしているように見えるのだ。
おふたり目は、唐招提寺の鑑真和上像だ。鑑真和上像は和上の死を予感した弟子たちが、師が亡くなる直前に造ったという。脱活乾漆造であるが、ヘラを使わずに手で漆が塗られている。また、顔の部分には普通は使いにくい麻布が使われているが、それは鑑真和上の法衣が使われている可能性がある。それは、小物を挟まずに少しでも和上に近づきたいという思いであったかと著者は考える。
陰影のあるその姿は厳しくもあり優しくもあるように見える。
三人目は、中宮寺の半跏思惟像。
如意輪観音として信仰されてきたが弥勒菩薩であろうというのが著者の見解。かすかな微笑としなやかな指先のお姿は聖徳太子が亡き母の供養のために作らせたと言われている。
三体の像に共通するのはある人の思いが強烈に込められているということだろうか。もちろん、それを刻んだのは別のひとだろうが、その人の思いが刻むひとに乗り移るのか、それとも、思いがこもった像は造られた後にその姿をその人の思いに合わせて変化するものなのだろうかと思いをはせるのである。
著者は、『半蔵門ミュージアム館長、帝塚山大学客員教授、奈良国立博物館名誉館員。徳島県鳴門市生まれの伊勢育ち。京都大 学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館で学芸部長として「女性と仏教」など数々の特別展を企画。』というような人だそうだ。
著者が出会ってきた仏像の中で個人的にお気に入りの仏像について由来や見どころを写真入りで解説している。
「見る」ではなく、「会う」と書いているところがミソであるように思う。仏さまというのは見るものではなく出会うものなのだそうである。
記憶力がまったくなくて、阿弥陀如来様の脇侍がどんな名前の菩薩様だったか、釈迦如来様の脇侍がどんな名前の菩薩様だったか、八部衆、明王、天の名前、そんなお名前を記憶にとどめることがまったくできない。
話はまったく変わるが、人の頭の良し悪しには、脳の中にあるグリア細胞の数というものが鍵を握っているらしいことがわかってきたそうだ。
この細胞は、脳の神経細胞の周りにたくさん存在していて、脳の中の信号の伝達速度を速めたり、記憶力についても影響を及ぼしているそうだ。アインシュタインの脳には一般の人の1.7倍のグリア細胞が存在したということがわかっているらしい。
だから、僕の脳の中にはおそらく一般の人の半分くらいのグリア細胞しか存在していないのだろうなと思う。みうらじゅんやいとうせいこうのテレビ番組や著作を見たり読んだりしていると、この人たちの記憶力と理解力に感嘆してこれだけの知識と蘊蓄がすらすら出てきたらそれは仏像を見ていても確かに対話をしている感が十分実感できるのだろうなと思うのである。
なので、ひょっとしなくても、僕の場合、恋焦がれはするものの仏様の方から拒否されているということになるのだと思う。だからだろうか、たまに博物館なんかで拝見しても、どうもその美しさというものが実感することが難しい。こういった本や写真集の画像というのは光線の当て方や画角が計算されていて、仏様にまつわる話も解説されているので親近感や出会ったという実感が持てるのだと思っていたけれども、それが記憶力と理解力の欠如によるものなのだとなってしまっては、僕には仏様の救いというものを願っても無理な話なのかもしれない。
実物を前にしても、ただ佇むだけなのである・・。
少しだけ53体の仏様の中でこれは、と思った仏様について書いておきたいと思う。
おひとり目は、興福寺のあの有名な阿修羅像をはじめとする八部衆だ。
元は西金堂に祀られていたという。西金堂は聖武天皇の妃である光明皇后が母の一周忌にその供養のために建立された。光明皇后は母が亡くなる4年4か月前に1歳になる前の子供を亡くしている。
八部衆の姿はその子供の成長を重ね合わせるような容姿であるという。
沙羯羅は生きていれば建立当時の6歳の頃、五部浄は11歳頃、阿修羅は10代後半、迦楼羅は母親に手をつながれた子供のような顔をしているように見えるのだ。
おふたり目は、唐招提寺の鑑真和上像だ。鑑真和上像は和上の死を予感した弟子たちが、師が亡くなる直前に造ったという。脱活乾漆造であるが、ヘラを使わずに手で漆が塗られている。また、顔の部分には普通は使いにくい麻布が使われているが、それは鑑真和上の法衣が使われている可能性がある。それは、小物を挟まずに少しでも和上に近づきたいという思いであったかと著者は考える。
陰影のあるその姿は厳しくもあり優しくもあるように見える。
三人目は、中宮寺の半跏思惟像。
如意輪観音として信仰されてきたが弥勒菩薩であろうというのが著者の見解。かすかな微笑としなやかな指先のお姿は聖徳太子が亡き母の供養のために作らせたと言われている。
三体の像に共通するのはある人の思いが強烈に込められているということだろうか。もちろん、それを刻んだのは別のひとだろうが、その人の思いが刻むひとに乗り移るのか、それとも、思いがこもった像は造られた後にその姿をその人の思いに合わせて変化するものなのだろうかと思いをはせるのである。