ミーロの日記

日々の出来事をつれづれなるままに書き綴っています。

脚本家兼主人公は自分

2017-10-16 16:41:45 | 日記
朝起きてきた夫が「昨夜はよく眠れなかった」と言う。

なぜ眠れなかったのかと言うと、寝る前に映画を観たからだそうだ。

どんな映画を観ていたのか知らないが、夫が好きな映画は社会派のテーマが重い映画なので、きっとそのような映画を観ていたのだろうと思う。

用事があって夫が映画を観ている部屋に入った時、ちらりと見た画面が暗くて重そうな感じだったので間違いない。。。

夫とは映画の趣味が合わないので、最近は一緒に観ることは少なくなった。

私はどちらかというとコメディ映画が好き。

「単純な思考回路」と言われようとも、ワハハと笑って、あ~面白かった!で終わる映画が好きだ。

まぁ、好みは人それぞれなので、どのような映画を観ようとかまわないのだが、映画を観た後に眠れなくなるというのはちょっと困るかもしれない。

映画というのは真剣に見れば見るほど、そしてそれが映画の醍醐味でもあるのかもしれないが、ストーリーの中に自分が入ってしまうことがある。

それは余韻となってしばらく続く。

話は変わるが、先日も実家の片付けに行ってきた。

今回でひとまず終了できそうなくらい片づけが進んだのだが、今回の片づけでは、母が仕舞いこんでいたモノの数々を処分してきた。

母が亡くなって30年あまり・・・その前から母がため込んでいたモノたちなので、私たちが小中学生時代の洋服や使わずに仕舞われていた昭和時代の食器や小物家具などがたくさん出てきた。

それらの品々を眺めていたら、まるでその当時にタイムスリップしたような気がした。

今回は妹も一緒に片付けていたのだが、ひとつひとつのモノに思い出があり、それらを使っていた日のことが思い出される。

「あんなことがあった」「こんなこともあった」と妹と話をして帰ってきたのだが、その日の夜、夫じゃないが私もなかなか眠れなくなってしまった。

昼間に実家で処分したモノにくっついた思い出(過去)が、私の身体にまとわりついて離れないような感覚がした。

目をつぶれば、昼間に処分した服を着た子供の頃の私がいる。

子どもの私が、今はもう壊されて存在しない家で過ごしている場面が、まるで古い映画のように鮮明に脳裏に流れていく。

懐かしくはあったが、そのような映像を見たいわけでもないのに、私の身体にまとわりついた古い時代の思い出がなかなか離れず、眠ることができなかった。

子ども時代は貧しかったが、けっしてそれが不幸だと思ったことは無く、むしろ両親の愛に育まれて幸せだったと思う。

しかし、その頃に戻りたいか?と聞かれたら、もう戻りたくはない。

また同じ「私」としての人生をやり直すことは、ごめんこうむりたい。

振り返った自分の人生の中で、あの時こうしていれば・・・ということは無くはないが、あの時はあれで仕方がなかったのだと、今は思える。

眠れないまま子供の頃の映像を眺めながら、そのようなことを思っていた。

そして、やはり私たちはみんな映画のような人生の中で、それぞれの舞台で、それぞれのテーマに沿って演じている役者なのだと思った。

本物の映画と違うのは、映画のあらすじを脚本家さんが書いてくれるのではなく、自分自身で書いているということかな・・・

私が演じる「私の人生」という映画は、これから先もまだ続くはず・・・

だからこれからも暗く重たいテーマの映画ではなく、私の好きなワハハと笑って終われる映画を作り続けていきたいと思う。

そして、「あ~楽しかった」と言って最期を締めくくりたいものだと思う。








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