イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「おれたちを跨ぐな! わしらは怪しい雑魚釣り隊 」読了

2017年12月10日 | 2017読書
椎名誠 「おれたちを跨ぐな! わしらは怪しい雑魚釣り隊 」読了

この、「怪しい雑魚釣り隊」は2015年で結成10周年を迎えたそうだ。いまから30年ほど前、ちょうど就職したころ、日曜日の早朝だったと思うが、「わしらは怪しい探検隊」というテレビ番組があって、それが文庫本と連動していて内容も面白くてそれから著者の本を読み始めた。「リンさんチャーハン」というキャンプで食べると恐ろしく美味しいチャーハンが出てきて、それを一所懸命家で再現してみたけれどもちっとも美味しくなかった。

この、「雑魚釣り隊」はその延長線上にあるらしく、やっぱり大人の男たちが旧式、もしくは普通ならそこには持っていかないようなごく普通の道具をたずさえ、食料は魚を釣ってまかなうというキャンプを著者が記録したものだ。
ずっと前、2012年ころにこの本の2作目を読み、これはその6冊目の本になるそうだ。著者が書く文章はやはり歳を経るうちに見事に枯れてきたというか、ものすごくしんみりした文体に変わってきたような気がしていたが、このシリーズでは昭和軽薄体と言われた往年のおもしろおかしい臨場感たっぷりの文体が健在であるというところがうれしい。

著者は隊員たちのことを、愛情を込めて“バカ隊員”などと呼んでいるものの、本当のバカならこんなことはできない。仕事ができる人ほど遊びもとことん遊びつくせる。あの、サラリーマン転覆隊も同じではあるけれども、「雑魚釣り隊」にも一線で活躍しているであろう編集者、IT企業家、法曹家、ミュージシャン、きっと活躍はしていなくても仕事に対する自信と誇りはかならず胸に持っているという人たちに違いない。そうでなければ椎名誠という人とも対峙できないであろうし、外から見ればばかばかしいと思えるようなことを真剣にはできないのである。

「釣り師は心に傷があるから釣りに出てゆく。しかしその傷がどんなものであるかを知らない。」というのは師の言葉であるが、僕にはどうも傷ではなくて何かに対する、それでも何に対してなのかがわからないものに対する後ろめたさがつきまといとことんバカになって突き進めない。サッと海に出てサッと帰ってくるのが精一杯だ。だからこんな人たちを見ると無性にうらやましくなる。
椎名誠は今年で御年73歳。仕事とは言え、確かに普通のジジイがやっているようなことではないような気がする。僕もそんな歳になってもそういうことが楽しそうだと思える心だけは持ち続けたいと思うのだ。

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水軒沖釣行

2017年12月09日 | 2017釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 4:10満潮 11:02満潮
釣果:コウイカ 2匹

今日の天気は一体なんなんだ。昨夜の予報では朝からは東寄りの風でおそらく10時くらいまでは釣りができそうなはずだった。しかし、朝起きてみると雨が降っているではないか・・・。全然予報が当たっていない。
一応、気象庁の雨雲レーダーを確認してみると、なんとまあ、和歌山市上空だけに雨が降っている・・。



一体、僕がどんな悪いことをしたというのだ。天はどうして僕に意地悪をするのか。そう言えば、今年の8月17日も同じようなことが起こっていたことを思い出した。やはり僕は天に唾するようなことをしてしまっているのであろうか・・・(確かに心当たりはたくさんあるにはあるけれども・・・)

それでも雨雲は局地的で午前7時には晴れてくる予想だったので予定より少し遅れて家を出た。雨が降っても屋根付きのスクーターは快適だが、いっこうに貼れてくる気配がない。



それどころか、港に到着したころには本降りの様子だ。仕方がないので雨が上がるまで渡船屋の事務所で1時間ほど雨宿り。
やっと午前8時頃になって西の空が明るくなってきた。急いで準備をして出港。
その頃はまだ風はまったくなく、波も穏やかであった。風がなくて気温も低くなっているので気嵐の中幻想的な光景の中で釣りをスタート。



アタリは間もなくあって、今回も型の大きなコウイカが上がってきた。なんとかボウズは免れた。その後、潮の流れがまったくなくなり、風も吹いていないので仕掛けが真下に下りるようになってしまった。こういう状況はあまりコウイカには好ましくないのであるが再びアタリが出た。これで2匹。
雲が切れ始め天使のはしごが降り始めるとこんどは急に風が強くなってきて、おまけに波も高くなってきた。



天使の光だからもっと穏やかな心持ちにさせてくれるのではないのか・・・。
なんとか我慢しながら仕掛けを下し続けたけれどもとうとう波が船べりを越えて海水が入ってきた。このままではここは和歌山なのに北朝鮮のイカ釣り漁船になってしまう。午前9時、早々と釣りを切り上げて湾内へ逃げ込んだ。

