ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

お味噌とジュゴン

2018年01月14日 | 友達とわたし
久しぶりに、友だちと一緒に、我が家でお味噌作りをした。
今回はちょっと、ホスト役として、新しい方法を試してみた。

ニューヨーク組のわかちゃんとみきちゃんは、大豆を水に浸けたものなんて重くて持ってこられない。
どうせ全員分の大豆をこちらで調達するんだから、それじゃあわたしが大豆の下準備をしてしまえばいいんじゃないかということで、

一人1.5パウンドの大豆だから、合計6パウンドのオーガニック大豆を買って、それを水が透明になるまでよく洗い、18時間以上水に浸けるということなので念のために24時間浸け、水を入れ替えて早朝から煮始めた。


うまくいってくれよぉ〜大豆さぁ〜ん!

いつもは圧力鍋で煮ていたので、こんなにアクが出てくるとは知らなかった。


四つの鍋のフタを開けてはすくい、またすくい、寒かった台所がじわじわと暖まってくる。


お昼過ぎにみんなが到着。
ちょうどいい具合に、大豆が煮上がった。
柔らかく煮上がるかどうか、実はずっと心配してたので、ホォ〜ッと一安心。

煮汁がもう美味いのなんのって!


塩切りをした玄米麹。


まぜまぜタイム!









わかちゃんが、韓国餅菓子にぞっこん惚れてるわたしのために、わざわざ朝から買いに出かけて持ってきてくれた!


みきちゃんがお土産に持ってきてくれた、めちゃウマチャーシュー!


これはみきちゃん手作りの黒にんにく!こんなのが作れるなんてすごい!


歩美ちゃんが持ってきてくれたお餅を焼いて、美味いもん尽くしをいただく。いや〜、労働の後のメシはうめぇ〜!



女子会のおしゃべりの話題は尽きない。
なんだかんだと楽しくしゃべりながらジュゴンの折り紙を折ってたら、あっと言う前にたくさん折れた。


どうしようもない協定や条約をそのまま野放しにして、イマだけカネだけジブンだけの連中が、沖縄の美しい自然を破壊し続けている。
そのために、そこにだけしかないエサが食べられなくなったジュゴンは、絶滅の危機に晒されている。

沖縄を大切にしないことは、自分を大切にしないことだ。
沖縄を無視することは、自分を無視することだ。
沖縄とわたしたちは、一人一人、とても強くつながっているのに、そのことに気づかない、気づこうとしない、気づいているけど気づかないふりをしていると、
気づいた時、気づこうとした時、気づかないふりをやめた時に、もう手遅れになっている。

自分を大切にすることは、沖縄を大切にすること。
自分を無視しないことは、沖縄を無視しないこと。

手作りのお味噌は美味しいだけじゃない。
体を中から強くしてくれる。

また、通い合える心を持つ友だちと一緒に、お味噌を作りたいな。
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愛の人ルエル

2017年10月24日 | 友達とわたし


土曜日の朝、急遽カナダに飛んで、ルエルに会いに行った。

ルエルはその二日前の木曜日に、家の中で転倒したまま起き上がることができなくなったが、最愛の妻イライザと家族の大奮闘が実を結び、ユダヤ系のホスピスに入院した。
その知らせを聞いて、すぐにでも駆けつけたかったのだけど、週明けの月曜日の夜には、義父の長年における芸術振興への支援活動が認められ、その功績に対する受賞を祝う会が控えていた。
わたしたち家族は、ただ祝いに行けばいいだけなのだけど、全米から選ばれた5人とあって、錚々たるメンバーや客がやって来る。
だからタキシードだのドレスだの、わたしたちの日常には全く関係のないものが必要となってしまい、慣れないことに右往左往していた。

そんなこともあってぐずぐずと考えあぐねているうちに、あっという間に金曜日が過ぎて、土曜日の午後になってしまった。
夫は何も言ってこない。
どうしたいんだろう?どうしようと思っているんだろう?
それとも今は考えたく無いのだろうか、それとも今週末は無理だと思っているんだろうか。
それを見極めようと様子を見ていたが、さっぱりわからない。
とうとうたまらなくなって声をかけてみた。

「なあ、もう今日は無理やけど、明日の朝、わたしはカナダに行こうと思う。どうせ行くなら、お葬式より会いに行きたい。どう思う?」

夫は最初、キョトンとした顔でわたしを見ていたけれど、みるみるうちに心が瞳に戻ってきた。
それを見てすぐに、ああ、この人は思考停止になってたんだ、とわかった。

それからバタバタと飛行機のチケットを買い、ホテルの予約をして(夫はその間何度も、パソコンに向かって罵声を浴びせていた)、混乱しているイライザの代わりに連絡係になってくれたルエルの弟ロビンにそのことを伝えた。

ルエルとイライザに会いに、これまで何度もカナダに行ったけど、いつも車だったので飛行機に乗るのはこれが初めて。
こんなにちっちゃいんだ…と、乗り込む時にかなりビビった。

一列だけの、前から2番目のわたしの席からは、コックピットがすぐそこ…。


風力発電があちこちに見られた。


別の飛行機が作った筋雲。


モントリオール近辺は、紅葉と畑がとてもきれいだった。










ルエルの父親のテリーが、空港まで迎えに来てくれるのを待っていたら、面白い車が目の前に現れた。
ゾウさんみたいな掃除機車?!



ルエルは、入院してからずっと、こんこんと眠っていた。
病室に入ると、ルエルとイライザの寝室にあった、真っ赤な掛け布団が真っ先に目に入った。
眠っていても声は聞こえる。
イライザに続いて夫が呼びかけると、ルエルの両目がパッと開いた。
イライザの声を聞いて、ニッと笑う彼に、みんながああよかったと、喜びと安堵が混じった息をはぁーっと吐いた。

喉の奥に居座った痰が気になるのか、何度も何度も咳出そうとするのだけれど、うまく行かない。
だからといって飲み物をゴクリと飲むと、体力が相当に弱ってしまっているので、気管に入って肺炎を起こす可能性が大きい。
イライザは、痰を薄める薬を溶いた水を、ほんの少しずつスプーンで与えてはキス、また与えてはキス。
彼らは知り合ってからこれまでずっと、ずっとずっと、本当に愛し合ってきた。
こんなに深く、強く、愛し合っている夫婦を、わたしは他に知らない。

3日ぶりに意識がはっきりしてきたので、食事を勧めてみると、食べたいという意思表示。
よし!とばかりに、イライザがせっせと口に運ぶ。
それを見守るルエルの両親のテリーとリンダ、弟夫婦のロビンとステファニー、そしてわたしたち。
病室の中がパッと明るくなった。
やっぱりここでもイライザのキスの嵐。
あーんと口を開いているのに、食べ物じゃなくてキスだったりすると、顔をしかめるルエル。
いいぞいいぞー!その食欲!

夫は、痰を切るツボと、食べたものをうまくこなせるツボを、イライザに伝えた。
イライザはそれを手帳に書き込む。
わたしも手のひらマッサージをする。

ちっちゃい頃からずっと、夏休みになると湖畔の家に集まり、家族ぐるみで過ごしてきたルエルと夫には、二人だけの秘密や思い出がいっぱいある。
だから夫は、言葉はとても少ないけれど、みんなが気がつかないでいるルエルが欲しいものを、さらっと口に出す。

「この部屋には、ルエルの大好きな音楽が無いね」

病室は相部屋なので、大きな音を出すことはできない。
だから、携帯電話でルエルの好きなアーティストの音楽を選び、それをイヤフォンで聞かせた。
すると、彼の頬がふわりと緩み、体全体がリラックスしたように見えた。

その後、何度も体をひねって横向きになろうとするので、体の向きを変えたいのかと思い、あれこれみんなで手を貸していると、
どうやら座りたいのだなということがわかり、ベッドの高さを調整したり、ずり落ちていた体をよっこらしょと上げたりして、やっと座ることができた。
ふう〜よかったよかった、気持ちいい?などと聞いているそばから、今度は足をベッドの縁に持っていこうとする。
え?なに?

夫がまた、そんなルエルを見て、ポツンと言った。

「立ちたいのか」

小さく頷くルエル。
週末で医者がおらず、看護師も少ない。
そんな時に、わたしたちだけでそんなことをさせていいのか?
みんなが戸惑っていたのだけど、立ちたい!という気持ちを全身で伝えている彼を無視して、再度寝かしつけたい者は一人もいなかった。
よし、やるぞ。
尿管の尿が逆流しないように、尿袋をあちこちに移動させながら、彼のやせ細ってしまった両足をベッドの縁に降ろし、両脇をロビンと夫とで支えながら、なんとか彼を立たせてあげることができた。
彼の両足はブルブルと震えていたけれど、そのあとベッドに戻ったルエルの顔には、大きな仕事をやり終えた人のような、なんとも満足そうな表情が浮かんでいた。


ホスピスの中庭には大きな池があり、立派な鯉が何匹も優雅に泳いでいた。
今頃のカナダはとっくに寒々しい天候になっているはずなのに、気温はなんと20℃?!
なので数人の患者さんたちが、本を読んだり瞑想したり、陽だまりの中で思い思いに過ごしていた。
テリーとリンダ、ロビンとステファニー、そしてわたしたちの6人は、お互いの近況を尋ねたり、趣味の話をしたりした。
最愛の息子、そして兄を喪おうとしている人たち。
けれども、その悲しみに埋もれて自分自身を失うべきではない。
みんなそれぞれの方法で、このとても辛い現実に向き合っていた。
そんな彼らの気持ちを思うと、わたしはただただ、強く抱きしめるだけしかできない自分が歯がゆくて仕方がなかった。

