シュレーディンガー/著、岡小天 /訳、鎮目恭夫/訳 「生命とは何か 物理的にみた生細胞 」読了
著者であるエルヴィーン・ルードルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレーディンガーはオーストリア出身の理論物理学者である。
量子力学の確立に貢献した科学者のひとりだ。「シュレーディンガーの猫」というパラドックスで有名だが、フルネームを初めて知ったけれどものすごい大層な名前だ。本当に名は体を表している。
この本は、理論物理学者が生命とは何かということを過去の講演の原稿を元にして本にしているものらしい。物質のミクロの世界を研究している学者だけあって、本の内容も大半は細胞に関するものだ。この本は1944年の秋に書かれているが、遺伝子を構成しているDNAの発見は1953年であるということを頭に入れて読まなければならない。
シュレーディンガーはこの本の中で、生物の遺伝情報というものは長い年月に渡って壊れることがなく伝達されてきたのだから、分子レベルの暗号伝達物質によってできているに違いないと書いている。でなければ、おそらくタンパク質のような有機物が遺伝情報を持っていたら、それこそどこかの時点で腐ってしまって情報が消えてしまうはずだと考えたのだろう。その点、分子の結晶なら壊れてしまうことはない。実際、1953年に発見されたDNAは酸素と窒素と炭素からできた分子であった。それをすでに物理学の知識から予言していたというのがすごいというしかない。
そしてそれは「非周期性結晶」でできているに違いないという。相対する「周期性結晶」とは一般的な物理学者が扱う物質でその反応は単純であるが、様々な遺伝形質の発現があることを考えるとこれはきっと複数の分子が不規則に組み合わさって遺伝子ができているはずだとも予言している。これはDNAの種類が4種類でそのランダムな組み合わせでできていることを予言していたのか、それともひとつひとつの形質に対応する遺伝分子のようなものを予想していたのかどちらであったのかということは読み取ることはできなかった。後者の考えだと予言は外れたということにもなるが、遺伝子が作り出すたんぱく質はまさしくひとつが基本的にひとつの働きをして生物の体を構成するのであるからどちらにしてもシュレーディンガーの予言は間違ってはいなかったということになるのであろう。
そして、エントロピーの法則を生命に当てはめても考えている。エントロピーの法則とは、エネルギーのレベルにおいてすべての物質は秩序のある状態から秩序のない状態へ変化してゆくという法則だが、生物が生きるということはエントロピーに反し続けるということであると書いている。
福岡伸一先生がよく書いている、「動的平衡」ということがまさしくこのことを言っているのだろう。まあ、時代の順番からいくと福岡伸一先生がシュレーディンガーに倣ったということになるのだとは思うが・・。
そして、たぶんシュレーディンガーでさえわからなかったし、おそらく今でもわかっていなくてこれから先もわからないのだと思うけれども、「分子で構成されている物質がどうして生きているのか」ということに対しては、それはもう、「物理法則を超えた法則」があるに違いないとなっている。この意味は、生命というものは、決して奇跡の上で生きているのではないということを言っているのであるが、じゃあ、それはどんな法則の上で生命は生きているのか、それはさすがのシュレーディンガーでもわからなかったということなのだろう。
この当時、顕微鏡で見ることができる細胞の中身というのは染色体までだったそうだ。メンデルの研究が再発見されたのが西暦1900年ということなので遺伝子というものがこの染色体の中に入っているということはわかってはいたそうだが、そこからさらにその中身についてそれも畑違いの理論物理学者がここまで先見の明を発揮するというのは多分すごいことなのだろうと思う。
分子生物学という分野も同じころに始まったようだが、調べてみると(ネット上だけだが・・)やはりシュレーディンガーたちのような物理学者がこういう分野の考え方の基礎を作ったようである。
シュレーディンガーはこの本の中で、人間とは、『「原子の運動」を自然法則に従って制御する人間である。』と書いているが確かにそうやって永遠に入れ子のような堂々巡りのようにしか考えられないというのが生命の神秘なのだろうなと思ったりしたのである。
シュレーディンガーもアインシュタインと同じように、研究生活の晩年には自ら打ち立てた理論の現実との矛盾に悩み、それに対する後進の学者たちの答えに反発したそうだ。「シュレーディンガーの猫」のパラドックスも、その頃に提示されたらしい。
エピローグには、意識はどこから生まれるのかということに対して非常に哲学的で難解な意見が書かれているが、それはそういう葛藤や悩みから生まれてきたものではないかと訳者たちは考えている。
意識の根元は一体何なのか、人は死ぬとその意識は一体どこへ行くのか、それはただ消え去っていくだけなのか・・。超一流の物理学者でもそんな非科学的と思えるようなことを考えてしまうのかと思ったりもしてしまう。
それは未だ解明されいないけれども、いずれ解明される時が来るかもしれない。そのときまでは、シュレーディンガーの意識は混沌とした意識の宇宙の中で漂い続けているのだろうかと思ったりもするのである。
