肺炎を患ってからの義父の容態は良くなったり悪くなったりを繰り返しながら今に至っている。
彼の血中酸素飽和度は80%台が通常になり、咳も毎日続いている。
それでもベッドをリクライニングに替え、一階のリビングに移し、日当たりの良い広々とした空間で過ごせるようになってから、少しずつ様子が変わってきた。
看護師が7人、日替わりで彼の基本的な世話を引き受けてくれるようになったおかげで、義母が終始近くに居る必要が無くなり、彼女にとってもずいぶん楽になった。
夫の単独ペンシルバニア通いはもう何週目になったのだろう。
1週間のうちの約半分を向こうで過ごし、義父の体調を整えるための漢方を処方し、必要があれば鍼を打つ。
義母の不眠や疲れにも対処しなければならないから、いつの間にか大きなビリヤード台が漢方薬の容器と処方箋で埋め尽くされていた。
今回は息子たちの同伴も無く、一人で運転しなければならなかったが、6日間続いた便秘を解消し、血中酸素飽和度が90%台に戻った義父に、ピアノの音を聞かせてあげるのは今だと思い、楽譜をバックパックに詰め込んで行った。
あいにく空模様はぐずついていて、時々ゲリラ雨にも見舞われて、何度かハラハラさせられたドライブだったけど、なんとか無事に到着し、ピアノを弾きに来たよと義父に告げると、うんうんと頷いてくれた。
義父が居るリビングには、彼の母親の形見の古い古いグランドピアノがある。
もう何年も調律をしていないから、きっとひどい音だと思うと義母が心配していたが、弾いてみるとそれほどでもなかった。
低音部に弾いても音が出ない鍵盤があったけど、まあそれほど大きな影響が無いので無視をした。
義父が若かった頃に愛したであろう曲や、クラシックの中から穏やかで温かく、懐かしい感じがする曲を選んで弾いていたのだけど、何曲か弾き終わった時に急に、「ワォ!」という義父の声が響き渡った。
そこに居た誰もがびっくりして、顔を見合わせていた。
この数ヶ月、彼のそんな大きな声を誰も聞いたことが無かったからだ。
わたしも心臓がドクンとした。
その後すぐに嬉しさが込み上げてきて、だけど楽譜が読めなくなると困るので、泣きたくなるのを抑えながら演奏を続けた。
父のその声は、わたしがピアノを弾いた時によく言ってくれてた、まだまだ元気そのものだった頃の彼の声と同じだった。
父は音楽が大好きで、わたしたちをよくオペラやミュージカルや著名な演奏家の演奏会に連れて行ってくれた。
どれもチケット代がバカ高かったので、その合計額を頭の中で計算しては仰天したものだ。
終わったらいつもどうだった?と言うので、もうめちゃくちゃ感動した、どの場面のどの演技が素晴らしかった、あの役者はイマイチだったなどと好き勝手なことを言ったけど、義父はそれを嬉しそうに聞いていた。
見ず知らずの、異国の、正式に離婚の成立もしていない8才も年上の、しかも2人の幼児を連れたわたしと共に生きていくと決めた息子を信じてきてくれた。
義父は初めて会ったその日からずっと、わたしや息子たちを大切に思ってきてくれた。
尊重し、認め、愛し、わたしたちがわたしたちであることを両手を大きく広げて受け入れてくれた。
彼はわたしを素晴らしい母親だといつも褒めてくれた。
そしてどんな状況の時でも、いい仕事をしている、勇気がある女性だと讃えてくれた。
彼は自分の気持ちや考えを伝えることがほとんど無かったし、スケジュールを決め、それにみんなを従わせることは当然だと思っている人だったから、小さな衝突は何度も起こった。
夫を含む3人の子どもたちとも、開けっ広げであたたかな関係を作ろうとしなかったから、3人それぞれが苦い思い出を抱えている。
義父は昭和時代で言うモーレツサラリーマンで、だからこそ大企業のトップにまでのし上がったのだけど、早くに引退してからも他の大企業の相談役などをずっと務めていたので、義母は寂しい時間をたくさん過ごした。
昨年、二人は結婚60周年を迎え、ズームチャットでお祝いをしたばかり。
60年といえばわたしの人生とほぼ同じ年数で、わたしと夫は30年だから、まだまだ小僧なのだという気がする。
ピアノを弾いていると、ベッドの方からいびきが聞こえてきたので演奏を中断した。
子守唄になったのならそれも嬉しい。
台所に戻ってお茶を飲んでいると、夫がやってきて、また弾いてって言ってると言うので居間に戻った。
それからまた少し弾いていると、またもやいびきが聞こえてきたので、とりあえず今日はこれでお開きにして、また来週にはどんな曲を用意しようかなどと考えながらベッドの横のカウチに座っていると夫から呼ばれた。
ベッドに近づいていくと、夫が義父に、今日のピアニストと握手をしないか?と言って、義父がそろそろと手を伸ばしてきた。
わたしはその手を両手で包みながら、義父に、ピアノを弾かせてくれてありがとうと伝えようと彼の目を見た。
本当に本当に驚いた。
それまでずっと白濁して、ほとんど見えなくなっていた彼の目がすっきりと澄んで、綺麗な、かすかにグレーがかった青色に戻っていたからだ。
一体何が起こったのかわからないけれど、彼のその目の色を見たのは本当に久しぶりだったので、カメラに収める代わりにわたしの心の引き出しに収めることにした。
彼のあの「ワォッ!」という声と一緒に。
お義父さんありがとう。
お義父さんからはもらってばかりだ。
どんなに感謝しても絶対にし足りない。
これからのわたしは、ピアノを弾くたびに、あの「ワォッ!」と青い目を思いだすだろう。
そして何度でも嬉しく、懐かしくなるだろう。
また弾きに行くからね。
待っててね。