イライザは、わたしと二人きりになるとすぐに、おいおいと泣き出した。
家族の前では涙を見せず、ルエルには笑顔しか見せたくないとばかりに、ずっとずっと微笑みかけている彼女は、
だから本当は、大声を出して、地団駄を踏んで、この世に馬鹿野郎!と叫んで、号泣したいのだ。
その気持ちが腹の底からわかるわたしは、彼女にその機会をなるだけたくさん与えたかった。
全身を震わせて泣く彼女を抱き、肩や背中や頭を撫でて、ルエルにとって彼女がどんなに素晴らしい存在なのかを、
そして、ルエルはもうすぐ死んでしまうけれど、こんなに愛されて、痛みに苦しむこともないまま逝けるのは、彼にとっては不幸中の幸いだと、何度も何度も繰り返して話した。
彼女は愛そのものなのだ。
それも、とてつもなく大きな愛だ。
だから何もしなくてもいい。ただただ側にいてあげるだけでいい。
ルエルの人生に彼女が現れたことは、ルエルにとって人生最高の出来事だったのだから。


そのことはこの夏に、彼本人から、この公園のハンモック吊りの前で聞いた。


彼は同時に、混濁する記憶と闘いながら、こんなことを独り言のように呟いていた。
「僕は死ぬんだろうか。
いつ死ぬんだろうか。
イライザは死ぬんだろうか。
イライザは、僕が見送ってやりたい。
両親も、僕が見送ってやりたい。
僕は何歳まで生きられるんだろうか。
60歳、いや、70歳かな」

くそったれの腫瘍が、彼の脳を食い荒らしていても尚、自分は見守る立場にいたいと願うルエルの優しい心が、わたしたちを包む夕闇の中に溶けていった。



去年の夏は、いつもの湖畔に一緒に行った。
レストランで急に倒れ、ドクターヘリで搬送され、病院をいくつか変えた後に大きな手術を受け、そんなこんなのカオスがやっと落ち着いた頃だった。

カヌーに乗りたいと言い出したルエル。大丈夫かなと心配しつつ、明るく「もちろん!」と答えるイライザ。








そしてなんとこの日、ルエルは泳いだのだった!


一緒に、こんなふうに、毎年夏になるとここで過ごしてきたわたしたち。




来年の夏もここに来られたらいいね。
そう言ってたけど、今年の夏はやはり、湖畔まで行くのは難しくなり、モントリオールの彼らのアパートメントで過ごした。

音楽好きの二人。


いろんなところに散歩に出かけた。




足元がおぼつかない彼は、ついつい遅れをとるのだけど、いつだってこんなふうに、それより遅れて来るわたしのことを心配して、振り向いてくれるのだった。


ちょっとかしこまって。


キス魔イライザ。


彼女はもう、ルエルのことが愛おしくて愛おしくて、その気持ちが溢れ出てしまうのだ。




滞在中もせっせと折って仕上げた千羽鶴に、ルエルが苦しむことなく、この世での生を終えられますようにと祈りを込めた。



ルエルは、今日の1時に、この世を卒業した。
わたしはなぜか、その時間に、ルエルにさよならを言った。
カナダからとんぼ返りをして、義父の祝賀会に駆けつけ、帰りが夜中になり、心身共にクタクタだったのに、その時間まで起きていなければならない気がした。

ルエルは、眠りながら逝った。
イライザからのメッセージにそう書いてあった。

ありがとうねルエル。
わたしたちが行くまで待っていてくれて、わたしたちが来たことをちゃんとわかってくれて、わたしたちが後悔しないように、寂しい思いをしないようにしてくれた。
目を開いて、わたしたちを見て、ちょっぴり微笑んでくれた。
夫の声を聞いて、コクリと頷いてくれた。
口を何回も開いて、食べ物を食べるところを見せてくれた。
座りたい、立ちたい気持ちをわたしたちに訴えて、実際に座ったり立ったりして見せてくれた。
すごく嬉しかった。
とても興奮した。

最期の最期まで、ルエルだったね。
体はもうおしまいになったけど、ルエルの魂は今や自由の身になったから、あちこち飛び回れるね。
ルエル、これからもずっと愛してる。
言うだけ無駄だけど、イライザのこと、見守ってあげてね。
わたしたちも頑張るからね。
またいつか会おうね。
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ぼくらはみんな生きている、生きているから…

2017年07月04日 | 友達とわたし
ほんと言うと、どんなふうに会ったらいいんだろうなんてことを、イジイジ考えていたりした。
ルエルを襲った脳腫瘍は、とても珍しい種類のもので、担当の医者たちでさえも、どう治療したらいいのか、どんな見通しなのかが、今もまだ確実にわかっていない。
いろんな治療が試された。
今年の冬に、腫瘍がかなり小さくなったという嬉しいニュースを聞いたのに、先月突然、強いひきつけを起こし、その後の検査で余命3ヶ月から半年の宣告を受けた。

これほど仲の良いカップルがいるだろうか。
ルエルとイライザと会うたびそう思う。
こんなに強く、こんなに優しく、こんなに深く、互いを求め合う二人を見ていると、いつも自分の冷たさや身勝手さが恥ずかしくなる。

そんな二人だからこそ、この笑顔なんだなと、しみじみ思う。



さあ会いに行くぞ!という時になって、風邪をひいてしまった。
1日だけ行くのを見合わせて、バイキンを撒き散らさないようマスクと軍手を持参して、ほとんど夫の運転でカナダに向かった。
健康グッズのお土産と、折りかけの千羽鶴と手前味噌、それから招き猫の花瓶(ほんとは酒入れ)を、二人は喜んでくれた。

ルエルは、話すことがとても好きで、特に政治の話を熱心にした。
皮肉屋で、ユーモアたっぷりで、間違ったことが大っ嫌い。
いろんなことに詳しいから、話は多岐に渡った。
けれども今は、大きな腫瘍が、ちょうど記憶と言語を司る部分に居座っているので、本や新聞が読めなくなった。
言いたいことが頭の中に浮かんでも、それを言葉にすることが難しくなった。
言いたいことは山ほどあるのに、それを的確に表す単語がわからなくて、話が回りくどくなってしまうことが多々あるわたしには、そのときのもどかしさ、悔しさ、不甲斐なさ、悲しさがわかる。
でも、わたしのそれは、違う言語の間にあるもので、ルエルのそれは母国語の中で起こっているのだから、もっともっと辛いだろうと思う。
周りの者は、その気持ちを慮って、先に出てくる言葉を待つのだけれど、それでも我慢が足りなくて、ついつい予想される単語を口にしてしまう。
そんなとき、ルエルは、悲しいような、諦めたような、腹を立ててるような、なんとも言えない表情を一瞬だけ見せて俯く。


彼らの家の前庭に咲いている紫陽花の花は、まるで造花かと思うほどにデカイ。





10分から20分の散歩を、1日に何回かする。
着いた日の晩の、夕食後の散歩。




翌日の朝食後の散歩。


二人が毎朝通う、近所のカフェに向かう。


赤ちゃんをおぶって歩く、まるでモデルみたいな若いお父さん。


さあ帰ろう。いつだってラブラブ。


雨が降ったり止んだりの天気が続いていて、だから草花や木は元気いっぱい。






これは元気というより、なんでここまでヒョロ長いのか?とびっくりするタンポポ。


リハビリに歌を歌うのはどうだろうと、ルエルの好きそうな歌を探す夫。



この日はカナダの150回目の誕生日だった。
ずっと雨続きで、お祝いの花火は大丈夫かなと心配してたりしてたけど、夕方からカラリと晴れて、空気もカナダらしい心地良いものに変わった。

近くのスーパーで食材を買って、イライザとわたしとで夕飯を作り、みんなで美味しくいただいた。
特別に何をするでもなく、夜の散歩に出かけたら、パンパン、ドカンと音が聞こえてきた。
あ、花火だ!
やっぱりあの音が聞こえてくると、心がそわそわしてきて、どうにかして見られないものかと、公園の中をウロウロ。
花火の端っこがちょいと見えるスポットを見つけて、わ〜っと見上げていたら、ポツンと一粒、冷たいものが頬に落ちてきた。
と、ものの10秒もしないうちに、とんでもないザザ降りの雨?!
え〜っ?という間もなく、わたしたちはずぶ濡れになった。
それでも夫とわたしは、大きな木の下に立ったりして、無駄な抵抗をしていたのだけど、ルエルとイライザがどんどん進んで行ってしまうので、わたしは後を追いかけた。
しばらくして、夫の姿が見えないことに気がついたルエルは、とても心配して、引き返そうと言う。
いや、彼はきっと、自分のやりたいようにやってるだろうから心配しないでと、何度言っても立ち止まっては振り返る。
もぉ〜っ!!
案の定、わたしたちより10分ぐらい遅れて、夫は家に戻ってきた。
けれども、ずぶ濡れ度は、わたしたちのそれに比べるとかなり低い。
やっぱり木の下に避難は、それなりに役立ったのだ。
ルエルにとって、びしょ濡れになること、土砂降りの雨の中を早足で移動することは、かなりのショックだっただろう。
彼は着替えてすぐに、ストンと眠った。
風邪をひかないように祈る。


3日目の散歩。


モントリオールのリスは、かなり近づいてっても全く逃げない。


この日は、ずっとルエルのことが心配でべったりだったイライザが、わたしたちに彼を任せて、仕事上の付き合いパーティに出かけた。
ルエルは、自分のせいでイライザが動きが取れなくなっていると心配していて、だから彼女がとうとう出かけて行ったことをとても喜んでいた。
ルエルはこれまでずっと、重度の糖尿病を患うイライザを、そして彼女の芸術家としての立ち位置を支えてきた人だから、自分のせいで活動を制限している彼女に、申し訳がないと思っている。
もちろん彼女は、心の底から、自分の意思でルエルのそばに付いていたいと思ってそうしているのだけれど。