著者であるエルヴィーン・ルードルフ・ヨーゼフ・アレクサンダー・シュレーディンガーはオーストリア出身の理論物理学者である。
量子力学の確立に貢献した科学者のひとりだ。「シュレーディンガーの猫」というパラドックスで有名だが、フルネームを初めて知ったけれどものすごい大層な名前だ。本当に名は体を表している。
この本は、理論物理学者が生命とは何かということを過去の講演の原稿を元にして本にしているものらしい。物質のミクロの世界を研究している学者だけあって、本の内容も大半は細胞に関するものだ。この本は1944年の秋に書かれているが、遺伝子を構成しているDNAの発見は1953年であるということを頭に入れて読まなければならない。
シュレーディンガーはこの本の中で、生物の遺伝情報というものは長い年月に渡って壊れることがなく伝達されてきたのだから、分子レベルの暗号伝達物質によってできているに違いないと書いている。でなければ、おそらくタンパク質のような有機物が遺伝情報を持っていたら、それこそどこかの時点で腐ってしまって情報が消えてしまうはずだと考えたのだろう。その点、分子の結晶なら壊れてしまうことはない。実際、1953年に発見されたDNAは酸素と窒素と炭素からできた分子であった。それをすでに物理学の知識から予言していたというのがすごいというしかない。
そしてそれは「非周期性結晶」でできているに違いないという。相対する「周期性結晶」とは一般的な物理学者が扱う物質でその反応は単純であるが、様々な遺伝形質の発現があることを考えるとこれはきっと複数の分子が不規則に組み合わさって遺伝子ができているはずだとも予言している。これはDNAの種類が4種類でそのランダムな組み合わせでできていることを予言していたのか、それともひとつひとつの形質に対応する遺伝分子のようなものを予想していたのかどちらであったのかということは読み取ることはできなかった。後者の考えだと予言は外れたということにもなるが、遺伝子が作り出すたんぱく質はまさしくひとつが基本的にひとつの働きをして生物の体を構成するのであるからどちらにしてもシュレーディンガーの予言は間違ってはいなかったということになるのであろう。
そして、エントロピーの法則を生命に当てはめても考えている。エントロピーの法則とは、エネルギーのレベルにおいてすべての物質は秩序のある状態から秩序のない状態へ変化してゆくという法則だが、生物が生きるということはエントロピーに反し続けるということであると書いている。
福岡伸一先生がよく書いている、「動的平衡」ということがまさしくこのことを言っているのだろう。まあ、時代の順番からいくと福岡伸一先生がシュレーディンガーに倣ったということになるのだとは思うが・・。
そして、たぶんシュレーディンガーでさえわからなかったし、おそらく今でもわかっていなくてこれから先もわからないのだと思うけれども、「分子で構成されている物質がどうして生きているのか」ということに対しては、それはもう、「物理法則を超えた法則」があるに違いないとなっている。この意味は、生命というものは、決して奇跡の上で生きているのではないということを言っているのであるが、じゃあ、それはどんな法則の上で生命は生きているのか、それはさすがのシュレーディンガーでもわからなかったということなのだろう。
この当時、顕微鏡で見ることができる細胞の中身というのは染色体までだったそうだ。メンデルの研究が再発見されたのが西暦1900年ということなので遺伝子というものがこの染色体の中に入っているということはわかってはいたそうだが、そこからさらにその中身についてそれも畑違いの理論物理学者がここまで先見の明を発揮するというのは多分すごいことなのだろうと思う。
分子生物学という分野も同じころに始まったようだが、調べてみると(ネット上だけだが・・)やはりシュレーディンガーたちのような物理学者がこういう分野の考え方の基礎を作ったようである。
シュレーディンガーはこの本の中で、人間とは、『「原子の運動」を自然法則に従って制御する人間である。』と書いているが確かにそうやって永遠に入れ子のような堂々巡りのようにしか考えられないというのが生命の神秘なのだろうなと思ったりしたのである。
シュレーディンガーもアインシュタインと同じように、研究生活の晩年には自ら打ち立てた理論の現実との矛盾に悩み、それに対する後進の学者たちの答えに反発したそうだ。「シュレーディンガーの猫」のパラドックスも、その頃に提示されたらしい。
エピローグには、意識はどこから生まれるのかということに対して非常に哲学的で難解な意見が書かれているが、それはそういう葛藤や悩みから生まれてきたものではないかと訳者たちは考えている。
意識の根元は一体何なのか、人は死ぬとその意識は一体どこへ行くのか、それはただ消え去っていくだけなのか・・。超一流の物理学者でもそんな非科学的と思えるようなことを考えてしまうのかと思ったりもしてしまう。
それは未だ解明されいないけれども、いずれ解明される時が来るかもしれない。そのときまでは、シュレーディンガーの意識は混沌とした意識の宇宙の中で漂い続けているのだろうかと思ったりもするのである。