ほんの少し前まで、どうしても食べられなかったオートミールの朝ごはん。
夫が毎朝のように作っているので、今ではそのお相伴に預かっている。
なんといっても自分で作らないで済むのがありがたい。
ほぼお粥状態なのだけど、それでもつぶつぶを全部噛み砕いてしまわないと気が済まないので、わたしの食べる速さは夫の2倍はかかる。

先日の水曜日に、歯科医も看護師も全て韓国人、治療費は安いのに腕が良いと評判の歯科医院で、クラウン治療の土台をつけてもらった。
2週間後にもう一度行って被せ物をくっつけてもらったら治療が完了する。
わたしの歯は虫歯になりやすいのだけど、根っこはものすごく頑丈で良いと医者は言う。
褒めてもらってるようなもらってないような、複雑な気持ちになる。
こういうタチの歯の持ち主は、歯科医院の経営にかなり貢献することになるはず。
まだ治療が完了していないので断言はできないけれど、前の歯科医院で4000ドル以上かかるはずだった治療が1750ドルで済んで、さらに噛み心地が良かったりしたら、今後の虫歯治療を全面的にお願いすることになるだろう。

ここ数年、どんどんと寝坊に拍車がかかっていたのだが、少し前から突如早起きしている。
早起きといっても6時50分で、それって普通じゃないの?と思う人も少なくないだろう。
でもわたしにとってはその時間はもう、めちゃくちゃ特別なことが無い限りあり得ない時間だった。
でもそのあり得ない時間があり得る時間になったのは、日本の大切な人たちに向けて、遠隔浄霊をさせてもらいたかっただからだった。
ご浄霊というと、え?っと思う人がいるだろう。
だからブログではあまり書かないようにしてきた。
落下事故の後遺症で頚椎の内部がどんどん狭まって、ついには首を切断されたのと同じような状態になるのを防ぐため、奈良医大での治療が始まったのが16歳。
その頃の家庭事情がかなり悪くて、治療費も払えないでいたわたしを心配して、治験扱いにして無料にしてくれた主治医は、その分野では全国で3本の指に入る名医だった。
10名近くのインターンたちが見守る中、治療や手術を数年かけて受けたのだけど、残念ながら症状の進行を止めることができず、あと1年保つかどうかという余命宣言を受けて、わたしは病院を後にした。
治療中はベッドに横になることもできず、天井からぶら下げたブランコのようなものに顎を乗せ、座ったまま眠っていたのだけど、もうそれも取っ払って大の字になって眠れるのが嬉しかった。
まあいつ死んでも生きてるより楽かもしれないと思うほどのクソみたいな生活環境だったので、それほど悲しまなかったのだけど、それでも成人にすらなれないってのはどうよ、などと思っていた。
そんなわたしにご浄霊を勧めてくれたのが、父の姉である伯母だった。
その伯母は、散々迷惑や心配をかけてくる弟に手を焼いていたが、その子どものわたしやわたしの弟が困った時は、いつも手を差し伸べてくれた人だ。
伯母に紹介されて行った教会で、初めて会った会長先生という人からお浄霊を受け、その時にこう言われた。
「大丈夫ですよ、きっと治ります」
もうその瞬間からずっと、治らない気がしなかった。
毎日欠かさず通ってお浄霊を受け、その度に失神したり痛みにうめいたりしたけれど、それがなんだか嬉しかったりした。
1年近く経って、そろそろ余命宣告日が近づいてきた頃、いきなり体がおかしくなった。
立つことができなくなって、次第に食べることもできなくなった。
水だけで凌いでいたのだけど、とうとう息がちゃんと吸えなくなって、1分間に何回息が吸えたかを数えながら過ごした。
なるほど、そうか、やっぱりダメだったのか。
なんとなくぼんやりと、自分自身が薄まっていくような気がした。
そんな夜のことだった。
夢を見た。
わたしは必死で逃げていた。
吐き気がするほど生臭い、姿かたちははっきりとは分からないのだけど、実におぞましく不気味なものに追いかけられていた。
両側は草むらで、けもの道のようなところを駆けていたのだけど、それが突然二股に分かれてしまって、どっちに行ったらいいのかと焦っていると、管長先生が立っていて指差してくれた。