散歩の時間は10分、長くて20分と、イライザから言われていた。
もしも、ルエルが急に立ち止まって頭を傾け出したら、あるいは口を大きく開け始めたら、すぐに飲ませなければならない錠剤も預かった。
彼の手首には、緊急時に連絡する番号が刻印されたブレスレットがつけられている。
連絡先の会社は、彼がこれまで受けてきた、そして現在受けている治療や薬剤の全てを管理していて、搬送中の救急隊員や搬送先の病院の医師に、連絡が行くようになっている。
だから万が一の時にも、多分なんとかなるだろうと、夫とルエル、そしてわたしの3人は、テクテクと歩き始めた。

するとルエルは、ゆっくりとだけど、自分が行きたい方を示してはぐんぐん進んで行く。
わたしは夫の顔を覗き見して、どうするつもり?、と尋ねる。
夫は目で、彼の好きなようにさせてあげよう、と答える。

疲れてないか?大丈夫か?と、タイミングを見計らっては聞くのだけども、彼は「大丈夫」と答えるばかり。
そのうちに、どんどん彼の意識がはっきりしてきて、語彙が増えてきた。
わたしは嬉しくなって、この時とばかりに、彼にいろんなことを聞いた。
モントリオールの歴史のこと、店のショーウィンドウに飾られているレコードジャケットのこと、思いつくことを片っ端から聞いていった。

なんでこんな黄色い棒がくっついてるの?
「冬に雪が積もった時、消火栓がどこにあるのかわかるようにだよ」


マイペースで歩いて行く夫と、必ず立ち止まっては振り向いて、わたしがちゃんと付いてきているかどうか確かめるルエル。


夫が見つけた『ピリピリ』な看板。
ケイジャンチキンだから、確かにピリピリするだろう。


通り道の家の、玄関前の壁。


もう40分以上は歩いた。ちょっと休憩しよう。


どこの公園にもあるハンモック吊り。ここに各々のハンモックを持ってきて、のんびりと時間を過ごすのだそうな。



ベンチに座り、一息ついていると、ルエルがぽつりぽつりと話し始めた。

僕はあとどれくらい生きるんだろう。
60までかな、それとも70、80まで生きるんだろうか。
イライザより長生きするのかな。
それともイライザが僕より長生きするのかな。
両親はどうだろう。
僕は両親より長生きするのかな。
イライザは、もし僕がいなくなったら、どうやって生きていくんだろう。
大丈夫かな。
大丈夫かどうか心配だな。

ルエルの、途切れ途切れの柔らかな声が、吹いてくる風に乗り、木々の葉っぱの間を通り抜けていく。
彼の両脇に座る夫とわたしは、相槌を打つことも言葉を発することもなく、公園の中の木々のように、ただただ彼の言葉を聞いていた。


その日の夜、ルエルと夫が寝静まってから、わたしは千羽鶴を折りながら、公園で聞いたルエルの言葉をイライザに伝えた。


医師からの残酷な告知があってから、二人はまだ、自分たちの気持ちを伝え合ったことがなかった。
どうしたらいいのか迷いながら、どんどん膨らんでくる悲しみに押しつぶされそうになっていたイライザは、つい最近ネットで見つけた方法で、なんとか自分を取り戻していた。
だから、ルエルの独り言はイライザにとって、ずっと聞きたかったことだった。

わたしのことは心配しなくていい。
そう伝えたい気持ちは山々だけど、そう言った瞬間に、彼の死を認めることになるような気がしてできない。
彼がもともともっている身体力、精神力の強さは、今までにも何度も奇跡を起こしてきたから、医者の言葉だけを信じることもできない。
でも、万が一の時に、何も話せないままだったことを、すごく悔やむだろうと思うから、なんとかして互いの想いを伝え合いたい。

ルエルの父親は深刻な心臓病を抱えていて、母親は最近、認知症を発症し、急速に悪化している。
イライザの父親はほぼ盲目で、耳も聞こえない。母親は徘徊を伴う認知症を患い、何度も行方不明になっている。
でも、どちらの両親も、自分たちの力と周囲の人たちの理解を受けて、これまでの暮らしを続けている。

そんな話を、笑いを交えて話すイライザは、これまでにも何度も、大変な状況を乗り越えてきた人だ。
けれどもそこにはいつも、ルエルという大きな支えがあった。
その温かで強い、どんな自分でも受け入れてくれる柱。
もしそれを失うようなことがあったら…。
でも、それでもわたしは大丈夫だからということを伝えて、彼の心配を取り除いてあげたい。

そうできたらいいね。
彼女の話を聞きながら、ひと折りひと折り、祈りを込めて鶴を折った。

わたしはそんなふうに、ただ話を聞いたり、鶴を折ったりすることしかできないけれど、夫は違う。
いつものように淡々と、ルエルに鍼を打つ。
そしていつものように、何も変わったことが起こっていないかのように、ルエルが何を言いたいのかわからない時は、何が言いたいのかわからないとさらりと言う。

幼い頃からずっと、毎年夏を一緒に過ごしてきた幼馴染として、夫はこれからもこんなふうに、ルエルを支えていくんだろう。


線香花火のような花?


近所のレストランへレッツゴー!






ラブラブを再掲。


みんなで記念写真。


あ、ハンモック掛けでくつろいでいる人たち発見!


気功瞑想中のリス。


最終日のカフェ散歩。





あっと驚くいいことが起こりますように。


スカスカの国境。また来るからね。
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行ってきます、多分…。

2017年06月28日 | 友達とわたし
明日の朝早く、カナダに向かって出発する。
夫の、そしてわたしの、大切な友人であるルエルを、お見舞いに行くために。



手前味噌と千羽鶴(千羽になっていないのだけど)、そして指圧スリッパと足袋ソックスと、福を呼ぶ招き猫の置物をお土産に。

3ヶ月から半年なんてくそっくらえだ。
そんなこと、信じてたまるか。
そんなこと、起こってたまるか。
余命一年の宣告をもらい、生き長らえたわたしの、なんちゃってパワーを分けに行こう。

でも、もし彼が、心身ともに十分落ち着いていて、そしてそこそこ感じているものがあるのなら、
わたしは、臨死を経験したときの、なんとも言えないほどの気持ち良さと温かさ、そして幸福感を、彼に話そうと思う。

わたしにもいつか、この世とのお別れの日がやってくる。
それが突然なのか、じわじわとなのか、それは全く予想ができないのだけど、
あの世界が待っていてくれるのだと知っているので、恐くないと言えば嘘になるし、この世に名残が無いはずもないけれども、
それでもまあ、言葉的に変だけども、楽しみにしていたりする。

今日は休む日の分も仕事して、さあ準備しよう!と思ったら、
なんと、夫が先週ひいた風邪がしっかりうつってしまった。

今は漢方と皮内鍼で様子を見ている。

風邪をひいたまま、ルエルに会うことは絶対にできない。
なので、ちゃんと治してからでないと行けない。

だからもう寝ます。
おやすみなさい。
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会う、ハグする、食べる、おしゃべりする、ちょっぴり涙ぐみながらお別れする

2016年12月07日 | 友達とわたし
あけみちゃんの忠告と手伝いのおかげで、身軽なまま東京へ行ったのは、宏さんとの初対面ティータイムと、幸雄さんが演奏するアイリッシュミュージックのライブを聴くためだった。






まずは赤坂見附のレストランで、宏さんに会う。
フェイスブックで知り合うと、初対面という感じがしない。
すぐに打ち解けるし、いきなり深い話もできる。
宏さんは、いろんな部分で気が合うというか、共感できる人で、一度でいいから会って話したいと思っていた学者さん。
だからわがままを言って、忙しいスケジュールの中、時間を割いてもらった。

そこから電車を乗り継ぎ、今度は世田谷区のCAFE MURIWUIまで出かける。

ギターとフィドルを演奏してくれた幸雄さんは、元ロックバンドのギタリスト。ヤマハのLMコンテストでグランプリを取ったツワモノバンドだった。
そもそも、なんで幸雄さんと知り合ったのかというと、長年プラントに従事していた彼が、原発事故後から、分かりにくい東電の説明を、それはそれは分かりやすく説明し直してくれていて、
それでフェイスブックの友になってくれないかと、こちらの方からお願いしたのが始まり。
それからというものの、しょっちゅう心配かけたり迷惑かけたりするばかりで、ほんとに申し訳なく思っている。

な、の、に、

本番当日の、本番直前に、最寄りの駅に着くわたしを、ライブの場所が見つかりにくいからと、駅まで出迎えに来てくれるというではないか?!
いや、一人で行けるからと言っても、大丈夫大丈夫と、全く聞き入れてくれない。
だからまたまた甘えることにしたのだけれど、幸雄さんがバッチリ調べて教えてくれた時刻表通りに行くはずが、なんと人身事故で電車が遅れ、2回目の乗り継ぎの電車に乗り遅れてしまった。
今回は、携帯電話が使えるようにして行ったので、遅れる事情を伝えられはしたが、ライブの開演を遅らせてしまったのはこのわたしです!すんません!
駅の改札口で、少し離れて待ってくれていた幸雄さんと美保ちゃん。
横浜の、偶然にも幸雄さんちのご近所に住む美保ちゃんは、ライブを一緒に聞きに行こうとわたしが誘った。

でも、迎えに来てもらったのは正解だった。
絶対に見つけられなかったと思う…わたしと美保ちゃんだけだと…。

会場に入ると、二郎さんと明日香ちゃんがいた。
毎週金曜日の夜に、国会前の希望のエリアで、声を上げ続けている二人。


二郎さんは『校長』というあだ名のドラム隊&神の手を持つ整体師さん、明日香ちゃんは、類稀なるコーラー&前進座の女優さん。
(*マガジン9の、今週も脱原発『希望のエリア』のあきらめない人々を読んでみてください)
顔を見た瞬間、「もう来ないのかと思った…」と言われてしまった。

急いでホットジンジャエールを注文し、席に着く。

ボソボソと話す幸雄さんのコメントの後、いよいよ演奏が始まる。
フルート奏者の知世さんは、フルートはもちろんのこと、ティン・ホィッスルやコンサーティーナをコロコロと軽やかに演奏してくれて、その多様な才能に聞き惚れた。
フィドルの薫くんは超自然体。だけどもきっと天才肌なのだろう、すごい技術と歌心を、ひょうひょうと、まるで当たり前のことのように聞かせてくれる。
幸雄さんは、その若者たちが持つ音楽性と勢いに、ある時は寄り添い、ある時は待ったをかけたりなだめたりしながら、生き生きとしたリズムとメロディを作り上げていく。
ああ気持ちがいい!

