イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

紀ノ川河口釣行

2020年09月14日 | 2020釣り
場所:紀ノ川河口
条件:中潮 3:05満潮
釣果:タチウオ 12匹

小船は速度が出ず、大きい方もやはり速度が出ず金曜日に加太への往復でポリタン2本近くの燃料を使ってしまった。こんなことを連続してやっていてはたまらないので今日はタチウオオンリーでの釣行にした。昨日も休みだったので落花生の収穫のついでにスクリューのカキを上から覗いて掻き落としたのでその効果も試したい。

 

今日は秋雨前線が南に下りていたので朝は秋の気配だ。東の空にはすでにオリオン座が見えている。ついこの前のうだるような暑さがウソのようだ。



ただ、港に到着してみると風が強い。港内にまで波が立っている。大丈夫だろうかと思いながら午前4時半に出港。この時間、夜明けはまだまだで視界に入って来るのは沿岸の工場と停泊している船の灯りくらいだ。微速で前進していると風でも流されるので自分の位置感覚がおかしくなってくる。遠近感もおかしく、自分が今どこにいるのかがわからなくなる。
下の画像は少し明るくなってきてから撮ったものだが夜明け前は水際の灯りだけが見えているという状態だった。



一応、灯台の位置は記憶の中にあるのだが、そろそろ見えてくるはずの沖の一文字の赤灯台が見えてこない。船が押し返されて思ったほどの速さで動いていないのだ。これは暗いうちに港外に出るのは危険だと考えて港内で様子を見てみることにしたけれどもこの辺りではまったくアタリがない。徳島からのフェリーが入港して普通ならアタリが出る頃になってもダメだ。仕方がないので少し怖いが青岸の灯台を出ることにした。
そこからアタリが出だした。西からの風をまともに受けるので、魚を回収してる間、クラッチを切っていると船が押し返されてあらぬ方向にいってしまう。気がつけば青灯台が目の前だ。
フェリーが出港するまでそんなことを繰り返してなんとか12本。



今日も型が小さく、半分くらいは放流した。午前6時20分には帰港していた。

それからのお楽しみは今日もわかやま〇しぇ。



いつも立ち寄るお店ではすでに僕は常連になっているらしく、店の主が、「今日は釣れたか?」と聞いてくれる。そう聞かれたら、つい、「小さいけど食べます?」となる。
その代わりなのだろうか、謎の調味料を山ほど袋に入れてくれた。
クーラーの中は魚を釣りに行ったのか何なのかわからないような状態になってしまった。



船の速度だが、若干は回復したような気がする港内とはいえ下っていく潮に向かって2200回転で23.5キロ。完全には元にもどるはずはないから、まあ、こんなものだろうか。

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「釣りの名著50冊」読了

2020年09月12日 | 2020読書
世良康 「釣りの名著50冊」読了

月刊「つり人」に連載されている、「釣本耽読」というコラムをまとめたものだそうだ。
50の著作について委細詳しく解説されている。よくぞここまで調べられたものだと思うほど、作品のあらすじだけではなく、作家の人生、釣りとの関わり、人間関係にいたるまで書かれている。
登場する作家同士の関係も詳しく書かれ、例えば、井伏鱒二の「川釣り」には太宰治が出てくるが、その次には太宰治が書いた釣りにまつわる作品が紹介され、そこに出てくる場面は「川釣り」に出てくるこの場面のエピソードである。と、いうような感じである。僕はこの本を読むまで、太宰治が井伏鱒二の弟子であったとは知らなかった。太宰治が井伏鱒二に初めて釣りに連れられたときは魚が釣れなかったそうだが、もし、そこで魚を釣り上げることができていたならなら、あんなに悲劇的な人生を歩まなかったのではないだろうかと書いている。多分、これは、釣りは人生そのものだと思っている釣りキチのひとりよがりの感想にほかならないのだろうけれども、そのひとりである僕には納得できる見解だ。
そのほか、ロッキード事件の黒幕の児玉誉士夫の次にはその時の法務大臣であった稲葉修が取り上げられ、師の次に林房雄の「緑の水平線」が取り上げられているのは、師がよく使った、「釣り師は 心に傷があるから釣りに行く。 しかし、彼はそれを知らないでいる。」という半句はこの本から取られたものだからだ。
うまい構成だと思う。

