ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

母の笑い声

2020年08月04日 | 家族とわたし
北アメリカ東海岸の真反対側、西海岸在住の、厄介な癌にかかった弟を、毎日電話することで支えている夫の姿を、よくまあ続くわと傍観すること早4年。
ふと気がついて、わたしも真似してみようと、頸椎の整形手術を受けてもなお足腰の痛みに苦しんでいる母に、インターネット電話を毎日かけるようになって1ヶ月半が経った。
始めた頃のことは、ここに書いた。

この頃から今までの間、痛みの軽減に効くと思われる健康機器や食品、そしてお茶や漢方を調べては伝え、色々と試してもらった。
母は85歳で足腰が弱り、トボトボとしか歩けない(母はそれが嫌で嫌でたまらない)のだけど、首から上は実に明晰で、最近になって手に入れたスマートフォンと新しいiPadを駆使している。
だからインターネットでの会話も検索も難なく出来るので、遠く離れたところに居るわたしでも何とか役に立たせてもらえるので助かる。
毎日話しているうちに、言葉や声の調子がだんだんと変わってきた。
「こんな人生もうイヤ!」とか、「何のために生きてるかわからん!」とか、何かというと口にしていた台詞を言わなくなった。
そうはいっても、治療ごとに、「変なとこばっかりに刺す」だの、「やってもらった方がしんどくなる」だのと、良いことは全く無いような口ぶりで、「それは経絡を考えて刺してるんやで」、「好転反応やで」と言っても聞く耳を持たない。
ここはとにかく、「もう止める」と母が言い出さないように気をつけながら話を聞いていたのだが、わたし以上に根気が良い先生のおかげで、文句が少しずつ減っていった。

2週間ほど経って、通うのが大変になってきたので、在宅治療に切り替えてもらった。
「保険適用にすると一回の治療費が安くなるので、少なくとも週に3回受けられますよ」と先生から提案があったのだけど、母はすぐに返事が出来なかった。
その保険を使うには、病院の診察と薬を断たねばならなかったからだ。
でも、痛みが激しいときに使っていた座薬の効き目が悪くなってきていたので、今が決め時かもしれない。
わたしは密かにそう思いながら、けれども母は自分で決めたい人なので、わたしからは何も言わずに待つことにした。
結局母は鍼灸治療のみを受けることにして、週3回の在宅治療が始まった。
鍼の先生のところには、遠い所から訪ねてくる人もいて、治療も鍼灸だけでは無いことがだんだんとわかってきた。
自分の話を3時間、延々と語っては泣き、また語っては泣いて、すっきりして帰っていく患者さんもいるらしい。
アプライドキネシオロジー(マッスルテスティング)を使ってアレルギーの有無を調べたり、母に合う楽な歩き方を教えてくれたりもする。
「あなたは栄養失調だ」と言い切って、母を憤慨させたりもする。
この件に関しては、東洋医学的に診てっていう話だからと、説明するのにかなり時間がかかった。
母にとっては初めてのことばかりで、いつもの母だったら毛嫌いしたり拒絶したり信じなかったりするのだけど、ありがたいことに今回は面白がっている。
きっと相性が合ったのだと思う。
なかなか無いことだから本当に嬉しい。
鍼灸と漢方、それから遠赤外線マットと矯正ベルトの着用、そして同じ姿勢を1時間以上続けないことを守ってもらううちに、突き刺さるような痛みが薄らいできた。
けれども、そんなふうに調子が良くなったと思ったらまた悪くなる。
全く眠れないまま夜が開けたり、トイレに行こうとしてバタンと倒れたり、痛みで目が覚めたり。
そんな時でも、絶望的な気持ちにならずに、また楽になる日が来ると思えるようになった。

♪〜幸せはー歩いて来ない、だーから歩いていくんだよ。一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる〜♪

これ、水前寺清子さんのヒット曲「365歩のマーチ」なんだけど(きっと昭和のど真ん中生まれでないと知らないかも)、母と話しているときにいつも歌う。
「もうええわ〜」って言われても歌う。
「三歩進んでも二歩下がったら一歩だけしか進まんかったってことやん」
「違うよ、二歩下がる時も歩いてるやん」
「なんで下がったかをよく考えると、その意味やら理由やらがわかってきて、次の一歩進むときに励みになったり役立ったりするかもしれんやん」
「そやし、歩みっていうのは進もうが後退しようが、全部大事で意味があることやねん」
えっへん!
と、ピアノ教師歴40年超えのプチ説教を始める。
いつもならそんな時は途中から話を変えたり邪魔したりする母が、最後まで聞いてくれるのでびっくりする。

室温や湿度が上がってきて、遠赤外線マットや矯正ベルトが使い辛くなるだろうと思い、除湿機や寝室用のエアコンを色々と探したのだけど、除湿機は全く役立たずで返品、エアコンは壁付け工事が不可能で却下、床置きクーラーも排熱ができないので諦めた。
居間のエアコンの設定温度を普通より低くして、部屋続きの母の寝室に扇風機で冷気を送ってこの夏は凌いでみよう。
それが今日の話のメインテーマだった。
こうやって毎日話していると、母は相談したいことが次々に出てくる人なんだということがわかる。
そんなこと聞かんでもわかるやんと言いたくなるようなことから始まって、わたしも一緒に頭を抱えるようなことまで、本当に次から次へと話題が出てくる。
でもその声が、一日一日明るく軽やかになってきて、それが本当に嬉しい。
最近では、母に邪険にされて縮こまっている事が多い義父も一緒に、よく笑ってる声が聞こえてくる。
また二歩下がる時もあるだろうけれど、365日、一緒に歩いて行こうと思う。
こんなので孝行なんていうのは厚かましいかもしれないけれど、わたしにほんわかとした嬉しさを感じさせてくれる母に心から感謝している。

タイトルの写真は、随分前の母の作品。
酉年のわたしにと銅板を彫ってくれた。
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