それにしても、アイリッシュ音楽って面白い。
まず始まり方。
クラッシックのように、あらかじめ決められたものではなくて、今度はこの曲をやりたいと言った人が演奏をし始めると、それに続いて他の人がこっそり加わっていって、いつの間にか全員で、という感じ。
メロディの糸が絡まり合い、いろんな色や空間を作り出す。
自分にできるとは思わないけれども、もっともっと聴いていきたいと思った。

この3人、なんとも自然体でふんわりしてるのに、演奏に入るとすごい!
幸雄さんはしばらくの間、ライブ活動をお休みすると言っていたが、もしまたこのメンバーが演奏するような企画を見つけたら、ぜひぜひ聴きに行ってみてください。オススメです。



左端の女性は、幸雄さんが一番好きなシンガーソングライター、舟久保香織さん



ライブの後、幸雄さん、二郎さん、明日香ちゃん、美保ちゃんとわたしの5人で、近所の中華屋さんに行って、ワイワイガヤガヤと話し込む。
そして夜遅くに美保ちゃんちに到着。
お茶を飲みながら、互いにたまっていた話をする。
すっかり遅くなってしまったのに、朝からこんな豪華な朝ご飯(名付けて料亭朝ご飯)を作ってくれた美保ちゃん。




北海道出身の彼女が、北海道産のユリ根や野菜を使って作ってくれた、それはそれは美味しい朝食だった。
もっとゆっくりしていたかったけど、大阪の弟んちに戻ることになっていたので、午前中に横浜を出発。
道中で雨が降ってきた。

弟のところでも、またまたゆっくりはできなかったのだけど、鍼治療の勉強に大分まで行っていた夫と合流し、4人で一緒に、近くの名の通ったお寿司屋さんに食べに行った。




全部めちゃウマ!












夫が頼んだ八海山の表面張力!


お代は全て弟のおごり。大変ご馳走になりました!ほんまにうまかった!おおきに!


そして次の朝、またまた三重県の、今度は名張市に戻った。
でっかい旅行カバンは、あけみちゃんが待ち合わせの駅まで運んでくれた。
わたしといえば、もう随分長い間会っていないみっきーや、大阪から会いにやって来る叔母に会うので、なんだかドキドキしたりしていた。

みっきーは、元はと言えば、ヤマハ講師時代の同僚だったのだけど、いつの間にか友人になり、親友になった。
わたしが離婚をするべきか否かで悩んでいた時も、離婚した後も、なぜかいつも、とても大切な転換期や決断時を迎えている時には必ず、そばにいてくれた人だ。
特に、離婚をほぼ決めたものの、やはり恐ろしくて踏ん切りがつかなかった時、ここに行こう!と行って、雑誌を見せてくれたのがここ、露天風呂だらけの『中房温泉』
当時は、銭湯でさえ苦手だったわたしに、山奥の露天風呂に入れとな?
いやだ〜無理だ〜と、温泉に着いてからも文句を言ってたのに、最初に恐る恐る入った風呂でお尻を火傷しそうになり、次に飛び込んだ蒸し風呂(とてつもなく真っ暗で暑かった)で吹っ切れて、
それからはみっきーがたじろぐぐらいに積極的に、羽織った浴衣を脱ぎ捨てては、露天風呂を次々にはしごして、最後のでっかい温水プールに行き着いた頃にはもう、よし、離婚するぞ!と決めていた。
それにしても、あの温水プールを囲むように建っていた旅館の部屋の窓に、巨大ヤモリのように張り付いて覗いていたおっさんたちは今、どうしているのだろうか…。

みっきーがわたしたちに見せたいと言って連れてってくれた、近所の神社。




まずは手を清めて、


真っ黄っきだったイチョウはもう、すっかり丸坊主になっていた。


でもきれい!


でっかい灯篭。


その横にはなぜか鹿さんたちが。


本堂でお祈りする。






それから地震除けのお寺が、みっきーの実家の近くにあるというので、そこにも行ってみた。
可愛いナマズさんのお守りを買い、境内の端っこに行って見ると、なんとも美しい雲と夕焼けのコラボが。


そして夜は、味噌おでん!うまかった〜!


翌日の朝、みっきーお手製のおからパンをいただき、まずは車で10分ぐらいの所にある通子先生の家まで、みっきーの車で送ってもらう。

わたしの大好きな、いつかこんなのを持ちたいと夢見る、高北家のキッチン!


孝さんも元気そう!大きな地図帳で調べるのって、ネットで調べる癖がついてしまったわたしたちの目には、とっても新鮮だった。


わたしたちが来るからと、お弁当風ランチを作ってくれた通子さん。






どれもこれも、本当に美味しゅうございました!ありがとう!



次に行った伯母の家では、90歳を超えた伯母と、うんと年下の叔母、そして多分16年ぶりのいとこが会いに来てくれていて、夫はただ一人の男として殿さま扱い。
まあわたしも、全く手伝わせてもらえなかったのだから、お姫さま扱いと言えるのだけど…。

キッチンは、60代、70代、90代の女性で大にぎわい。




できました!


ここではもう、カフェインが、グルテンが、などという話はややっこし過ぎて、だからとうとう1年ぶりにお腹に入れてみたところ、とりあえず何事もなく一安心。
懐かしい話に花が咲き、まるで毎年顔を合わせているような気持ちになって、あっという間に時間が経ってしまった。
わたしたちのためにと、朝から立ちっぱなしで準備してくれていた伯母は、疲れ過ぎたのか食事前に眠ってしまい、だから次の日の朝にまた、顔を見に来るからと約束して別れた。


翌日の朝、またまた、みっきーがおからで作った、美味しい野菜ケーキをいただいた。


この日は、彼女はある所で、オカリナを演奏することになっていて(彼女はオカリナの先生なのだ)、その場所を聞いてぶったまげた。
2000人もの人が集まる、橋下徹氏の講演会の始まりと終わりに、もう一人のオカリナ教師と一緒に、デュエットで演奏するのだそうな…。
なんでまた橋下氏の?と聞くと、支持してるとかそんなんじゃなくて、たまたまそういう仕事がまわってきたのだと言う。

そんな忙しい日に、朝からまたまたお世話になった夫とわたしなのだった。

心ばかりのお礼に。


昨日、ちゃんと話せなかった伯母に会いに、もう一度お邪魔した。


綺麗な真っ赤な実がたくさん!


再びみっきーんちに戻り、荷物をまとめてさあ出発!何から何までありがとう、みっきー!


すごく元気なレタスさん。


カエルが潜って暮らしているというプランター。


津駅前でお別れの写真。


そして最後の最後に、いとこのともちゃん家族に会いに、横浜に行った。
彼女とも16年ぶり。一人娘の来未ちゃんには、まだ一度も会ったことがなかった。
彼女が予約してくれていたホテルにチェックインし、地下鉄に乗って、彼女の家に向かった。
途中、ピアノのレッスンを終えて、わたしたちが来るのを待っていてくれた来未ちゃんを迎えに行き、恥ずかしがり屋で最初は無口になると聞いていた来未ちゃんの様子を見ていたのだけど、
いやもう、しゃべるしゃべる、これがまた、ものすごくしっかりしていて、大人びているのだ。
そしてとても優しい。

ともちゃんが作ってくれた、超〜美味しい夕食を、写真に撮らないままパクパクと食べてしまったので、ここに載っけることができない…残念無念。
食事の後、来未ちゃんの電子ピアノを弾かせてもらったのだけど、重たいカバンを引っ張り続けてたからか、ずっと弾かずに食べてばっかりだったからか、あっちこっちでコケてしまい、ミスタッチの連続?!
やばい!こんなんじゃ来未ちゃんをがっかりさせてしまうじゃないかと焦っていたら、
「ピアノが違うから弾きにくいんだよ」とぼそりと言う来未ちゃん。
いやあ、こんなかばい方、小学生にできるのかなあ…。
彼女が弾くピアノは、とても感受性が豊かで、タッチもしっかりしている。
教師からすると、教えたい気持ちになるタイプの子供である。
近くに住んでたらなあ…。

駅まで見送ってくれるという来未ちゃんが、道すがら、トランプのことを話し出した。
「もう最悪だよね。なんであんな人が選ばれちゃったんだろ?私は家族を大事にする人間だ、なんて言ってたけど、家族を大事にするなんて当ったり前じゃん。バカみたい」
「環境問題も戦争も、一体どうなっちゃうんだろう…ほんと心配だよ」

まあ、クリントンはクリントンで、また別の問題が山積みなんだけどね。などと心の中で思いながら、ああ、この子とはサシで、ゆっくりと話してみたいもんだと、しみじみと思った。


本当に、嵐のように、人々の間を通り過ぎて行ったわたしたち。
みなさん、本当にお世話になりました!
楽しかったし、とっても美味しかったです!
ありがとう!
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伊賀焼とヴァーチャルリアリティと歌姫と