そして、その師の著作は「戦場の博物誌」が取り上げられている。「オーパ」でもなく「フィシュ・オン」でもない。あまり知られていない作品だが、この選択が著者の考えを物語っている。
魚釣りそのものの躍動的な場面を切り取るのではなく、その作家が人生を送る中で“釣り”というものがどういう役割を担ったか。食糧難の時代のたんぱく源であったり、人生の悩みの逃避先であったり、仕事に疲れた時の気分転換であったり、はたまた人生を破綻させる原因になったりするのだが、そういうところを深く深く掘り下げている。テーマは「釣り」であるけれども、これは作家論そのものということになるのである。

師の作品では、ベトナム戦争の前線に近いところで地元の住人たちが砲弾の飛び交う中でライギョを釣っているという場面が取り上げられている。著者の見解では、その光景にかつて空襲におびえながら飢えをしのぐためにライギョを釣った自分の姿を見ているのだということだが、僕の考えでは逆に師はそこに何も見ることができなかったのではないかと思う。師の言葉に、「入ってきて生と呼び、出て行って死と呼ぶ。」というものがあるが、人生とはただそれだけであるということを極限状態の中でただ釣りをしてだけの姿に感じたのではなかったのかと思うのだ。

取り上げられている作家はほとんどが明治から戦前までの生まれで、ほとんどの人がすでに亡くなっている。今の時代を生きる人たちが釣りの中に人生を見るには現代の釣りはシステマティックになりすぎてしまったのだろうか。どのひともどうやったら釣れるのだろうかということが第一義になり、テグスをとおして人生を透かし見る余裕がないように思う。暇なときには釣りビジョンを見ているけれどもそこにも能天気な釣り人しか出てこない。もう、釣り文学というものは新しく生まれないないのだろうか。

俳優の山村聰はこう書いている。『釣りはどうしても一種の人生哲学に行きつかざる負えない。釣り自体が遊びを超えてその人の人生になりうるのである。』
いつかの時代まではきっとこんな人がたくさんいたのだと思う。この本に収録されている作家たちと同じように、悩みの種であったり反対に悩みから救ってくれるものであったり悩みから逃げる先であったりしたはずだ。それがいつの頃から人生哲学の部分が消えてしまったのだろうか。ひょっとしたら「釣りバカ日誌」が映画になったころだろうか。それともダイワやシマノのカタログがやたらと分厚くなるにつれて釣りをするのにお金がかかるようになってからだろうか。
いづれにしても人並みに仕事ができないのに釣りに熱中してしまっていると僕にも後ろめたさという人生哲学が残ってしまう。そんなことを思わずにただ釣ることだけに熱中したいものだが、山村聰のことばを借りると、「釣り自体が遊びを超えてその人の人生になりうるのである。」から、その釣りにはそのひとの人生観が反映されるのだから仕方がない。
僕の最後の釣行は一体どこにいって何を釣ることになるのかはまだ知らないが、その時まで僕の悩みは終わらないのかもしれない。

取り上げられている本の中で、間違いなく過去に読んでいるという本は、13冊あった。ほとんどはこのブログに書いていないということは15年以上前に読んだものなのだろうが、それにしてもほとんどまったくといっていいほど記憶に残っていない。これが情けない。
名前の知らない作家でもその人の略歴や釣りとの関わりについてのエピソードが書かれているのでなんとなくとっつきやすく感じるので機会があれば読んでみようと思える。そういう書き方も好感が持てた。

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加太沖釣行

2020年09月11日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:小潮 6:19 干潮
潮流:7:15 下り2.2ノット最強 10:41転流
釣果:タチウオ 7匹

昨日の天気予報はサイトによって違っていた。「ウエザーニュース」では夜明け頃に雨でその後は曇りか晴れ間が出る予報、一方、ピンポイントで地点ごとの天気が見える「海天気.jp」は友ヶ島は夜明けごろに雨が降って一度上がってまた降ってくるという。どちらにしても加太への道中は雨に降られないようだ。
そして今日は小潮。秋の釣りの開幕としてタチウオを釣りたい。船の速度は2割減になってしまっているが無理をすれば洲本は無理でも小島沖ならなんとかなるだろう。

朝、家を出るときは下弦の月とオリオン座が見えていたけれども間もなくほとんどの星が見えないほど雲が広がってきた。これは両方のサイトの予報通りだ。港へ到着するまではなんとか降らないでほしい。
東の空が幽かに明るくなるころに出港。



