コンサートの二日前、最後のレッスンを受けにマンハッタンに出かけた。
ギリギリのギリギリまで音を足したり削ったり、パートナーのサラと一緒に、表現やテンポの合わせ具合の細かい調節をしたりしながら頑張ってきたので、すがすがしい気分だった。
気持ちがぴったりと合う嬉しさと、やるだけのことはやったという、でもそれは多分自己満足に過ぎないのだけど、ワクワクとした高揚感に包まれていた。
通しで一回弾いてみてと言われ演奏した。
あともう丸2日しかないので、これまでみたいな細かな注意とかは無いだろうと思っていた。
甘かった。
ヴァイオリンにもピアノにも、容赦無く次々と、ダメ出しが為された。
それらを一つずつ解決して、そろそろレッスンも終わりかけていた時に、アヴィタルがこんなことを言い出した。
「まうみのソロのところ、あれ、もうほとんど聞こえないくらいのピアニッシッシモで弾けないかな?」
「今のピアニッシモではだめ?」
「うん、あそこは普通に弱いっていうんじゃなくて、すごく特別な静けさが欲しい」
「そういうテクニックをきちんと磨いてこなかったんだけど…」
「じゃあ今日から磨けば?ハノンとかスケールとかバッハのインヴェンションとかをpppで弾きまくればいい」
「……」
「すごく注意して音を聞きながらしないと、音の粒が整わないから気をつけてね」
家に戻るや否や、ピアノの前に陣取って、早速ppp(ピアニッシッシモ)の練習を始めた。
うちのバランスが悪いピアノの鍵盤でなんとか弾けるようになったらきっと、カーネギーのシュタインウェイのピアノだと気持ち良く弾けるはず。
そう自分を励ましながら、焦る気持ちをなだめながら、少しでも時間が空いたらピアノに向かった。
そんなわたしを慰めようとしてくれたのか、いつもなら絶対に座らないピアノ椅子に空が上ってきて、お尻にぺたりと体をくっつけたまま動かない。
お尻が妙に温かい…。
俄仕立てのピアニッシッシモだけど、とりあえず舞台で演奏できるはず、と思えるまでの自信はついた。
よし、寝るぞ!
興奮してるからか、まるで眠くならなくて、羊を何匹数えても、ウサギを何羽数えてもダメ。
本を丸ごと一冊読んでしまった…。
眠らなくても目を閉じて横になるだけでも休むことになるはず。
でもやっぱり、当日の朝はかなり怠かった。
朝風呂に入り、衣装に最後のアイロンをかけ、荷物を整えていざ出発。
夫は演奏会前の軽食パーティを、マンハッタンにある両親のアパートメントで行うからと、その準備でおおわらわ。
パーティには、演奏会を聴きに来てくれる家族や友人たちがやって来る。
ほんとなら、演奏者のわたしが居るべきなんだけど、演奏会前はできるだけ静かに一人で居たいと思う人間なので、一度も参加したことがない。
ドレスリハーサルの前に最後の合わせ練習をして、カーネギーに地下鉄で向かった。
空は快晴、湿気も少なくて気持ちがいい。
ホールの周りには、大勢の、お揃いの青いロングドレスを着た女の子たちと、タキシードを着た男の子たちで賑わっていた。
こりゃ多分コーラスの団体だなと思っていたら、案の定、わたしたちと同じ時間帯に、一番大きなホールを使って演奏会をするらしい。
1000人近い合唱団と、その親御さんやお友だちとなると、ものすごい人数になるだろう。
ドレスリハーサルも無事終わり、お辞儀の仕方(今回は作曲もしたので特別に)を打ち合わせたりしているうちに、気持ちがグングンと高揚してきた。
やっと聞いてもらえる。
嬉しいような照れくさいような、そしてもちろんドキドキもして、どんどんと近づいてくる本番を前に、控室で気持ちを落ち着けていると…。
いきなり真っ暗になった。
たまたまその時は、控室にはわたしの他に誰も居なかった。
自分の家の中だと、ちょっとびっくりするぐらいの停電も、まさかここで?と思う場所だと驚きの度合いが違う。
控室のドアは防音のためにすごく重くて分厚い。
ちょっとパニックになりながら、部屋の外に出た。
みんなびっくりしている。
楽器を置いたまま、食事をしに出かけた仲間もいる。
まさかエレベーターに閉じ込められたりしてないだろうな?