2016年12月07日 | 友達とわたし
日本に帰省する際に、いつも悩ましいのは、誰と会うかを決めること。
80歳を超えた母とはできるだけ一緒に時間を過ごしたいから、友人や親戚に会いに行ける時間は、いつもたったの1週間弱になってしまう。
だからもう、とんでもなくバタバタするし、今回はごめんね、またいつかねと、先送りになってしまう人が続出する。
いつか、発表会後の休暇を、思い切って1ヶ月ぐらい取って、お正月も含めてのんびりしたいと思ってはいるものの、そんな勇気も出ないまま、とうとう17回目の冬を迎えている。
まあでも、空と海を残して1ヶ月も留守にできないだろうし、わたしが日本に行くと言うと必ず、僕にも平等の権利があるなどと言ってくる夫が、じゃあ行っておいでと送り出してくれるとも思えない。
ここ数年は、毎年帰ることができているのだから、それだけでもありがたいと思わないとね。
母の家に滞在していた最後の日は、大津の友人二人と京都駅で会い、互いに元気でいることを喜び合い、その後、大津まで迎えに来てくれた宏弥師匠と一緒に、車の中で積もる話をしながら、また母の家まで戻った。
そしてその翌日から、友だちの家にお世話になりながら会いに行く、という毎日が始まった。

今回は、これまでずっと会えずにいた人に会うことにした。

その一人、というか二人が、あけみちゃん&洋くん夫妻。
彼らはともに、第一線で活躍している陶芸家で、彼らの一人娘の綾香ちゃんは、これまた第一線で活躍しているメゾソプラノ歌手。
三人ともに、キラキラと輝く星一家なのだ。

洋くんのお父さんは、古伊賀焼きの第一人者、谷本光生氏。
光生氏は、山深い里山の広大な敷地の中に、自宅陶房と、彼自らが発掘した品や、自他の作品を収めた展示場を建てた。
彼らとはずいぶん前に知り合い、以来ずっと大ファンであり続けているのに、会ってもろくに話ができないまま月日が過ぎていったのだけど、
数年前に起こった(まだ継続中だからここに書くことはできない)トンデモな人間によるトンデモな悪事に巻き込まれた彼らから、その話をチラチラ聞かせてもらっているうちに、
今以上に荒らされてしまう可能性がある光生氏の作品の数々を、何としても目に焼き付けておきたい、彼らともゆっくり話したいと思い、超多忙のふたりに無理を言ってお邪魔させてもらった。

******* ******* ******* *******
谷本 光生(たにもと こうせい) 窯名:三田窯(みたよう)
大正5年10月5日伊賀市三田に生まれる。
本名 光生(みつお)
洋画、書、俳句、彫塑、篆刻、曼荼羅などの趣味を背景に、戦後古伊賀、伊賀焼の復興に尽力し、谷本伊賀を確立。
作陶の他に抽象版画も手がけ、東京銀座のサロン・ドゥ・ボナで、シルクスクリーンによる版画の個展を開く。
自宅陶房には。縄文・埴輪時代から鎌倉・室町・桃山・江戸・明治・大正期までの伊賀焼を中心に。展示場を増設し、発掘品や作品を公開中。
谷本伊賀の他には、日本初「抽象陶画」の制作、版画「シルクスクリーン」、コンピュータグラフィックスなどにも新境地を拓き、着目される。
******* ******* ******* *******


伊賀上野の駅まで迎えに来てくれた洋くんの車に乗って、ぐんぐんぐんぐん山に入っていく。
その道ったらもう、とんでもなく狭くて、だけどここも往路なんだと聞いてたまげてしまった。
もうすっかりアメリカンサイズに慣れてしまってる自分だけど、こんな道をぐいぐい走っていたこともあったのだと、ちょっと懐かしくなったりもした。

到着して、話し込んでいる間にどんどん日が暮れて、気がついたら真っ暗になってしまった。
慌てて、洋くんの仕事場と、まだ見たことがなかった光生氏の展示館に、洋くんと彼のお弟子さんに案内してもらう。

真っ暗闇の中で撮った写真なので、色合いや存在感がちゃんと表せてないけれども…。

洋くんの穴窯。


奥がとても深い。




火を焚く薪にも、いろんな種類があるのだなあ。


神棚。


光生氏の自宅前から見ると。


展示館には、発掘品、作品がたくさん並べられていたけれど、すでに不正に持ち出されてしまった物も多い。






この皿の色合いや質感は、どうしても伝えきれない…。










光生氏が、全て木から作った筆。毛筆ではなくて樹筆というべきか?




富士山のような絵画を見て、黒澤監督の『夢』の赤富士を思い出した。


孫の綾香ちゃんから影響を受けて始めた、コンピュータグラフィックスによる作品。


そしてこれは、ネパールに何度も通っては集めたという曼荼羅の数々。








版画「シルクスクリーン」の展示館。








すごいとしか言いようのない芸術作品の数々を生み出した、すごいとしか言いようのない芸術家の父を、洋くんはとても尊敬し、心身ともにずっと支えてきた。
そんなお父さんと服飾デザイナーのお母さんの血を引く洋くんの手と心は、その作品に出会った人の魂を揺さぶるような伊賀焼を、次々に生み出していく。

作品の一部を見せてもらった。ちゃんと伝えられないのがとても残念!
洋くんの作品のちゃんとした映像は、ここで。




あけみちゃんの工房と作品は、うっかり撮り忘れてしまったので、ここを見てください。


さてその夜は、感謝祭をミスしたアレッサンドロ君とわたしのためにと、あけみちゃんが感謝祭ディナーを作ってくれた。
どうこのご馳走!




洋くんとお弟子さんが作ってくれたシューマイ鍋。


料理はもちろんだけども、器が贅沢すぎてうっとり…。




お友だち夫妻も合流して、美味しくいただいた後、アレッサンドロくんが開発したバーチャル世界で遊ぶことに。






初めての経験だったけれども、めちゃくちゃ現実味がある空間の中の物を、手に取ったり操作したりできたりして大興奮。
彼は今、京都のあちこちを細かに撮影し、それをヴァーチャルリアリティの世界に移して、人々に京都を体感してもらうというプロジェクトに関わっている。
そして彼はまた、テコンドーの達人だったりする。

やっと思いが果たせて興奮したのか、なかなか眠れなかった。
次の日の朝に出て、東京に向かい、その日一泊しただけでまた、大阪と三重に戻って来ると言ったら、
「まさかまうみちゃん、そのでっかい荷物と一緒に行くつもりじゃないよね」とあけみちゃん。
「え、そのつもりだけど」
「ダメダメ、絶対にダメ!そんなバカなことしちゃダメ!わたしが送っといたげるから、ここに置いていきなさい!」

そ、そんな…申し訳なさすぎるし、送り賃だってかなりかかるんじゃ…。
などとウジウジしているわたしを見て、「もうほんとに信じられないんだから!」と呆れるあけみちゃん。

結局甘えさせてもらい、横浜と東京で会う人たちへのお土産と着替えだけ持って行ったのだけど、行ってみてつくづく思った。
あけみちゃんの言うことを聞いてよかったと。
そして、これまで一度もそんなふうに考えずに、パンパンに膨れた重たいったらないカバンとバックパックと一緒に、あちこち周っていた自分の姿を思い出して、深いため息をついた。

次回からは賢くやろう。


🌸綾香ちゃんからのメッセージ🌸

ホセ・マリアとのCD「Sakura Variations~さくら変奏曲~」が完成しました〜♪
リリース記念のコンサートは、12月9日に、東京ハクジュホールで、19:00開演です。
チケットまだありますので、聴きに来て頂けるようでしたら、メッセージでご連絡下さい〜

また、コンサートには来れないけど、お手元にCDが欲しいという方も、メッセージ下さい♪
全てホセ・マリアの作曲とアレンジで、さくら変奏曲、クリスマス歌曲集、そして人生の歌曲集が入っています。

リリースを先取りして、人生の歌曲集から少しお聴き下さい。



Sakura Variations Release Concert(さくら変奏曲リリース記念コンサート)
日時:
12/9(金) 開場 6:30pm 開演 7:00pm
 
場所:
東京ハクジュホール

問い合わせ先:
ムジカキアラ Tel: 03-6431-8186


【谷本綾香】
英国以外では、スペインとの縁が深く、音楽を通してスペインとの交流に貢献するプロジェクトも数々行っている。
2014年より、スペインのギターリスト、ホセ・マリア・ガジャルド氏とのプロジェクト、”Alma Española en Japón”を開始し、
9月より日本でコンサートツアー。
11月にはロンドンの日本大使館において、日本スペイン交流400周年記念事業の一環として、Sakura Variationのプレミアコンサートが、スペイン・日本大使館の共同で開催。
同時に、ロンドン日本大使館のGreen Park Youth Concertと名付けられたコンサートシリーズで、期待の若手音楽家として、谷本綾香が紹介された。

2016年末にはホセ・マリア・ガジャルド氏とのプロジェクト”Alma Española en Japón”のプロジェクトで日本ツアーを行う予定。
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新居とバーベキューとスイカ割りと

2016年08月29日 | 友達とわたし
昨日ののりちゃんちも、時々携帯電話が圏外になったのだけど、今日のかおりちゃんちは、時々じゃなくて、ずっと圏外のところに建っている。
それも19世紀の時代から。
20世紀初頭を自慢していた我が家だったが、思いっきり負けてしまった。

昨日の爆裂お味噌作り女子会の名残がまだ、頭と体の中に居座っているけれど、引っ越す前から会いたい会いたいって言ってたかおりちゃんたちからのお誘いだ。
行かいでかぁ〜!

新しい橋を造っているタッパンジーブリッジ。
ウエストチェスターとロックランド郡を結ぶ新しいタッパンジー橋の工事費は39億ドル。
わたしたちが走っているのは、1955年に建設されたもので、わたしより2つ年上。


夏休み中、日本の小学校で過ごした海くん、日本語が猛烈に進化していた。


バーベキュー用のトウモロコシ。


いやもう、森の中の一軒家という感じ。
うっそうとしげる庭の木々を見上げていくと、まぁるく区切られた空が見える。


くつろぐ男たち。


この岩の壁の厚さ、50センチ近くあるらしい。


太ると上っていけない、肥満防止階段。


ああすてき!