南の方の雲の中では雷が光っている。なんだか不気味だ。
船の速度は思っていた以上に遅くなってしまっていて、これでは減衰は2割以上だろう。2200回転まで上げても時速20キロを超えることができない。これは相当燃料を食ってしまうぞと思うが、来てしまった以上は仕方がない。幸いにして風も波も穏やかだ。逃げるようにして帰港しなければならないということはないだろう。

潮が緩くなってくるまでは非武装ポイントで今年最後のタイラバを試した。小さなアタリが3回あったが鉤に乗るまでには至らなかった。魚探の反応はかなりあり、多分真鯛ではないようだが、一体何なのだろう。この反応の中でアタリを取ることができないのであればタイラバ失格ということなのかもしれない。

潮流は最強の時刻に近づいているが、流れは穏やかだ。これくらいの流れだと十分タチウオを狙えるのではないかと思い、すぐに移動を決意。
すぐ目の前のポイントに向かう。釣れていないのだろうか、タチウオを狙っている船はほとんどいない。タイラバをやりながらこの方向を観察していたら、ここを諦めたのか洲本の方へ向かう船もあったのでこのポイントはイマイチなのかもしれないが僕はここで粘るしかない。



さっそく冷凍イワシをテンヤに括り付けて下してゆく。それからしばらくして小さなアタリがあった。ほんの幽かなものだ。もう少し食い込まそうと待ってみるがそれきりだ。こういうことが数回あった。テンヤを引き上げてみると、しっぽだけが無くなっている。



前半はこれの繰り返しだ。調子のいいときは、「いつでもあわせていいからね~。」という感じでタチウオがテンヤにガツガツとかじりついてくるけれども今日はそういうエクストラヴァガンザは期待できそうにない。
それからはアタリがあれば小さくても即合わせする方針に変更。そこからは少しずつタチウオが釣れはじめた。しかし型は小さい。あの、合わせた直後にドカン!!という重みが感じられない。紀ノ川河口で釣れるサイズとまったく違いがない。

持って行ったエサを半分ほど使った頃に雨が降ってきた。



これは「海天気.jp」に軍配があがったかと思ったら雨が降っているのはどうもこの辺りだけで東の方、和歌山市の中心部らしいところには青い空が見える。



と、いうことは両社引き分けということか。しかし、最近の天気予報はすごい。和歌山市の中心とここは直線距離で15キロほどしか離れていないけれどもそんなピンポイントでも予報を違えない。

ただ、雨が降り始めるころにアタリが遠のくという予報は出ていなかった。ちょうど潮が止まった頃(今日は潮流表の時刻よりも転流時刻が早かったようだ)と重なったのかもしれないが、アタリが無くなってしまった。雨が降ってきて気圧が下がったのかと思い、水深60メートルくらいまで探りを入れるとアタリはあったが鉤に乗らない。テンヤのイワシは無傷で枝鉤のイワシが無くなっているところを見るとこの時間のタチウオもかなり神経質になっているようだ。

それを汐にタチウオを終了。中の瀬戸とコイヅキはまだ下りの潮が残っているかもしれないと最後にタイラバをするために回ってみたが、コイヅキにいたっては潮が上り始めていた。これではだめだと午前11時に終了。



帰りの道中も雨が続いていた。港に向かう東の空は明るいが、西から迫ってくる雨雲を追い越すことができない。いつまでたっても雨雲の中にいる。船の速度がもう少し早ければ脱出できるのだが・・。



船の航跡を見てみると、意外ときれいだ。これは間違いなくスクリューが原因だ。かなりフジツボが付いていて推進力を下げているのだと思う。去年は港の水がきれいだったと何度か書いたことがあるが、今年の夏も途中まではそこそこきれいだったのだが、8月に入って少しずつ例年並みの汚さになってきた。やはり猛暑が影響しているのだろう。
以前も、スクリューのゴミをかき落としてやったら少し速度が戻ったので次の休みに作業をしてみようと思う。船底塗装のために上架をお願いするとしても早くて来月だ。あとひと月以上なんとか我慢しなければならない。
速度の減衰を、せめて1割台まで戻したいものだ。
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「ぐつぐつ、お鍋」読了

2020年09月09日 | 2020読書
石井好子、岸本佐知子、山口瞳 他 「ぐつぐつ、お鍋」読了

泥酔のアンソロジーの次は鍋料理に関連したアンソロジーだ。そしてこの本の著者はけっこうお歳の方が多く、1900年代の初めごろから1950年代までの生まれの人が多い。もちろんすでに亡くなっている人も多い。

