イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「縄文の列島文化」読了

2021年07月17日 | 2021読書
岡村道雄 「縄文の列島文化」読了

縄文時代の豊かな生活について、もっと知ってみようじゃないかと思って読み始めた。
著者は、「各地の文化、集団、民族が担っていた地域文化圏が文化の基本単位である。」という考えを基本にして、縄文時代にも見られた地域ごとの生活様式、文化などを類推している。

よく知られているように、日本に人類がやってきたルートにはいくつかある。
日本に人類が現れたのは、朝鮮海峡を渡ってきた人類が最初であった。これが約4万年前。
3.5万年前には南西諸島へも人類が渡ってきたけれども、北上した形跡はない。その間、2.5万年前にロシア経由(確たる証拠は出ていないが)で、そして、3万年前には、旧石器時代後期に北海道半島部、古本州、南西諸島の文化圏が出来上がっていた。

この人たちがおそらくはどこかから知恵を得て土器を作り始める。それが縄文時代の始まりである。縄文式土器というのはそういったものの系統がひとつだけあるのだと思っていたけれども、著者のいうとおり、地域ごとにいろいろなデザインがあるそうだ。そういった違いが文化や風習となってその地域独自のものとなっていくのだが、衣食住や葬制、信仰などの風習や文化はそれ以来昭和30年ころまであまり変化しなかったそうだ。

すべての事柄においてそうなのだろうけれど、よほどのことがないかぎり境界線というものは存在しない。旧石器時代から縄文時代の境目、縄文時代から弥生時代の境目、それ以降の各時代の境目というのは、その時代の名前を学者が勝手に決めたのだから、”ここから”と言われて確かに便宜上だけでしかないような気がする。
生活様式が多少変わってもそのベースになる衣食住や心の持ちようというのは境目がなく続いてきたということだ。
しかし、それだけ長く続いた風習を一気に打ち壊してしまった高度経済成長というのは一体何だったのだろう。これについては最後に考えてみたい。

その前に、縄文時代の人たちは何を食べていたかということを拾い出して書いてみる。やっぱり食べることに一番興味がいくのだ。
もうひとつ前に、住居や生活環境についても書いておこう。
住居は藁ぶき屋根のイメージがあるけれども、そこに土の屋根が主流だったらしい。これは火に強いというメリットがあったという。水場には板を張り体が沈み込まないようになっていて、丸木舟の残骸なども利用された。あとから出てくる栗の木は水に強く、こういった場所や丸木舟の材料になった。栗の木は燃料にもなったというのでありとあらゆるこころで活用されていたことになる。
この本では、宮城県の宮戸島遺跡の発掘調査から想像されている。調査は、貝塚から掘り出されたものを水洗いして篩にかけてから骨や残骸をしらべるという方法をとったということだ。なんも地道な調査のようだ。
この時代、7~8千年前、かなり温暖化が進み、東北北海道地域は日本でも一番豊かな場所であったとのことなのでまあ、こんなにいろいろなものを食べていたのかと思うほどの食材が出てくる。
春。
シカ、イノシシ
ワラビ、ゼンマイ、フキノトウ、カンゾウ、ノビル。ノビルは全国どこの遺跡からも出てくるらしく、かなり主流の食材だったようだ。
スガイ(これは知らない)、ヒジキ、ワカメ、アラメ。

夏。
イワシ(縄文人が食べた魚の3~4割を占めている)、スズキ、真鯛、うなぎ、アナゴ。
魚は囲い込み漁で獲っていたそうだ。遺跡から出てくる銛はこういった場面で使われていたらしい。うなぎとアナゴはどうやって獲っていたのだろうか・・。
アサリ、ハマグリ。アワビ、ウニ。外耳道外骨腫(サーファーズイヤー)という症状が出るほど海に潜って獲っていたらしい。

秋。
アジ、サバ、ワタリガニ。
栗、トチノミ、クルミ、ハシバミ、キイチゴ、桑の実、サルナシ、ヤマゴボウ、ヤマブドウ。
特に栗は主食に近く、集落の周辺で栽培もされていた。

冬。
あまりとれるものはなく、それまでにとれたものを乾燥や塩蔵して貯蔵していたようだ。

すべて遺跡の調査から見つかったものらしく、僕みたいにたまたま釣れたから食べたというものでもなさそうである。これだけでも相当な種類だが、ほかにも食べられていたものとしてはもっとあるようである。ちなみにフグの骨なんかも出てくるらしい。
それに、昆虫を食べていたという結果がないというのは、それを食べなくても生きていけたという意味では確かに豊かな食材があったのであろう。アフリカに行ったら、今でも食べているみたいだから気候の違いというのは大きい。

川のある地方では、鮭が主流になり、年間を通して食べられるように保存法も発達していたそうだ。
そして、これらは自分の集落で消費されるだけではなく、流通物資として他の場所へも流れていった。ほとんどは友好の証としての土産物であったのではないかとの見解だが、これがなぜそうだとわかるかというと、貝塚から出てくる魚の頭の数と背骨の数が合わないからだというのだ。頭が多くて背骨が少ないのはそれは干物にされてどこかへ持っていかれてしまったからだという推理はう~んとうなってしまった。

