イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「教科書名短篇 科学随筆集」読了

2022年01月16日 | 2022読書
中央公論新社/編 「教科書名短篇 科学随筆集」読了

国語の教科書に載っている文章を集めた本ということで興味を持ち借りてみたが、なんで科学者ばかりの文章が載っているのかと不思議に思ったら、この本はシリーズで出ていて、タイトルをよく読むと、「科学随筆集」となっていた。本を読み始めるときはきちんとタイトルを確かめねばならない。

寺田寅彦、中谷宇吉郎、湯川秀樹、岡潔、矢野健太郎、福井謙一、日高敏隆と日本の科学史の中では錚々たる人々が書いた文章が集められている。
しかし、これがどうもなんというか、出汁を入れ忘れた味噌汁のようなのである。おそらく、それぞれの分野ですばらしい偉業を成し遂げた人々なのであるから、その研究を通してある種哲学ともいえる人生観や生死観、世界観を持ったことだろうと思うのだが、そういうことがまったく伝わってこない。1946年からの中学教科書に採録されてきたものということで、時代と合わないということだろうかと思ったが、量子論でさえ1920年代に確立されたものだ。それぞれの分野ではすでに現代と同じ知識のなかで随筆として書かれているのだと思う。
じゃあ、出汁気がないのはなぜだろうと考えを巡らせると、やっぱりこれは教科書だからに違いないと思い当たった。人生観や、生死観、世界をどう見るかということを突き詰めてゆくと、そこには必ず宗教観や、イデオロギー、そういったものが見え隠れしてしまうものだ。そういうものは教科書としてはどうだろうかとなると、サンマを湯がいて脂を抜いてついでに小骨も取りましたというような文章しか残らないという結果がこの本なのだ。
本当は、この人たちも絶対にもっと味のある文章を書いているに違いない。岡潔は和歌山出身の数学者だから、もともと随筆をたくさん書いているということも知っていたので1冊くらいは読んでみたいと思っていたけれども、こういうテイストなら、う~ん、となってしまう。
この本に収録されている随筆は2016年まで教科書に採用されていたという説明が書かれていたのでかく言う僕もこの文章のどれかを読んでいたことになる。国語の教科書は読み物ではなく、文章の読解力を高めることを目的とするものだからこれでいいのかもしれないが、その前に読む気をなくしてしまう方が怖い気がした。僕もそのひとりであったのかもしれない。
この本はどういう意図で企画され、編集されたのかは知らないが、もし、国語の教科書の文章とは出汁を入れ忘れた味噌汁なのだということを知らしめる意図があるのならあまりにもブラックであると思うのだ。

新渡戸稲造は「武士道」の中で、日本の教育には宗教がないと語っていたけれども、まさにこの教科書が今の日本を作ったのだと思うと悪い意味で納得もしてしまうのだ。
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