この年代の人たちの文章というのは、たとえ鍋料理がテーマとはいえ、重厚だ。若い人とは違う。なんだかこっちのほうが読み慣れている感じがする。

そういいながらも、僕もそんなに鍋料理に対する思い入れもなく、おまけに約1/3は電車の中でほろ酔い気分で読んでいた(ちょうど北大路廬山人のあたり)のであまり頭の中にも残っていない。ちょっと残念・・・。

しかし、今年は、「わかやま〇しぇ」でもらってきたラーメン出汁がたくさんある。あまりにも安いかタダでもらえるものばかりなので賞味期限が近かったりすでに過ぎていたりのものばかりだが、調味料なのだからそういうことは気にせず奥さんに頼んで独創的な鍋料理を作ってもらおうと考えている。しかし、最近はまったく釣果に恵まれず、このままの調子で冬に突入してしまえば魚スキにはありつけないかもしれない。
野菜だけは叔父さんの畑でたくさん生えてくるだろうが、魚があるときは調味料がなく、調味料がないときは魚がない。まあ、人生、こんなもんだ・・。

この本のシリーズには、ごはん、ラーメン、お肉に特化したアンソロジーもあるそうだ。もし、目に留まったらまた読んでみたいと思う。
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「泥酔懺悔」読了

2020年09月07日 | 2020読書
朝倉 かすみ, 中島 たい子他 「泥酔懺悔」読了

お酒、とくにお酒を飲む行為について書かれたアンソロジーだ。筆者が女性ばかりというのが面白い。11人の作家、漫画家、俳優などが書いている。

ほとんどの作家が1960年代の生まれのひとというのは、ちょうどこのころに男女雇用機会均等法が施行されたことと関係があるのだろうか。それまでの女性というのは社会的には大半が男性の陰に隠れていてお酒を飲むというのも大っぴらにできなかったということがあったのかもしれない。
「懺悔」と書かれているが、特に酒の席での失敗談ばかりではなく、それぞれのお酒にまつわるエピソードという感じだが、酒の種類や銘柄にこだわったり、シチュエーションにこだわった書き方がされていないのがやはり女性らしい書き方のように思う。

最近はやたらと飲んでいる。それも昼間っからだ。休日は午前中に釣りを含めてやりたいことをやってしまって、午後からは撮り溜めしたビデオを見ながら洋酒や焼酎を炭酸で割ったものを飲んでいる。(エアコンのない蒸し暑い部屋で・・)テレビにハードディスクをつないだらBSやCSの番組を簡単に録画できるようになった。だから見るものには事欠かない。今年の夏は暑かったので、よけいに外に出る気もおきず、日差しのおかげで庭に植えているミントは豊作だったのでなんちゃってモヒートや偽物カンパリソーダを作るとジュースのようにゴクゴク飲めてしまう。
こんなことやってたらアカンよなと思いながらも時間になると飲みたくなってくる。もう、これは中毒になっているんじゃないだろうかと怖くなる。

そんなに飲みながら全然アルコールにはまったく強くない。昨日も帰りの電車のなかで缶ハイボールを飲んでいたら、本の活字は追っているが内容がまったく頭に入っていなかった。まあ、これは北大路魯山人の文章を読んでいたということもあるが・・。



そしてこれを書いている翌日、なんだか背中がだるい。肝臓が疲れているのかもしれない。

「ゲーム脳」というものがあるそうで、テレビゲームをやりすぎるとこんな人間になるらしい。
『この人たちは、ほとんど会話をせず1日を過ごすパターンでした。コミュニケーションがほとんどなく、昼休みもひとりで弁当を食べるだけです。
表情が乏しく、身なりに気をつかわない人が多いようです。気がゆるんだ瞬間の表情は、痴呆者の表情と非常に酷似しています。ボーッとしているような印象です。自分勝手であること。羞恥心がないこと。そういった人間らしさが乏しい印象の人は、ゲーム脳人間か、ゲーム脳人間になりかかっている危険があります』
なんだか、アルコールに弱い人が毎日酒を飲み続けてもこんな人間に堕ちていっているような気がする。