サラは普段から、エレベーターに乗れない人なので、多分大丈夫だろう。
4階の廊下に残っていたメンバーが集まってきた。
そこにホールのセキュリティの人がやってきた。
かなりの広範囲の停電だと言う。
原因が分からないので、復旧がいつ始まっていつ終わるのかも分からないと言う。
でも、できるだけの努力をして、コンサートが開かれるようにします。
なんて言ってくれたのだけど、アメリカの停電の復旧速度を知っているわたしたちは、すでに多分ダメだろうと思い始めていた。
なぜか4階に留まるように言われ、しばらく何もできないまま待った。
舞台では、暗がりの中、ピアノの調律が行われていた。
ホールはもうしっかり冷やされているし、楽譜が読める程度の灯りの確保ができたら、演奏会をやっちゃえるかな?
なんて、冗談とも願望とも言えない話を仲間たちとしながら時間を過ごした。
急に、今から誘導するので1階に避難してくださいと言われた。
荷物や楽器はどうするの?と聞くと、そのまま置いたままでいいと言う。
みんなでゾロゾロと降りて行った。
ドア一枚向こうの外では、合唱団の学生とその関係者、そしてわたしたちの演奏仲間とお客さんでごった返していた。
みんな一様に暑そうだ。
わたしたちが中に居るのを見て、「どうして自分たちを入れてくれないんだ!」と怒り出す人が続出した。
わたしたちはわたしたちで、一旦外に出てしまったら戻ってこれませんと言われて、どうしたらいいものか決められないまま、外の家族や友人に手を振ったりしていた。
とうとう全員外に出ることになり、やっとみんなと話せることになった。
通りでは、救急車や消防車が何台も行き交っていた。
警官は一人も見なかった。
目の前の交差点では、バックパックを背負った一般市民がど真ん中に立ち、交通整理をしていた。
やっと一台の消防車がやって来て、3人の消防士さんが降りてくると、歓迎の拍手がわいた。
刻々とコンサートの時間が近づいてくる。
これはもうダメだな。
誰もがそう思い始めた時、やっと、出入り口のガラスドアに、こんな張り紙が現れた。
わかっていたけど、本当に決まったら、心がしゅうっとしぼんだ。
停電に文句言っても始まらないんだけど、なんでよりにもよって今夜のこの時間なのだ?と、つい考えてしまう。
そっか、ピアニッシッシモの研鑽にもっともっと励め!ということなんだな。
わかりましたよわかりました!
練習しますよ。
今夜、カーネギーから連絡が来た。
11月の感謝祭の2日前、だから平日の火曜日の夜だったら振替ができる。のだそうだ。
感謝祭の2日前なんて、アメリカ全土で国民大移動が始まっているし、気分は演奏会どころではない。
しかもその10日前には、同じくカーネギーの中ホールで、ACMAとしては初めての、合唱とオーケストラだけのコンサートを行うことになっている。
わたしはその中の1曲を、指揮することになっている。
だからタイミング的に非常〜に良くない。
もうこうなったら仕方がない、来年だ来年!
というわけで、ピアノ人生初めての演奏会のドタキャンを経験し、なんかこう、終わったような終わってないような、戸惑いながらがっかりしてる、みたいな、
なんとも味わったことのない気持ちを経験している今日この頃なのです。
あの夜、都合をつけ、計画をし、わざわざ会場まで来てくださったみなさんに、心からのお詫びと感謝を申し上げます。
きっといつか演奏しますので、どうかそれまで、お手持ちのチケットを大切に保管しておいてください。
よろしくお願いします。