今日は土曜日なので数隻の船が沖を目指して出港して行ったけれども大丈夫なのだろうか。



僕にはとてもじゃないが無理だ。安全第一でいかねば、今のところ、どうも僕は天に見放されている・・・。
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「本日釣り日和―釣行大全 海外篇 」読了

2017年12月05日 | 2017読書
夢枕獏 「本日釣り日和―釣行大全 海外篇 」読了

前回読んだ本の続編だ。単行本出版時は1冊だったものを日本編と海外編に分けて文庫化されたそうで、あとがきもこっちにだけ書かれている。

モンゴルやニュージーランドでマス釣り。そして著者が一番のメインにしているアユ釣りをニュージーランド、中国大陸で試みている。
マスは釣れてもアユというのはそうそう楽ではないようだ。台湾にはいるときいたことがあるけれども、ニュージーランドや中国大陸までいたというのは驚きだ。ただ釣果となると厳しいようで、まあ、作家は釣れても釣れなくても文章は書けるから、どうでもいいじゃないか。

僕も釣りが好きで、今年も釣行回数が50回を超えてしまったほどだが、遠くへ釣りに行きたいとは思わない。最近はとくにそうで、磯釣りも今年はとうとう枯木灘を目指すことなく初島で済ませてしまった。
泊りがけで離島を目指して超大物を狙うというのは豪快で格好がいいが、はなっから行く気さえおこらない。そんな世界を垣間見たことがないから想像できないのか、昔から何をするのも億劫な性格だったからなのかそれさえも自分ではわからない。ただ、お金と時間がないというのも間違いがないことであるが、本当に釣りが好きならそれを職業にして、テレビに出てくる怪魚ハンターみたいな人を目指せばいいじゃないかと言われると何も言い返す言葉がない。
「人は移動した距離で器の大きさがわかる。」という言葉があるけれども、世界を股にかけて釣りをする著者はさすがだ。
ほぼ半径10キロメートルで生活を済ませてしまっている僕はやっぱり器が小さいということだ・・・。

しかし、夢枕獏というと相当なベストセラー作家だが、その文体は椎名誠と野田知佑を足して2で割って開高健をまぶしたような・・・。要するにどこかで読んだことのある感じの文章だ。リスペクトしてわざとそうしているのか、著者の本はこれしか読んだことがないけれどもそこがちょっと残念だ。

されど、はやり人気作家。う~んとうなされる箴言をいくつか・・。
「いや、きみのその顔を、私は見たことがあるよ」
   これは魚をやっと釣り上げたときの感覚はみんな同じであるということ。

「竿を出している限りにおいて、釣り人は風景にかかわっている。」
   30センチのイワナが今まさに自分の鉤にかかって竿をしぼり上げている瞬間というのは、けっして、ささやかな事件ではないのである。

「釣り人は、常に、希望と絶望というふたつの淵の間に立ってキャスティングをする。」

「はっきり書いておけば、人間には二種類しかいない。釣り人と釣り人でない人の二種類である。」

そして、アメリカではボウズのことをスカンクという。
僕もこれからはかっこよく、ボウズのことをスカンクと言うことにしよう。
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「流れ施餓鬼」読了

2017年12月04日 | 2017読書
宇江敏勝 「流れ施餓鬼」読了

この本は著者が、同人誌「VIKING」へ投稿した短編を1冊の本にまとめたものだ。僕がこの本を手にしようと思ったのは、熊野地方を舞台に書かれたものだということはもちろんであるけれども、この同人誌は師が若い頃に参加していたものだったということも大きな理由だ。古くに投稿されたものをまとめたものかと思ったが、この同人誌、まだ続いているそうで、すでに800号を超えているそうだ。これはこれですごいことだ。

物語は、明治の終わり頃から終戦直後までの時代、「川」に寄り添って生きていた人々を淡々と描いている。その舞台となる川は日置川と熊野川である。
小説なのか、聞き書きなのか、それとも著者の回想録に思えるようなものもある。どの短編にも共通することは、川に寄り添って生きることに嫌悪するでもなく都会を目指すこともなく本当に淡々と生きていた人々を描いている。
主人公たちの職業は、団平舟と呼ばれる船を使って上流と下流を行き来する運送業や、渡し舟、女性たちは小さな商いをしている。
時代は進み、少しずつ陸上の運送に取って替わられようとしながらもかたくなに川での生活を守り続けている。しかし、この人たちはそれを時代に乗り遅れていると卑下するでもなくそれを当たり前のように生活を続けている。それどころか、そこに小さな希望さえも見つけようとしているのだ。
著者もそんな生き方をしていた人たちがこの熊野の地域に確かにいたのだということをはっきりと残さなければならないとこれらの物語を綴っているのだと思う。
自然に逆らうでもなく、自然に翻弄されることもあるけれどもそれも当たり前のこととして受け入れる。新宮というと、木材産業で繁栄を誇った町だから河口あたりではこの当時から都会的というか世俗的な世界ができていたと思うけれども、そこからわずか2,30キロメートル離れた上流では江戸の時代とあまり変わらないような生活が続いていたようだ。