いつかは抜け出さねばと思いながら僕も懺悔するのである。


ここからは与太ばなし・・。
先日、詐欺師に間違われた。僕の今の仕事は、登録している顧客にいろいろなものを売り込むというものだ。要は、別段必要もないものを無理やり売るというもので、家によくかかってくる電話セールスだ。若干の違いは、相手が了解済みで個人情報を提供しているというところだけだ。
お肉いりませんか?とか、スイカ食べごろですよなど、最近はぶどうを売っている。僕が家でこんな電話を受けるときの反応も同じだが、大体うっとうしいと思われている。口調でわかる。
そんな電話の向こうのひとに対していつも思っている。この人たちはその仕事に誇りを持っているのだろうかと。いつかは真剣に聞いてみたい。
そして僕はそう思われている側の人間になってしまった。
そんな電話に加えて、支払いの悪い客に「今月、まだ落ちてませんけど・・。」というような電話もしている。
そんな相手のひとりに詐欺師呼ばわりされたというわけだ。銀行から落ちてないと言っておいて二重に盗ろうとしているんだろうというのだが、わざわざそんなことをしてたった26000円をだまし盗ろうと思わないし、そもそも来月引き落としますから口座に入れておいてくださいとしか言っていないのにどうやってだまし盗れるというのか・・。
わざわざ折り返しの電話をしてきて、電話した人間が実在しているかを確かめるというのだから、本気で詐欺師と思ったのだろう。
しかし、これが電話の向こうの人たちが僕に抱くおそらくは最大公約数的な印象だと思う。無駄な消費が経済を回しているのだから大切な仕事だというのはまったくの方便だ。お給料をいただくためとはいえ、なんと下賤な仕事をしているのだろうと、詐欺師になってみてあらためて思うのだ。
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水軒沖釣行

2020年09月05日 | 2020釣り
場所:紀ノ川河口
条件:中潮 7:42満潮
釣果:タチウオ 8匹

台風10号が近づいている。9号とほぼ同じ九州の西側海上を通るコースなので同じ勢力ならそれほど心配することもないのだが、9号に比べるとはるかに勢力が強いらしい。
そんな台風を目の前にして加太まで行く勇気はないので紀ノ川河口でタチウオ狙いとした。

今日は午前4時15分に出港。



台風の影響でうねりが港にも入ってきているのか、係留している船はみんな前後左右同じ向きにゆっくり揺れている。それに加えて渡船屋が臨時休業しているので一瞬エンジンを始動させるのを躊躇する。



ただ、揺れはわずかだ。どうせ2時間も釣りをしていない。それくらいの時間ならうねりも高まることはないだろうと考えなおして出港した。

沖にうねりが入ってくると魚は港内に避難してくる。それに加えて真っ暗な中、いきなり外に出るのも怖いので海保の巡視船が係留されている辺りから仕掛けを流し始めた。そしていきなりアタリ。指は3本くらいのものだがたくさん魚は居そうだ。それならばもう少し先を探ってみようという心が芽を出す。釣り師の法則として、「トオクハツレール」というものがある。これは、遠いところに行くほど魚は釣れるのだという錯覚にも近いものだが、僕もその法則を信じているもののひとりだ。白崎よりもすさみ、すさみよりも串本、30メートルのラインよりも40メートル、いや、50メートルのところまで行けばきっと釣れるのだと思っている。そして少しずつ沖を目指した。

頻繁ではないがアタリはあるものの、あがってくるタチウオはベルトサイズを通り越して真田紐サイズだ。これでは食材にならない。なんとか食べられそうなものを除いては海にお帰り願う。瀕死のものもあるが仕方がない。

毎回のとおり、南海フェリーが入港してくる頃からアタリが多くなり、



出港していく頃にはアタリが遠のいてきた。



港内はどうだろうとかと移動をしてゆくがあまり芳しくないのでこれで終了。
今日釣りに出るような物好きは僕くらいだと思っていたら、河口には4隻の船が見えた。帰途には港内で同じ港に係留しているKさんもいた。今日の結果を聞いてみると僕の倍は釣っていたようだ。やっぱり港内のほうが魚が多かったのかもしれない。やっぱり調子にのって遠くまで行き過ぎた。

暗いうちはわからなかったが、辺りがあかるくなって景色が見えるようになると、新々波止の切れ目にある低い護岸が波で洗われている。ここは護岸の北側になるので一見穏やかだが、予想以上にうねりは大きいようだ。奥に見える番所の鼻にも大きな波が打ち寄せている。