引越し中の部屋の中を、遠慮なく撮っていくわたしを、しゃ〜ないやっちゃと許してくれるかおりちゃんとジョージ。




海くんの部屋がこれまた良い。


海くんのお宝が満載のクローゼット。




天井も、階段も、壁も、床も、歴史がぎゅうぎゅうに詰まっている。良いなあ…。




バーベキューの炭起こしの煙を見せたくて、大騒ぎする男子たち。




新鮮な野菜と、ジョージ流サーモン焼き(ヒノキの薄い板に乗っけて焼く)をいただいた。
超〜美味しかった!

左は、海くんの芸術作品。


スイカ割りがしたい!という海くんのリクエストに応えて、庭(森?)の中で落ちてる枝を探すジョージ。


さあ、スイカ割りのはじまりはじまり!


ぐるぐるぐるぐると回って、じゃあ、こっから真っ直ぐにねと念を押す父ちゃん。


とぉりゃ〜!


お見事っ!


誰だ、このへっぴり腰のおっちゃんは?


かおりちゃんとは、うんと年が離れているのだけれど、どんな話をしても楽しい。
そして、どんな話でもしたくなる。
今はとにかく、引っ越してまだ間がないので、なかなか落ち着けないかもしれないけれど、
彼女にはなんというか、見てる側を安心させてくれる、独特の雰囲気がある。
いろんなことに悩んだり、困ったりしていても、そしてそのことについて話している時も、彼女の中にはいつも、程よい余裕や自分を信じられる強さがある。
ジョージはそんな彼女を、本当に愛していて、もちろん愛息の海くんは、そんな二人の愛情を一身に受けている。
だからこの家族とは、いつ会っても気持ちがいい。

家庭菜園のこと、手前味噌のこと、手前納豆のこと、ピアノのレッスンのこと、息子を育てること、自分のキャリアのこと、そして政治のことももちろん、
いつまでもおしゃべりしていたいけど、月曜日からはまた仕事が始まる。
また近々会おうと約束して、お別れした。

行きはちょっと渋滞があって、1時間かかったけれど、なんと帰りは40分で着いた。
アメリカだと、40分は近所だ。
なんか嬉しくなった。
コメント (4)
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味噌とともだち

2016年08月29日 | 友達とわたし
じゃじゃじゃじゃ〜ん♪♪ こだわりのオーガニック大豆!!


じゃじゃじゃじゃ〜ん♪♪ こだわりのオーガニック玄米麹と、こだわりのオーガニックヒマラヤンソルト!!


というわけで、前回の味噌作りに使った、こだわりまくりのオーガニック大豆とオーガニック玄米麹とオーガニックヒマラヤンソルトで、伝説の超〜ウマ味噌を再現しようということになった。
前回はまるでお客のような調子で参加してしまったので、今回は注文と下準備から手伝おうと意気込んだまではよかったのだけど…。

まず注文の段階で、あわや計画中止か?!という危機を迎えてしまったすっとこどっこいなわたし…。
注文先に、注文は金曜日の午後0時までで、発送はその翌週の月曜日のみ、という恐ろしい決まりがあるなんて全く知らずにいたので、
そろそろ注文するべか、よっこらしょっと書き込んでいたら、え?え?え?そんなぁ〜!今は金曜の夜9時だよぉ〜!と、目の前が一瞬真っ暗になり、
慌ててあちこちのサイトを調べたのだけど無い!
どこをどう探しても、欲しい良品が全く見つからない!
そこで、こうなったらすがりつくしかないと覚悟を決めて、夜中だというのに、注文先にEメールを3通送った。
前回のお味噌作りで利用させてもらった者です。
もうほんとに美味くて、出汁いらずの、それはそれは素晴らしい味噌ができたので、ぜひ今回も使いたいのです!
けれども、味噌作り会の日にちがもう決まっていて、来週の月曜日に配達してもらえないとできないのです!
そんなことになったらもう、会を楽しみにしているみなさんに合わせる顔が無いのです!
などと、くどくどとお願いの言葉を並べた。
すると、翌日の土曜日の朝、二人のスタッフから、
「大丈夫、月曜日の配達分に入れておきました。お味噌作り、楽しんでください」という、なんともありがたい返事が来た。

水曜日に麹が到着。
木曜日にヒマラヤンソルトが到着。
金曜日の夜から、歩美ちゃんが泊まり込みで、塩と麹をまぜまぜする塩切り作業を、手伝いに来てくれた。

まずは大豆を水に浸して、


麹と塩を混ぜる。


ざっとひと回ししただけで、すごく細かい麹の粉?がパァーッと散って、思わずむせる。
腕の毛にびっちり付いた麹の粉。


愛と感謝の心を込めて、混ぜ〜る混ぜ〜る歩美ちゃん。




さて、今回の会は、あの知る人ぞ知る、メルヘンな丸いお家、のりちゃん邸なのであった。


塩切りをした晩、なぜか大興奮して、目がパチパチに醒めて、なかなか眠れなかった。
麹菌か?
でも、運転手を引き受けたのだから、なんとかして眠らねば!

なんせ、メンバーはみんな、お味噌は作りたいわ、のりちゃんちに行ってみたいわで、前々からワクワクドキドキしている。
けれども、のりちゃんちへは、電車やバスでは行けない。
なので、ニューヨーク組はみな、まずわたしんちに集合して、ここから車で一緒に行くということになったのだ。
電車を乗り換え乗り換えやって来る人に、重たいものを運ばせるわけにはいかない。
そこで、車で来られない人の大豆の水浸けはのりちゃんに、そして全員の分の塩と麹はうちから運ぶ、という段取りにした。
圧力鍋と作業に使うおっきなボール、フードプロセッサーと水浸けした2キロの大豆、それから全員の塩麹。
なかなか迫力のある量だ。
車で行く人数のことで、夫ともめたというか、いつもの会話のすれ違いなんかがあって、かなりストレスフルな2日間だったけど、
ひとまずニューヨーク組のわかちゃんとあっこちゃん、そしてあっこちゃんの愛息くん、それから歩美ちゃんとわたしの5人で行くことが決まり、出発進行!

のりちゃんちが初めての4人は、まずはお家見学と探検。
そしていよいよ、持ち寄った大豆を台所のカウンターに並べた。
これは、一回目の水切りした大豆。こんなのが5回6回と続いた。


マジ?
なんでこんないっぱいあんの?
これって、今日中に終われるのか?

いやもう、いきなりの巨大不安に襲われたのだけど、とりあえず平気なフリして大豆煮開始。


前回の、一回に煮る豆の量が多すぎて、圧力鍋がうまく使えなかったという教訓を生かし、多くても半分以下にして煮る。
3台それぞれのキャラクターを持つ圧力鍋を、使い慣れてきたのはほぼ終了という時だった。
まるでたこ焼き器だな。

こりゃ混ぜるのに、でっかい入れ物が要るなと、慌てて別の容器を洗うあっこちゃん。


豆が煮上がるまでの時間、みんなの手で塩切りしてもらおう。
やっぱりむせたあっこちゃん、怪しいヒトではありません。怪しそうに見えるけど…。


いきなり蓋が開かなくなったあっこちゃんの圧力鍋。
煮てる時からちょっと不調で、なぜか煮汁がポトポト落ちてきて、わたしたちはそれを器で受けては「うめぇ〜」と叫びながら飲んでいた。


原因は、蓋の内側のネジが緩んでいたことがわかり、早速ギュッと締めて調理再開。

熱いうちに潰した大豆と同じ分量の塩麹を混ぜて、ぎゅうぎゅうと保存用容器に詰めていくわかちゃんとレイチェル。


ところが、この方法ではうまくいかないことが後でわかり、なんとせっかく詰めた味噌をまたボールに戻す羽目になった二人。
計りでいちいち量りながら混ぜることを提案したのはわたしで、だからすご〜く申し訳ないことをした。
これもまた、次回への反省点。
それから、大豆は一人1キロじゃなくて、多くても500グラム。
これも次回への申し送りだ。

さて、かしましいわたしたちを優しく見守り、家の屋根の修繕に汗水垂らし、その上にわたしたちの夕飯まで作ってくれたジャン。
でも、わたしたちの作業がいつ終わるのか全くわからず、こちらもちゃんと段取りを伝えなかったので、すごく煩わしい思いをさせてしまったと思う。
感謝と陳謝!
まあ、まだ全然終わってないのだけども、キリをつけて夕飯をいただくことにした。


敷地内にある小川で一息。


いっただきまぁ〜す!