何度か同じようなことを繰り返しながら、瞬間その魔物に肩を掴まれてはギョッとしたりしながら、それでも必死で走り続けていたら、いきなり六角形の広間が中央にある広場に出た。
その広間の襖が全部開いていたので、迷わずそこに飛び込んだ。
その直後、全ての襖がパンパンパンと大きな音を立てて閉まった。
助かった!
そう思ったけど、やっぱりまだ怖くて、新しい畳の香りがする広間にへたり込んでいた。
しばらく経ってそろそろと襖を開け、周りを見渡したけど、もうそこには誰もいなかった。
ほんの数歩ほどのところに、透き通った水がサラサラと流れる小川があって、わたしは裸足で近づいて行った。
すると、正面の、けれどもずっと向こうに、大勢の人たちが立ってこちらを見ていることに気がついた。
つい先ほどまでの薄暗くて不気味だった世界はどこかに消えて、それはそれは暖かで、明るくて、気持ちのいい空間の中で、知らない大勢の人たちとわたしは、その小川を挟んで向き合っていた。
小川の中に足を踏み入れていくと、後ろからわたしの名前を呼ぶ声が聞こえた。
聞き覚えがあるような無いような、けれどもとても懐かしい声だった。
おばあちゃん?
そう思って振り向いた途端、わたしは夢から覚めた。
いつもの薄い布団の上で目覚めたのだけど、喉元にすごく大きな塊が込み上げてきていて、こんなところで吐くわけにはいかないと思っても立ち上がれなかった。
そうだ、わたしはもう立てなくなっていたんだと思い出しながら、廊下の向こうのサッシの引き戸まで這いずっていった。
戸を開けて頭を外に出した直後に、その塊が口からズルリと落ちてそのまま気を失った。
気がついた時は朝になっていた。
なぜかわたしはサッと立ち上がり、そのまま洗面所に行って鏡を見ると、唇と顎の辺りに乾いた血の跡をつけた自分の顔があった。
気分はなんとも爽快で、ずっと上手くできなかった息も普通にできて、わたしはその時治ったことを確信した。
1年前、「役に立てなくてごめんね」と、涙ぐみながら謝ってくれた主治医を訪れ、レントゲンを撮ってもらい、その映像を一緒に並んで見ながら泣いた。
「僕は医者だから信じないけれど、こういうことも起こるのだということを経験させてもらった」と言ってくれた。
そんな経験をした後、いろんな場所に出向いて行っては、わたしの方からご浄霊をさせてもらった。
乳腺炎がひどい人がみるみる良くなったり、癌の末期で苦しんでいる方のご浄霊をさせていただいていたら、まるで眠るように息を引き取られたこともあった。
けれども、離婚や再婚やアメリカ移住などで住む場所や環境が変わっていく間に続けていくことができなくなってしまい、30年近くもの間ずっと不沙汰を続けていた。
そして昨年末に、96歳の伯母が体調を崩して危ないかもしれないという連絡を受け、居ても立ってもいられなくなったのだけど、コロナ禍の中で動きが取れなくて、思い立ったのが再入信だった。
いろんな方々の助けを借りて、再びお守りさまを肌身につけて伯母にご浄霊をさせていただけるようになった。
伯母はオミクロン株に感染し、自宅隔離をしていたが、非常に軽い症状が出ただけで済ませてもらった。
今は同居している従姉妹が、随分待たされたPCR検査をやっと受けることができたので、陰性であることを祈るばかり。
たとえ陽性であったとしても、罹ってからかなり日が経っているし、その間も大した症状もなく過ごせているので大丈夫だろうと思う。
インターネットのおかげで、遠隔浄霊も漠然と日本がある方角に向かってするのではなく、目の前の画面に映る人たちを見ながらできるのでやり甲斐がある。
というような毎日を送っていることを書こうかどうか迷っていたのだけど、これもわたしなのだからと踏ん切ることにした。
天に向かってバンザイするカエデの爺さん

陽の光を受けてキラキラ輝くお昼寝岩さん(わたしの技術では、その肝心のキラキラが写せない!)

外遊びに行こうかどうしようか悩む海の後ろ姿

わたしがチョコレート断ちしてることを知らない生徒から、酷なバレンタインプレゼント😭