こんな中、僕よりももっと物好きと思われる加太を目指していく釣り船もあったけれども大丈夫だろうか・・。まあ、うねりだけだと意外に釣りをできるものだけれども、船に弱い人は間違いなく酔ってしまう。ぼくも何度かそういう経験があり、結局行っても釣りにならないという結果になるのだ。

港に戻って台風に備えロープを増やした。



隣のNさんは早々に3日ほど前に僕の船とロープでつないでくれていたので今日は護岸に新たなロープを追加するだけだ。小船のほうも隣のTさんに迷惑がかからないように艫から護岸にロープを渡して舳先にもロープを追加。いつもの形だ。大きいほうの船のデッキには細々したものをいくつか乗せているので飛ばないように片づけたが小さいほうはそれほど飛ばされそうなものがないのでそのままだ。一昨年の21号クラスが直撃するわけではないので大丈夫だろう。


すべての作業を終えていつもの「わかやま〇しぇ」へ。



早く切り上げたのはここのお店午前7時を過ぎると閉店してしまうからという理由もある。いつものお店を覗くと、今日はレトルトのハヤシライスやカレーなどがお安く出ている。2個ずつ買ってご自由にお取りくださいコーナーに行くと大物がたくさん並んでいる。卑しいけれどもどっさり頂戴して貧果の代わりとした。




そして最後に・・
隣の船のNさんがこんな写真を送ってくれた。



今日の午後に撮ったものだそうだ。
前にもこのブログで書いたが、僕の船のデッキで休憩している犯人だ。やっぱり間違いなくアオサギだった。鳥にもなわばりのようなものがあって、大体同じ場所に立っているようなのできっと彼はここを自分の縄張りだと考えているのだろう。今年の猛暑はさすがに堪えたとみえて、影のあるところを休憩場所に選んだようだ。同じタイプの船はこの港に4艘あるけれども、2艘は渡船屋の係留場所にちかくて人の往来が激しく、もう1艘はスパンカーのブームのロープが張りだしているのでデッキに着陸できなかったのだと思う。
しかし、彼(彼女?)はなかなかきれい好きらしくウ〇コを垂らさない。それがまだ救いだ。多分、カワウだと思うがやたらとウ〇コを落とす鳥もいた。それがアオサギに押しやられて来なくなってくれたようなのでそれはそれでいいことだ。しかし、やっぱりやたらと羽毛が落ちているのには閉口する。洗い物用にバケツに雨水を溜めているのだがそれにもたくさん落ちている。せっかく溜めた水もこれでは使い物にならない。
オーニングの下にロープを張り巡らせてやれば来なくなるのかもしれないが、猛暑が過ぎるまでもう少し場所を提供してあげようと思っている。


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「海を歩けば―アジアの生物多様性に魅せられて」読了

2020年09月04日 | 2020読書
小菅丈治 「海を歩けば―アジアの生物多様性に魅せられて」読了

南西諸島を中心に、台湾、ベトナム、フィリピンなど、日本に近い東南アジア海域の熱帯性の無脊椎動物の研究をしている研究者の著作だ。
この本に取り上げられている生物はすべて干潟の砂泥質の海岸に住むものばかりだ。具体的にはカニ、アナジャコ、ユムシといった、ほとんど食材としては有用ではなく、したがって水産業でも役に立たない生物ばかりだ。分類や生態がわかったとしてもおそらく何の役にも立たないものであると思う。ましてや僕にとって沖縄や東南アジアの海なんて無縁だ。それゆえに何も考えずに読める。
自然の摂理のひとつがそこにあって、間接的には何か影響を受けているかもしれないが、ほとんど人類の未来には何の関係もない。でも、すぐそばにそういう世界があるというのはなんだかホッとする。

