イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「脳と森から学ぶ日本の未来」読了

2021年07月01日 | 2021読書
稲本正/著 小林廉宜/写真 「脳と森から学ぶ日本の未来」読了

著者の名前に聞き覚えがあると思ったら、この人は、「オークビレッジ」の代表者だった。まだ、いくつかのアウトドア雑誌を隅から隅まで読んでいた頃、多分、「OUTDOOR」だったと思うが、この人の連載記事が載っていて、飛騨の山奥で家具を作って暮らすというライフスタイルはなんと格好いいことかということとそこまでストイックには生きられないなと思いながら読んでいた。
多分この本もアマゾンのリコメンド機能で出てきたのだと思うが、面白そうなタイトルだったので借りてみた。

ひとつの功を成し遂げた人はその生涯の経験をもとに自分なりのスーパーヒストリーを語りたいものなのだろうか。著者は自身の森や木、そしてその環境の知識と、かつて大学で原子物理学を学んだという知識を融合してこの人なりのスーパーヒストリーを、そしてそこから導く日本の将来について書かれている。
ちなみに、スーパーヒストリーをウイキペディアで調べるとこんな解説になっている。
『ビッグバンから現在までの歴史を研究する新しい学問分野。自然科学と人文科学の数々の学問分野を結合した学際的アプローチを用いて、これまでの歴史学よりも、長い時間枠・大きな文脈で人間存在を探求する。そのため、これまでの学問的知見、たとえば宇宙論、生物学、化学などの自然科学と歴史学、地理学、社会学などの人文社会学の研究を統合した歴史学となっている。オーストラリア、アメリカ合衆国、韓国、日本の大学等で公式科目化されている。ビッグヒストリー・プロジェクトは、ビル・ゲイツと歴史学者デイビッド・クリスチャンが関与する運動である。』

これは読んでいる僕の方に理解度が足らないのが原因であると思うのだが、テーマが定まっておらず、あちこちに著者の知識と思いつくままに書かれているだけのような気がしてくる。確かに著者の知識は幅が広いようだ。木や自然についての知識はもちろん、脳の構造、原子、物理学、化学など自然科学の分野はもちろん、哲学、文学の話まで出てくる。だからスーパーヒストリーであるのだろうけれども、それがどういう関連性をもっているのかということに理解が及ばない。
それに加えて、『指導者とされる人々の発想や動きに優雅さや教養の深さが感じられない。人類の共通の幸福とは何か、人類の向かうべき方向は何かを指し示す度量が伺えない。そのために指導者には本書を全体的に踏まえてもらいたい。』と書かれてしまうとどうも興ざめしてしまう。

そこをこらえて著者が言わんとしていることを拾い出して僕なりにまとめてみると、新しい時代を迎えて個人と他者、社会との関係をどう見てゆくかということを考えているのだと思う。
日本では、『縄文時代の「狩猟採集+菜園式農耕社会」が1万年続いた。それが日本人の身体と精神の底の底までしみ込んでいる。その後の「農耕社会」も3000年近く続いた。その1万3000年は四季の自然に左右される社会構造だった。』。自分たちで自分たちの未来は決めることができない。すべて自然のなりゆきに従うしかないのだという考えが根底にあったということになる。
しかし、西洋では、ルネッサンス以降、「ラプラスの悪魔」という言葉に代表されるように、今を知ることができれば未来を知ることができる。すなわち、今を決定することができれば未来も自分たちの意志で決定することができるのだという因果的決定論が持ち上がってくる。それを元に人類は作物を管理して安定供給する方法を考え、人口増加が始まり工業化へ向かい文明を発展させてきた。しかし、そこには様々な問題が出てきた。
そこには国家中心の社会構造が出来上がってきたけれども、本来の人間としての姿に立ち返るべきではないのかというのが著者の考えである。そしてその考え方の元になるものとして「対幻想」「共同幻想」というものを提示している。
「対幻想」とは、「夫婦」、「男女」、「親子」として向かい合う二人の間での思いやり。「共同幻想」とは、人間が二人以上の集団、たとえば、家族・社会・国家・民族など個人を超える集団の秩序やそれへの帰属を理解するための観念である。対幻想は著者が考え出した言葉のようであるが、共同幻想というのは、もともと、吉本隆明が提唱した観念だそうである。
しかし、最後まで著者の言いたいこととこのふたつの言葉の関連性というものがいまいちわからなった。
そして、タイトルに使われている、「脳」「森」についても、脳は人間、森は宇宙に例えているというのだが、そこのところも実はよくわからなかった。

そして、これからの日本はどういう方向に向かうべきかという結論として、「共生進化」というものを前提として「自給遊園」という文化的な自給自足の社会を作ろうというのである。
「共生進化」とは互いに利益を与えながら進化(繁栄)をすることであるが、これは自然界の生き物が互いに利益を与えあって生きている姿、例えば、ミツバチと花は蜂蜜を与える代わりに受粉を助ける。そういうことに倣って人と人、自然と人が共存した生活様式を作り上げるというのである。
要は、現代的で文化的な要素を加えながら里山で自給自足の生活をすることなのである。なんだか壮大な物語としては結論がショボいような気がしてしまうのである・・。
ただ、その提案には共感ができる。僕の中にも1万3000年分の遺伝子があるらしく、こういった生活には憧れるのは確かなので、これでよしとしておこう。
しかし、みのもんたの自慢話のようにしか思えなかったのはやはり僕の知能の限界なのだろうか・・・。

この本で一番気になったのは「共同幻想」という言葉だった。調べてみると(相変わらずネットでだけの知識だが・・・)、吉本隆明が提唱したこの考えは、国家という概念を絶対的なものではなく、極端にいうと、人々の心が作り上げた幻想でしかないというものだ。この集団が存在しているのは人々の思い込みだというのである。
その元になっているのは夫婦や家族といった小さな血縁、それさえも血で縛られた幻想であるのだが、それがベースとなって国家という考えが出来上がる。
だから、形而上的でしかない考えに縛られることなく個人個人が自分自身の考えを持たねばならないというのが吉本隆明の考える人間像であるということのようだ。

これって、会社という組織では同じことが成り立つのだろうか。そこはお金をもらっているという主従関係がある以上、「会社幻想」という言葉なんかはありそうにない。まさしくこれこそ形而上と形而下が同じである。せめてできることと言えば、形而下のもっと下の方で後ろを向いて舌を出すことくらいなのだろうなと悲しくなるのである。



コメント
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