これだけ豊富な食材を食べているので、現代の狩猟採集民族の齲歯(虫歯のこと)になっている比率が、2%だというのに、それが17.8%もあったというのだからかなりのものだ。

流通というと、工芸品などもかなり広範囲で流通していた。矢じりやナイフの材料になる黒曜石などは八ヶ岳山麓から各地へ運ばれていたらししいし、北海道でとれる石斧用の石なども広範囲に流通していたようだ。ヒスイなんかもかなり広範囲に流通していたという分析もあるそうだ。新潟県からはアスファルトが流通した。これは接着剤として使った。
縄文時代には栽培農業や手工業というものは存在しなかったというのが定説になっていたけれども、栗の栽培や石器の流通の発見がそういった概念を覆しつつある。また、食料の流通ということも考えるとかなり現代にも通じるような社会構造であったのかとも思えてくる。

それなら、「縄文時代はみんな平等で平和な世界であった。」という定説はどうなんだろうか。そうやって貴重で平等には行き渡らないモノが集落に入ってくるとそこで不平等というものが発生し、身分の差というものがすでにできてしまっていたのではないだろうか。
独り占めしたい縄文人もいただろうし、それを持っている縄文人を妬む縄文人もいただろう。墓の規模や副葬品の差が出始めるというのは、かなり後期になってからというのが発掘による結果だそうだが、人のココロは化石にはならない。
著者の基本的な見解は、「縄文時代からの衣食住や葬制、信仰などの風習や文化は昭和30年ころまであまり変化しなかったそうだ。」ということなのだから、人の心の構造についても1万年前と今とではそんなに変わっていないのかもしれないと言っても間違いではなさそうな気がする。もしそうなら、縄文人も人間関係に悩んでいたのではないだろうか。
それとも、縄文の時代も意外とストレスフルな時代だったと思うのは僕自身がかなりのストレスを抱えているということの裏返しということだけなのだろうか・・・?

最後に、その昭和30年を境にして風習や文化がどうして劇的に変わってしまったか。これは縄文時代の話からはまったくかけ離れてしまう考察になるのだが、ここ最近考えていたことをまとめてみたいと思う。
結論からいうと、「ひとは楽をしたがる。」これに尽きるのではないかと思う。もし、縄文時代が平和で平等な時代であったというのが真実なら、それは楽ができないほど生きるために必死な時代であったからだと僕は思うのだ。食料、病気、天変地異それらにいつも振り回されていた。そういうことであったということではなかろうか。それなら全然楽しそうではない。たしかに、平和の反対語は戦争だから、そういう意味では戦争もできないほど生きることの必死なら戦争がなかったということで反対語の平和という言葉を使ってもいいということか。
経済が豊かになって食べ物も済むところも着る物も楽に手に入る方法ができてきた。だから人はそっちに流れる。それは必然であったということだ。

人が楽をしたがる。その結果、なにが始まるかというと、独裁政治だ。それは自由がなくなるのと同じである。このブログにも何度か書いているけれども、自分たちの努力で問題を解決せず、どこからか超人なり聖者なりが現れて、全部一人で背負い込んでくれるのを待っているというのが市民だ。
独裁者とは門閥貴族たちが根拠のない権利を主張して成立するものだけではない。民衆が作り上げるものもある。たとえ民主政治が行われていたとしても、それが腐敗してくると自分が何とかしなければと立ち上がるものが出てくる。
そのものは混乱を収拾するために全権を掌握し、例えば戒厳令や言論の自由を規制しようとする。それが独裁の始まりだ。
かつてヒトラーもそうであった。彼も最初、選挙で選ばれたのだ。
スガ総理が独裁者だとは思わないけれども、その言動や大臣の発言なんかを読んでいると、それに近いものがあるように思う。指導者というのは、それが長く続くと民衆を将棋かチェスの駒のようにしか見なくなる。それが、銀行を使って酒屋に圧力をかけるような行動に出てしまうのだろう。
独裁というのは、何も政治だけの話ではない。楽をしたがる人間というのは、会社にもいる。
今、僕が務めている会社も同じだったのではないだろうか。これは僕もそうなのだが、子会社に出向させられる人間というのは、本社で役に立たない、もしくは使いづらいから出向させられる場合がほとんどだ。出向とは「放り出す」という言葉を穏やか表現に書き換えたものだ。
そんな人間たちが集まって会社を経営しているのだから、私がなんとかしなければと思う輩が表れてもおかしくはない。
おまけにそいつが全部一人で背負い込んでくれるのだから無能な社員たちは余計に楽をしようとする。そうなるとますます何とかしなければと思う輩は全権を掌握して独裁体制を強固なものにしてゆく。
それがこの職場のように思う。
僕を含めてクーデターを起こすほどの気力もなく、元々、自分が何とかしなければと思うような気概がある人間ならここにはいない。大体、この理論で行くとクーデターを起こした人間も後々は独裁者になることになる。僕にはそんな野望はない。
だから、のらりくらりと残りのサラリーマン人生をうっちゃる算段をするのみだのだが、理想郷の話を読んでいたはずがとんでもない結論になってしまったのだ・・・。
コメント (2)
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