コロナウィルスも同じように自然の摂理のひとつだがこっちはやっかいだ。本当はどこまで厄介なのかというのは僕にはわからない。インフルエンザと比べてどうなんだろう。死者が1300人を超えたというけれども、毎年インフルエンザで死ぬ人ってもっと多かったりしないのだろうか。老人は重症化するというが、インフルエンザでもどれくらいの老人が重症化するのかという比較もされているのだろうか。
まあ、どちらにしても、このウィルスをしのいだとしてもまた新たなウィルスが発生するかもしれないと思うと世界中の人が疑心暗鬼になって今の生活を崩せないだろう。日々マスクをして人の集まるところに行かない。とにかく人と離れて生きる。
これが新しい生活様式となるのだが、わが社の売り上げも先月は前年比19%マイナス。一時に比べればましじゃないかと思ってしまうのはそうとう感覚がマヒしてしまっているからだ。2割も売り上げが落ちたらえらいことだ。リストラも現実味を帯びてくるのではないだろうか。僕みたいに首にしたいやつはまだまだいるだろうし・・。
テレビドラマも現在をリアルに描こうとすると登場人物はみんなマスクをしている。アクション映画も格闘する前に、「Are you 陰性?」と声をかけあってから始めなければならないとなると滑稽だ。
ただ、マスクはやる気のない表情を半分隠してくれるし、今月からはコロナ休暇がまた増えてきて週1回もらえる。週休3日だ。釣りに行く日をセーブしないと体力が持たなくなりそうなほど休日が多い。
屈辱的なコンビニ店員の仕事もコロナのおかげで中途半端に終わってくれた。そして、3密は避けろというが、僕の生活はこれまでと全く変わっていない。世間体が保てないところだけマスクをつけるだけだ。
だから、ずっと新しい生活様式が続けばいい。会社もリストラがない程度に疲弊すればいい。

ウィルスがどこかにいると思うとホッとはしないけれども僕にとっては海辺の生物と同じだ。
本文と全く関連性のない文章になってしまった。
最後に少しだけこの本に関して・・。
文章やその内容から、かなりお歳の著者かと思って奥付けを読んでみたら、僕と同じ歳のひとであった。この人もきっと自分のやりたいことができている人だと思った。
この本は生物学の書架ではなくて日本文学の書架に並んでいたが、それはきっと著者の無脊椎動物に対する愛ゆえなのだろう。

もっと最後に・・。
アベ総理の退陣にあたって面白いコラムを読んだ。その趣旨は、「ウィルスには忖度する心がないのでアベさんに対して忖度してくれなかった。だからコロナに負けて辞職となったのだ・・」
これは的を射ているなと思った。

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「くるま暮らし」読了

2020年09月01日 | 2020読書
静慈彰 「くるま暮らし」読了

山奥ニートの次はワンボックスカーで自由に暮らす僧侶の話だ。この人も高野山に実家があるという。和歌山にはこういう人が多いのだろうか・・。
確かに自由に生きるということと和歌山はよく似合いそうだ。NHKだったと思うが、車の中で生活している僧侶のドキュメントがあり、多分この人のことだったのだと思う。(こんな人は日本ではふたりといないだろう。)そのことが記憶の片隅にあり、この本を手にとってみた。

著者は煩わしい人間関係が嫌になりワンボックスで旅をしながら暮らす道を選んだ。ただの放浪ではなく、僧侶としての仕事しながらだ。
実家は高野山の塔頭のようだが、父親は徳島のお寺が実家であり、自らは滋賀県のお寺の住職をしているらしい。基本的にはこの3か所を拠点に車で旅をしながら暮らしている。
車で暮らすというとホームレスのような印象を受けるが著者は僧侶としてきちんと収入を得ながら社会貢献もして生活をしている。各地で葬式や法事の法務を請け負い、瞑想教室も開く。そうしながら自分が住職をしているお寺の檀家も増やしていく。

前半は車で暮らすことのノウハウ的な内容だが、最後の2章は著者が生きてきた半生と車の中に寝泊まりするようになった経緯が書かれている。その内容は壮絶でまた、共感できる部分もある。
中学生時代の親からの勉強の強制。高校時代の寮生活での暴力と教師たちがとった顛末。宅浪して大学に合格。アトピーの苦痛。大学時代は面白おかしく暮らしたが3年の時に友人関係のトラブル、失恋から引きこもり。卒業したのち父親の勤める高野山大学大学院へ入学するが学問のための学問になじめず中退。西成で音楽活動。手伝いをしていたお寺のおかみさんに勧められて開教師としてアメリカへ渡る。破天荒な布教活動と信者を集めすぎたためクビになる。裸体に般若心経を書いてアート雑誌に発表したところ現地の主幹の逆鱗に触れたらしい。真言宗的にはこれもありだと思うのだが・・。信者を集めすぎてクビというのも本末転倒のように思う。しかし、これが組織。ひとと違ったことをすると煙たがられる。そして組織に所属していることに対する苦痛と矛盾を感じる。
東京の寺に養子に行くも住職の色恋沙汰に巻き込まれ養子縁組を解消。僧侶派遣で食いつなぐ。
その後結婚。妻の束縛に耐えられずに友人が暮らすニュージーランドへ逃げる。その友人はホンダオデッセイの中で妻と暮らしており、その魅力に気づく。
帰国後、自分も日産キャラバンの中古を購入しくるま暮らしを始める。