あっこちゃんの愛息くんは、この長い長い時間を、一人遊びで乗り切ってくれた。
せっかく水着まで用意して来たのに、母ちゃんのあっこちゃんを作業に縛りつけちゃったから、結局全然泳げなかった。
ごめんね!
次回はこんなことにならないように、おばちゃんたちがもっと気をつけるからね。

ではここで、わかちゃんが撮ってくれた作業の様子をご紹介。









いやもう、すべてが終わったのが夜の10時。
昼の2時半ごろからやってたんだから、7時間半、ほぼ立ち仕事してたことになる。
なのになんと、納豆作りまでやっちゃおう!という、なんとも意欲満々な女子会なのであった。


台所だけじゃなくて、家中ひっかき回してしまった。
なのに、ニコニコと、楽しかったね〜、またやろうね〜と言ってくれたのりちゃん。
ほんと、感謝です!
ニューヨーク組の送り係をレイチェルが引き受けてくれたので、彼女たちはわざわざうちまで戻り、そこから電車(週末は2時間に1本しかない!)に乗って帰らなくてもよくなった。

それにしても、ほんとに楽しい味噌作りだった。
わかちゃんが弾いてくれる三線の音色に合わせて、ウチナーンチュののりちゃん、沖縄に足を運んでいるあっこちゃん、そして歩美ちゃんが、味噌をこねながら沖縄の歌を歌う。
そうかと思うと、昔懐かしいアニメの歌や流行歌がどんどん出てきて、またまた歌う。
なにせ、30代、40代、50代、60代の、元気な乙女たちなのだ。
なんとも楽しい、懐かしい、可笑しい時間なのだった。

またやろうね!
でも、今度は一人1キロじゃなくて、500グラムの大豆にしよう。
みんな(レイチェルとのりちゃんの以外)のお味噌は、うちの地下室で静かに発酵しているよ。
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いのち

2016年08月04日 | 友達とわたし
急遽、夫とふたりで、カナダに行くことにした。
向こうはこちらと違い、朝晩はけっこう冷えるというので、何かあたたかめの服をと思うのだけど、蒸し暑さに辟易している最中だったからどうにも思いつかない。
それでもなんとか適当に荷造りをして、泊りで空と海の世話を買って出てくれた歩美ちゃんと夫の姉のアードリーに、彼らのことをお願いして出発した。

待たされるのが一番苦手な夫が、国境間際で見つけた、それはそれは小さな国境管理局。
ほんとに越えられるのか?と、ちょいと不安ではあったけれど、思いきって行ってみることにした。
いつもなら、高速道路を真っ直ぐ北に向かうところをちょいと右に曲がると、全くなーんも無いド田舎の道に入って行った。
そしてそこに、ソレはあった…。
なんか、ただの料金所みたいだ…。


入国を終えて、辺りを見回してみたけど、ほんとになーんも無い。



毎年訪れるカナダの湖畔にあるコッテージの、持ち主の息子ルーは、夫が5歳の頃からの幼馴染&ベストフレンド。
幼い頃は両親に連れられて、毎年一度は訪れていたこのコッテージに、50歳を超えた夫は今も、毎年のように遊びに行く。
もちろんわたしも便乗して。
そして、久しぶりに再会するルー&イライザ夫婦と一緒に、料理をしたり泳いだり、本を読んだりおしゃべりしたり、昼寝をしたりカヌーを漕いだりして過ごす。
テレビもラジオも無い、もちろんインターネットも無い、夜になるとそれはそれは見事な真っ暗闇で、だから空の、いつもなら小さ過ぎて見えないはずの星まで見える。
湖には、主のルーンのカップルが住んでいる。
彼らが互いに呼び合う声の切なさは、言葉ではとても言い表せない。




今年の夏もまた、いつものように過ごせるのを楽しみに、それが当たり前のことのように思っていた。








だけど、6週間前のある夜のこと、ある町のレストランで食事をしていたルーの体に異変が起きた。
突如、腕をバタバタさせて痙攣し始めたかと思うと、恐ろしい唸り声を上げて倒れ、そして息が止まった。
顔がみるみる紫色に変わっていった。
その一部始終を見ていたイライザは、ルーはもう助からないかもしれないと思った。
ドクターヘリで最寄りの病院に搬送され、応急処置を受けたけれども、そこでは手に負えないからと、イライザたちが住む町の大きな病院に転送された。
そしてさらに、脳専門の病院に移った。
ルーの脳内に、腫瘍が散らばっていることがわかった。
その中でも特に大きな腫瘍が、言語を司る部位にできていた。
だから、昏睡から目覚めた時の彼は、イライザの名前はおろか、どんな物の名前も思い出せなかった。
それから検査が始まった。
何週間もかかってやっと出てきた結果はグリオーマ(神経膠腫)。グレード(脳腫瘍の場合はステージではなくグレードを使う)は2。
いろんな部位に散らばっているので手術はできないが、錠剤による抗がん治療と放射線治療を併用しながら、様子を見るということになった。
なにやら彼の症状は非常に珍しいので、だから医者たちにとってはチャレンジのし甲斐があるらしく、かなり盛り上がっているらしい。
大いに盛り上がって、見事、彼の悪性腫瘍をやっつけてもらいたいもんだ。


彼の名前はルイ。今年から家族になった。
彼もまた、昨年の夏に亡くなったバートと同じように、引き取り手が無いままシェルターに残っていた大型犬で、そこを訪れたルーとイライザに出会って救われた。



ルーの回復力のすごさに、病院の誰もが驚いた。
いろんな障害が出るだろうと予測されていたのだが、それらのほとんどは却下された。
状況を判断するのが難しかった頃、体に取り付けられたチューブを全部抜き取ってしまい、血だらけになってトイレに行こうとしたことが数回続き、ベッドに拘束されてしまったこともあったらしいけれど、
言葉の回復、記憶の回復、そして身体機能の回復は、医者や看護師の口から「奇跡」という言葉が出るほどの力強さを見せた。
だからルーは、左の耳のすぐ上の辺りに、Uの形をしたホッチキスの痕がある以外は、これまでのルーと何も変わりがないように見えた。


退院後初めてのカヌー乗り。








シルバーレイクよ、彼を守って。




いつもと変わらない風景。










今年初登場のハンモック。


これはなんだ?



6週間前に死にかけていたルーが、泳ぐ?








ルイも泳ぐのが大好き!




バートもこんなふうに湖を眺めていた。



泳いでいる間に頭が痛くなってきたルー。
そりゃそうだよ、いくらなんでも無茶苦茶だよ。
たった6週間前、一ヶ月半前に、マジで死にかけて、それからおっきな開頭手術を受けてんだからさ。


さて、この方はヒキガエルさん。非常に忍耐強い。




木の根っこに寄ってくるアリを、ただただひたすらジィーッと待ち、近づいてきたら長い舌をピュッと出して捕食する。




ルイは起きている間中、丘を駆け巡り、木の枝をかじったり振り回したりして遊び、そしてコトンと昼寝する。








実はこのヒキガエルさんの居る場所がルイの通り道で、だから彼に踏みつぶされたり、見つかって食われやしないかと、わたしたちはハラハラした。
だけど、この見事な変色能力っぷりを見て、心配するのをやめた。




ルイのオモチャと化した、夫の靴下。


これからもずっと、ずっとずっと、こんな写真を撮れますように。





ルーの抗がん剤治療がもうすぐ始まる。
その前に逢おうと、この湖畔に集まった。
治療に先立って与えられた錠剤は、全部で7種類。
そのうちの4錠を朝に、あとの3錠は夜に飲む。
朝の錠剤のどれかが作用するのか、ルーは朝、必ず泣く。
泣くといっても、悲しいとかいうのではなくて、ただ涙が出てくるのだそうだ。
イライザやわたしは、もしかして、ルーの心の奥深くにある悲しみや恐怖などが、その薬によって引き出されるのではないかと想像するのだけれど、
彼はきっぱりと、「いや、そういうことでは全く無い」、と否定する。
朝のルーは、いつもより少しぼんやりしていて、だから名詞が出てこない回数が増える。
例えば、『病院』という名前が出て来ない。
けれども、話の流れから想像して、わたしたちがクイズのように名前をポンポン上げていくと、あ、そう、それ!っと言って話がつながっていく。
まるでわたしの英会話風景を見ているようだ。
だから、全く気にならない。
むしろ、面白かったりする。
けれども、昔、DJで自分の番組を持っていたような、話すことが大好きなルーにとっては、自分の言いたいことが言えない歯痒さとフラストレーションは、かなりのものだと思う。
ちなみにイライザもDJで、彼女の番組のすぐ後にルーの番組があったのだそうで、それで彼らは知り合って恋に落ち、ずっとラブラブのまま今に至っている。
イライザは重度の糖尿病を患っていて、だから彼女もこれまでに何度か、死に目に遭ってきた。
彼らはずっと、互いに支え合い、守り合い、愛し合ってきたのだ。
一時、刹那的に生きていた時もあったけれど、歳を重ねるにつれ、いろいろと考え直し、心身ともに充実した暮らしを築いている最中だった。
彼女はちょいと有名な画家で、大学でも教えている。
ルーは主夫をしていて、家事一般と車の運転を担当していた。
今は全部のことが、イライザの肩に乗っかっている。
この闘いはマラソンになるので、手抜きをしながらやっていかないと身がもたない。


散歩に行ってみた。


わたしたちの水汲み場。


若い緑がきれい。


ルーの左腕の動きが鈍い。
だから、少し体が傾いてしまう。
やっぱりもう少し、ゆっくりした方が良いのかもしれない。
他のがんと違って、どこも変わりが無いし、元気そうに見えるので、他人はもちろん本人も、いつもと変わりなく何でもできる気になってしまう。
だから、気にし過ぎないように気をつけながら、様子を見い見いやっていこう。


ルーとイライザが昼寝をしている間に、夫とカヌーを漕いだ。













夫は、ルーの力になろうと、彼の様子を観察しては鍼治療を施した。
彼にとってルーは、ベストフレンドであり、家族のようでもある、本当に特別な存在なのだ。
だから、少しでも良い方向に行くよう、心の底から願っている。
わたしだってそれは同じ。
だから今回は、手前味噌持参で行った。
そして、毎晩お味噌汁を作った。
治れ〜治れ〜とおまじないをかけながら。




朝の特別な光の中で。













今度は一人乗りのカヤックで。





町に用事があるというイライザと一緒にドライブした。
車の中で、いろんな話をした。
19歳の春、余命一年と宣告されて、どうせダメならと、浄霊を主体に活動している新興宗教の教会に行き、その日初めて会った会長先生に、
「あなたは治りますよ、死んだりなんかしません。ただ、大丈夫だとあなた自身が強く信じること」と言われ、
なんだ、やっぱり大丈夫なのか、そうなのかと、スッキリした時のことを話した。
浄霊の効果はもちろんのこと、自分が治っていく様をはっきりとイメージして、頚椎の内部に起こっていた変化が確実に止まると信じていたのだが、
そういうわたしを支えてくれた、伯母や教会の人たちへの感謝の気持ちが、ふと湧き出してくる恐れや、身体的な痛みを感じた時の助けになったことも話した。

生かされていることへの感謝。
人に支えてもらっていることへの感謝。
イライザがインターネットで調べて、脳腫瘍に良いという飲み物を見つけた。
そのゴールデンミルク(脳に良いと言われるターメリックと黒胡椒をミルクに混ぜ、はち蜜を加えた飲み物)を飲むたびに、腫瘍が恐れ入りました!とばかりに縮こまっていく様をイメージする。
そして、とにかく自分を信じ、良くなることを強くイメージする。

「なんか楽しいよね、きっとうまくいくって思えてきた」

ふと、静かになったような気がして彼女の方を振り向くと、彼女はハラハラと涙を流していた。
車を止めて、強く抱き合って、そして泣いた。
ずっと堪えていた涙が溢れ出て、二人ともおおいに泣いた。
こんちくしょう!