都市の生活と田舎の生活。僕はどちらかというと田舎の生活にあこがれる。ロダンは、「都会は意思の墓場です。人の住むところではありません。」と言ったそうだ。「前年対比」、「対策」、「お客様は神様」・・・。都会の生活というのは自分で切り開く能力がなければそんな言葉が常に付きまとう。粘度の高い水の中を掻き進んでいるような感じだ。走っても走っても前に進まないのでエビみたいに後ろ向きにお尻を突き出して流れに逆らっている夢をよく見る。

日高川に釣りに行っていた頃、支流の入り口に数件民家が集まっていた場所があり、そこから奥に進んでいくとまたポツリと家が建っている。
庭に小さな畑があり、いろいろな野菜を植えている。車もあり、当然ながら電気もあったテレビもある。でも都会の生活に比べると寂しくもあり不便でもあるだろう。
あこがれるだけで実際やってみるととてもじゃないが無理だとなってしまうのか、それとも意外としっくりやっていってしまうのか。まあ、この歳で移住しようと考えることができるわけでもない。しかし、外から見ているとなんともうらやましい生活だと思ってしまう。
できることなら今の場所でそんな生活ができないものかと願ってしまうのは贅沢なのだろうか。野菜を作りながら漁師をやっているなんていうのが一番よさそうだ。しかしなぁ、釣りは仕事にできるほど上手くはないし、トウガラシは叔父さんに作ってもらって収穫しかできないからやっぱりだめだろうとやっぱり悲しくなる。

著者は同じような本をかなりの冊数出版しているようだ。これから読み進めてゆくのが楽しみだ。



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加太沖釣行

2017年12月02日 | 2017釣り
場所:加太沖
条件:大潮 4:26満潮 11:00干潮
潮流:6:10 上り2.9ノット最強 9:55転流
釣果:真鯛3匹 チャリコ1匹 マルアジ1匹

さあ、今年もあと1か月だ。その月の休日の予定というのは前月の20日くらいに希望を出して調整されるのである。さすがにそこまでバカだと思っていなかったのだが、月の最初の休日くらいは何日であったかということくらいはちゃんと記憶で来ていると思っていた。
というのは、最初の休みは12月3日に希望を出したと思っていた。だからウエザーニュースの週間の天気図予想を見ながら3日はかなり天気が良さそうだとひとり会社でほくそ笑んでいたのだ。しかし、昨日やっと送られてきた休日の予定表を見てみると明日になっているではないか・・・。
2日の予報では朝のうちは少し冬型が残るようだ。う~ん・・・。しかし、時間が経つほど風が緩んでくるようなので加太まで出撃だ。

空には雲が低く垂れこめ、天気がいいのか悪いのかわからない。



しかし、その光景はあまりにもきれいだ。

刺身ときずしは前回の加太沖で確保できたので今日はにらみ鯛の確保が目的だ。あんまり大きいのはもったいないのでカスゴサイズを狙いたいのでオキアミも携えて行くのだ。
夜明け前にすでに上りの最強時刻を迎えているが潮は上りなのでいつものテッパンポイントからスタート。
しばらくしてアタリがあった。かなり小さなチャリコだ。普通なら放流してしまうサイズだが、魚には申し訳ないけれどもお正月のにらみ鯛になってもらおう。この時点で午前8時ごろ。潮の流れはかなり緩くなってきている。
ここでとどまり徐々に北上するのもひとつだが、じょじょにテッパンになりつつある銅板くらいのポイントはかなり有望ではないかと勘を働かせた。
そしてこれが当たった。まずまずのサイズの真鯛だ。
誰もいないポイントで自分の勘が当たって獲物を手にするというのはこの上ない至福のときだ。



しかし、2匹目が来ない。1匹だとただのまぐれと世間では言う・・・。
ここも潮の動きがなくなってきて、あとの時間はアジかサバが釣れないかとカスゴ狙いでもってきたオキアミ仕掛けに切り替えた。帰りの道中を考えて田倉崎沖を目指したが、沖ノ島の遥か南、前々回、N氏に教えてもらった領域からも遥か南の場所で船が密集している。ダメ元、調査のつもりで集団の中に紛れ込んで仕掛けを下す。この場所は水深40メートルほどのところから10メートルほどの小山がポッコリ盛り上がっている。船団はこのポッコリの上を行ったり来たりしている。
何回目かの往復のあと、魚探に大きな反応があったと思ったら大きなアタリがあった。かなり浅いところでのアタリだったので、これは絶対にマアジだと喜んだが、上がってきたのは40センチまでもう少しというサイズの真鯛であった。それも同サイズが2匹。
ここは帝国領内からはるか南、同盟領の排他的経済水域といってもいいような場所にある小さな山なのでここを「大和碓」とよぶことにしよう。



真鯛を釣った時点で午前11時。家に帰って燃料補給や図書館にいく用事もあるので午前11時半で終了。

帰りの道中は予報通りまさしく小春日和という感じであった。



記録:


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