僧侶という、心を鍛える修行をしていなければとても耐えられそうにない人生の荒波に見えるが、家がしっかりしているからできる自由な生き方のようにも見える。
そして、僧侶としての特殊な職業であることがこういう生活を可能にしているのだろうが、何でも自由にできるということがうらやましい。専門的な技術を持っているということは強みだ。
何も自分磨きをしてこなかった自分が恨めしい。ただ、そういった糧があったとしてもはたして自分にこんな生き方ができるかというとそれはないだろう。自由にお金が稼げて社会からも必要とされるとなるとそれで満足しきってしまいそれ以上のことは望まない。


著者は自分自身のことを社会不適合者として生きているという。その理由は、「忖度抜きで、おかしい時にはおかしいと言える自由な立場が欲しい。そのためには、自立していなければならない。依存すると、自由がなくなる。」ということだ。ここのところはよくわかる。
会社もしくは会社というところはおかしなところだ。(僕が務める会社だけかもしれないが。)時にクレーマーを相手にすることがあったが、そんなとき、上司たちはどんな理不尽な要求を言われても事を荒立ててそのことが上の人の耳に入ることだけを恐れていた。「どうして一緒に戦ってくれないんですか。」と聞くと、「会社には迷惑をかけられない。」そんな答えが返ってきた。僕たちはクレーマーの侮辱に必死で耐えるしかなかった。それでも僕は耐えられないからひとりになっても戦っていると、上司たちは、いい加減にしろと僕を悪者にした。僕はただ、自分の部下を守りたかっただけだった。
新規事業を提案するときでも、これからはネットでの情報発信です。こうやって会員を集めましょうとこれから使う経費と同じくらいの額でやれますと発言したときも、じゃあ、その情報を手にしたひとが他店で買い物をしたらこっちが損するだけじゃないか。とそんなことを言う上司がいた。まあ、これは少し時代が早すぎたということもあったかもしれないが、この人、アホとちがうかと思った。でも、僕のほうが放り出された。今、その分野ではわが社は完全に後れをとっている。
そして友ヶ島の海岸に散らばっている浮遊ゴミのように流れ着いたのが今の部署だ。ゴミみたいな仕事(仕事というのもおこがましい)をやっている。同じ部署の人たちは誇りをもってこんな業務にいそしんでいるのだろうかと疑問に思う。まあ、こんなことをしていても給料をくれるのだからありがたいといえばありがたいけれども・・。
そんなだから、僕もこの社会と会社は生きづらいところであるといつも思っている。

著者はそういう人に対して、「愛する家族や信頼できる仲間に囲まれて、信頼できる社会の中で生きることができれば、それはとても幸せなこと。でも、もし僕のように生まれついてしまったら、あるいは後天的にそうなってしまったら仕方がない。どんなに自分がイタくても、家族や仲間や恋人から心無い言葉をかけられても、自分だけは自分の味方でいてあげることだ。」と語りかける。

著者はインドを旅したとき、ある瞑想法を覚えたという。これはお釈迦様もおこなっていた修法だったそうだが、著者はその瞑想の中で自分が生きてきた歩みを振り返りそれを肯定してみた。そうすると、死ぬほど苦しかったアトピーの発作が急に治まり気持ちも楽になったという。
自分を肯定するという行為。これが大切であると結んでいる。

くるまの中で旅をしながら暮らしているというとちょっとお気楽な人かヒッピーかと思い、前半はただのノウハウ本かと思うような展開であったけれども、最後の最後に56歳のおじさんにも考えさせられる内容であった。

無駄な消費が経済を回しているのだというが、ゴミのような仕事をしながらそれに加担するというのも悲しい。
残りのサラリーマン人生を終えた後、この会社にも雇用延長の制度があるけれども、おそらく今と同じ業務かコンビニ店員しか仕事はもらえないだろう。こんな仕事では雇用延長に応じたいとも思わない。
幸いにして、今のところ借金はない。その分、自由に生きたい。アルバイトでもしながら叔父さんに畑を借りて耕す生活はどうだろう。できればそれを売って少しでも収入を得るこができれば本望だと、ささやかな希望をつぶやいてみるのだ。
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