前々からいつか真面目に取り組んでみたいと思っていたモルダウの連弾を、ジェーンと一緒に練習していくことになりました。
スメタナはチェコ(今はチェコ共和国という名前になりましたね)出身の作曲家です。
チェコは「ヨーロッパの心」「芸術の都」と言われています。
10年ほど前に、ほんの1日でしたがチェコを訪れたことがありました。
どこを見てもまるで絵本や映画の中に入ってしまったような、それはそれは美しい景色に浮かれながら歩いていたのですが、
その際に案内してくれた若い女性のガイドさんが、「こんなふうに自由に自分が思ったことを、誰かに普通に話せるようになったのは、ほんの少し前なんです」と言って、その生々しさに胸がギュッと締めつけられたことが忘れられません。
「プラハの春」弾圧から50年、犠牲者を追悼 反ロシアデモも チェコ (2018年8月21日の記事より)
「プラハの春」は1968年の春、共産党の一党独裁だったチェコスロバキアで新たに第1書記に就任したアレクサンデル・ドプチェク(Alexander Dubcek)が、「人間の顔をした社会主義」を目指して進めた民主的改革運動。
しかし、同年8月20日から21日にかけて、ソ連を主体にブルガリア、東ドイツ(当時)、ハンガリー、ポーランドのワルシャワ条約機構(Warsaw Pact)5か国軍がチェコスロバキアに侵攻。
民主化の動きは徹底的に弾圧され、「プラハの春」は終わった。
歴史家らによると、弾圧の初日だけで約50人のチェコスロバキア人が死亡。
ソ連占領下の犠牲者は約400人とされる。
■「1968年と今(2018年8月)は似ている」
「プラハ市民は断固として占領を拒否したのに、一部のロシア人はいまだに占領は国際的な支援だったと思い込んでいる」
「50年前のような介入は現在も起きている。ただし現代の介入は戦車ではなく、プロパガンダやフェイクニュース、選挙に影響を及ぼす手法によるものだ」
抗議デモではチェコ国旗や欧州連合、北大西洋条約機構(NATO)の旗のほか、ウクライナの旗も見られた。
「ソ連共産党による1968年の(プラハ)侵攻と、オリガルヒ(新興財閥)が実質的に権力を独占している現在のロシアの状況とは、確実に似ている」
ロシアのウクライナへの軍事侵攻が始まってしまいました。
人口減少、原油の枯渇、支持率の低下、NATOとのせめぎ合い、などなど、読んでも読んでもキリが無いし、本当のところがどうなのかよくわかりません。
でも、始まってしまいました。
空から恐ろしいものが飛んできて、人や動物や町の命を粉々に壊していく悍ましい戦争が、また始まってしまいました。
国際的な支援、人道的な措置、正義などなど、どんな理由があっても戦争はしてはいけないことなのだと、世界中の首長を集めて徹底的に教育して欲しいです。
戦争や侵攻を犯した人間は、どんな立場の者であれ、殺人の罪で一生刑務所の外に出られないようにして欲しいし、
どの国の軍も、まず戦争放棄を誓い、自国民を災難から救助することを一番の仕事とする組織になるよう、一国残らず集まって協議を重ねればいいと思っています。
こういうことを言うと、よくお花畑っていう言葉で括る人がいますが、お花畑の真ん中で呆けているのは、自分は絶対に巻き込まれる危険は無く他人事であると思い込んでいる人のことを言うのだと思います。
ウクライナ出身の友だち、ロシア出身の友だちが、それぞれに苦しんでいるのを見るのが本当に辛いです。
1日も早く、この愚かな侵攻が終わることを祈ります。