窓の外を見ていたら二匹のキツネがいた。
二匹も同時に見るなんて珍しい。
キツネを見かける時はいつも一匹だけだったが、どちらを見ていたのだろう?
多分両方だったのかもしれない。キツネという括りで見ていたので、見分けがつかなかった。
でも実際に二匹を比べると、違いがはっきりとわかった。
全体的にふっくらとしたキツネは丸顔で、まだ幼さが残る顔をしている。
そのキツネに比べて少し痩せて小さめの方は、毛並みからして歳をとっているように見えた。
見ていると、年上のキツネが何か獲物を捕まえたらしいのだが、それに気づいた若いキツネが、獲物を奪おうと年上キツネに向かって突進していった。
二匹はぎゃんぎゃん鳴きながら取っ組み合いをしていたが、あっという間に勝負はついて、若いキツネが獲物を奪った。
年上のキツネは、それを奪い返しに行くわけでもなく、またエサを探して歩き回り、エサを探す年上キツネのそばでは、若いキツネが悠々と獲物に食らいついていた。
キツネに聞いた訳ではないが、この二匹は親子ではないかと思う。
巣立ち前か巣立って間もなくなのかは分からないが、親キツネは子キツネに獲物を盗られても仕方がないか、、とでも言ってるように見える。
これまで親キツネは、子キツネに何度も餌を運んで育ててきたのだろう。
大きくなって独り立ちして、ついに親の獲物を奪うまでになった。
「お母さんキツネ(もしかしたらお父さん?)は痩せていて可哀そう、、少しは分けてあげなさいよ、今まで育ててもらったんでしょ?」と思うのは人間だからなのか。
野生動物の世界は、なかなか厳しい。
でも人間世界であってもキツネ以下の親は多いし、親の獲物ならぬ資産を狙って酷いことをする子もいる。
そういう意味では、野生動物より人間の方が始末が悪いかもしれない。
ところで「長男は親の面倒をみるのが当たり前だ。早く一緒に暮らそう」と、顔を見るたびにご主人の親からそう言われているという知人が、暗い顔をして話してくれた。
うちもそうだったが、田舎の人は子どもは親の面倒を見るのが当たり前だと思っている人は多く、一緒に暮らせば老後は安心だと思っている。
でも昔はそれが当たり前だったが、今は違う。
子どもは自分の生活で精一杯だし、昔と違って老人が家でする仕事は少ない。
果たして、突然一緒に暮らしても幸せなのだろうかと思う。
一人で暮らす孤独より、家族の中で感じる孤独の方がつらいのではないだろうか。
でもそれは決して他人事ではなく、うちはまだ先の話と思っても、いずれそれは訪れる。
できれば最後まで子どもに頼らず、自力で暮らしたいと思っているが、それには健康でいることが第一。
そして健康と同じくらい大切だと思うことは、孤独であっても、いや、、逆に孤独であるからこその楽しみを見つけて、幸せに生きる術を身につけることではないかと思うようになった。
とかなんとか、二匹のキツネちゃんから話が飛躍してしまったが、やっぱりキツネは可愛いわ、、、と思う。