カナダには国民健康保険制度がある。
だから、ここアメリカよりはよっぽどマシだ。
行きたい病院に行けて、診てもらいたい医者に診てもらえる。
けれども、今回のことで来てもらったドクターヘリに4000ドル、ルーがICUから出られなかった時の、イライザの糖尿病に対する応急医療に数百ドルなどなど、
もちろん後で、保険による何割かの負担軽減はあるものの、とりあえず今支払っておかなければならない用件がたくさんある。
加えて、抗がん剤は高額で、すべてを保険で賄ってもらうわけにはいかないので、今後の支払いを考えるとかなり気が重い。
そんなこんなの電話かけをしながらの湖畔のひと時を終え、モントリオールの家に戻った。

近所の黒ねこちゃん。うちの空と違って、人懐っこいったらない。


夕食を食べに行きがてら、








近所の地下鉄の駅。


モントリオールらしい通りの風景。






どの家にも付いているこの階段、めっちゃ好き。


ルーがなぜかとっても見せたがった教会。








中世の雰囲気満点。


あの鳥は何の鳥?



出発の朝、夫はイライザに、ルーに良いと思われるツボを教えた。
イライザはそれを、ササッと絵に描いた。
円皮鍼はネットでも買えるので、それをツボに貼り付けたら良いのだ。
夫はそれでも、何週間に一回は、カナダに行って治療をしようと思っている。



すっかり爺さん婆さんになってから、
「あんときゃほんと、驚かされたよまったく」なんて言いながら、ケタケタ笑い合ってるわたしたち。
きっとそういう日が来ると信じて、そして彼の生命力と心の強さを信じて、また逢う日までさよなら。
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『海街diary』と『しばしのお別れ会』と『カヤック漕ぎ』と『沖縄』と

2016年07月27日 | 友達とわたし
のりこ&ジャン夫妻のまぁるいお家に、初めて遊びに行かせてもらったのは、6月のはじめの、空一面が薄い雲に覆われていた日だった。


水がとにかくきれいで、美味しくて、だからウォータークレスが野生ですくすく育っているような町で、
わたしはいっぺんに惚れてしまい、また行きたくてウズウズしていたのだけど、こちらからお邪魔ばかりはできない(←夫のポリシー)からと、
なんの変哲もない、ありふれたニューヨーク郊外の小さな町の我が家に、遊びに来てくださいと誘った。
それも前日のギリギリに。
友だちの仲といえど、予定を決めるのに最低でも3日以上は必要だからと、事前に都合を聞いたりするのが夫の常識なんだから、思いっきり非常識だった。
すると、カヤックに乗る約束してたんだから、こっちにおいでよ!、とのりこ。
きゃっ!とばかりに舞い上がり、行く行く!と答えていた。

そんな会話をしていたのは土曜日で、のりことジャンは、セントラルパークのストロベリーフィールドで、沖縄の基地問題に苦しむ住民の人たちに心を寄せながら、抗議活動をしていた。
わたしは、アスファルトの熱に猛烈に弱い上に、連日の寝不足で体力に自信が無かったので、参加しないと決めてはいたものの、
実は夫もわたしも、その週末は月曜日までの3連休になっていて、遠出はできなくても何かしら楽しめないかとあれこれ探していたら、
是枝監督の『海街diary』が、マンハッタンのリンカーンセンター・シネマでやっているというので、映画館の中なら大丈夫だろうと行ってみた。
この映画は去年のもので、今年の誕生日に届いた弟からの『お楽しみ箱』の中に、この映画のDVDが入っていた。
是枝監督作品の中の日本の風景は、あるある!と頷いたり、思い出されたりすることが多くて、だからしみじみと懐かしくなる。
人々の暮らしや仕事っぷりはもちろんのこと、出てくる人たちの話し方までが、とても自然なので、妙に可笑しかったり馴染みやすかったりする。
だから、4人姉妹それぞれの言葉や動きの中に、小さかった頃の、少しマセていた頃の、そしてすっかり大人になった頃の自分の、
その時々に感じていた可笑しさや辛さ、恐れや怒りや悲しみが、細い水の糸になって絡み合い、わたしの心の中に静かにしみ込んできて、
気がつけば、圧倒的な悲しみに、わたしはすっぽりと覆われていた。
だからぎゅうっと唇を閉じていないと、場所を構わず、小さな子どものように、オイオイと泣いてしまいそうだった。

その後すぐに、クィーンズに住む次男くんたちのアパートに行き、ガールフレンドのまなっちゃんの誕生日祝い&しばしのお別れ会をした。
そんなこんなの、けっこうバタバタしている間に、のりこが誘ったレイチェルと彼女の娘っ子のジェイン、そしてわたしたちの4人がお邪魔する、という計画ができていた。

庭がずいぶんと進化していた。


カヤックがもう既に準備完了。大変だったろうなあ…。


のりこの庭は、わたしが目指す大きな岩と緑のコラボ。


なんて美味しそうな土だこと!


シーサーが見守る庭。


でっかい花。隣のジョウロと見比べてほしい。


これまた元気いっぱい。


花も元気。





さあ出発!
カヤックの先端がにょっきり…こういう光景はなかなか見れない。


4つのカヤックを積んだジャンの車。カヤックはびくともしない。


着いた!前回の湖より何倍もでっかい。


なんか、カナダを思い出す。




レイチェルが持参したカヤックは、彼女の娘たちからの贈り物。今日は初乗り。


順々にカヤックを湖に浮かべる。






オールを組み立てるのりこ。ベテランさんです♪




カヤックの中にカメラを持ち込むのはやめた方がいいと言われ、しぶしぶ諦めた。
だからここからは、レイチェルが携帯で撮ってくれた写真をお借りして。






ジャンのカヤックには帆が付いている。
彼は小さな頃からカヤックに乗っていて、だから帆が受ける風の強さや向きを見極めることができる。
この日はほとんど無風に近かったから、ちょっと大変そうだった。




暑いけれども、水の上なので気にならない。だけど念のために木陰で休憩。


カヤックに乗りながらいっぱい話をした。やっぱりのりこは、出会うべくして出会った人だと思った。


ジェインはピューっとどこかに行ってしまう。漕ぎ方がうまい。


そして、木陰でゆっくりと涼んでいる。


水がきれいで、だからマジで泳ぎたかったのだけど、泳いだ後にもう一度カヤックに乗り込めないのはわかっていたので諦めた。


もうどこにでも生えている野生のラズベリー。超〜うま!



今度はみんなで手伝って、カヤックを積み直し、


サンルーフからカヤックを見上げながら走っていると、


「あ、卵!」とのりこが指差す方を見ると、看板が出ていた。
このお家はご近所で、だからまずは家に戻り、財布を片手に歩いて行ってみると、残念ながら売り切れていた。


ジェインとジャンが、カヤックの片付けをしてくれている。



さあ、夕食の時間だ!
わたしたちが台所で野菜料理をせっせと作っている間に、






ジャンは、秘伝のバーベキューソースをたっぷりかけたそれはそれは美味しいチキンや野菜を、焼いてくれていた。


蚊対策はバッチリ。




小川のせせらぎの音が、耳に心地よい。


この平和を、静けさを、そして自然との共生を、凄まじい騒音と恐怖によって奪われてしまった沖縄の人たちの無念と怒りに想いを馳せる。



わたしのドリームハウス?蚊帳つきの部屋!


美味そ過ぎ!




さあ、食べよう!


レイチェルの娘ちゃんのジェインは、とても聡明でチャーミングな女性で、けれども時々、コトンとレイチェルの肩に頭を乗っける可愛い仕草をする。
いいな〜やっぱり…うちの息子たちなんて、わたしが近寄っていくと後ずさりするんだもんな…。





楽しい時間、美味しい時間は、あっという間に過ぎていく。
気がついたらまた、夜の10時を過ぎてしまっていた。
ジャンとのりこが製作中の、沖縄のドキュメント映画の一部を見せてもらった。
のりこは沖縄のやんばる出身で、だから彼女の沖縄への想いは、わたしの想いなどとは比べ物にならないほどに強い。
そんな愛しいのりこの想いに共感したジャンは、沖縄を学び、沖縄に足を運び、沖縄を自分の心と体で感じ、それを映像に残したいと願っている。
映像とともに流れる三線の響きが、胸に響いた。
映像を見つめているうちに、わたしの頭の中で音符が踊りだした。

さて、居心地が良すぎるからと、長居していてはいけない。
ジャンは明日、務めがあるのだ。
それに、空と海はきっと、連日の置いてけぼりにムシャクシャして、拗ねているにちがいない。
などと自分に言い聞かせなければならないほどに、離れがたい友だちと場所に出会えた。
ほんとにありがとうジャン、ありがとうのりこ。
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