いつものように夕食の支度をしていた時のことだった。
「ここは時間限定で滞在している仮の世界。今は、こうして自分が望んできた役割をしているが、肉体の寿命が来たら、元の世界に戻るのだ」
突拍子もないようなことだが、突然、そのような言葉が浮かんだ。
浮かんだ・・・というより、突然、スコーンと腑に落ちたというのか、なぜ急にそのように思ったのか分からず、自分でも不思議な気持ちになった。
ところで、仏教の輪廻転生という説からすると、この世は仮の世界であるという。そして、前世にやり残してきたことや償わなければならないことなど、魂の修行をするために、自分で望んで再び転生して来たのが、この世であるそうだ。
では、元の世界とはどこなのか。
輪廻転生を説いている仏教でも、ここは仮の世界で本当の世界は他にあると言っている。
浄土真宗であれば「極楽浄土」という所なのかもしれないが、生まれる前にいた場所の記憶はまったく無いので、なんとも想像がつかない。
しかし、その前の、この世で、今とは別の人間として生きていた頃の記憶はあって、断片的だがいくつかの過去生を憶えている。
ちなみに一番近い前世では、子どもを持ちたいと思ったが、それが叶わない人生を送った。
いや、叶わない人生というのは違う。
その時は、それが自分で選んだ人生であり、自分の望みが叶った人生だった。
結婚して家族を持つことより、神さまに仕えること、自分の人生のすべてを神さまに祈ることに使いたかった。
しかし、その時の過去生を終える時、自分の子どもが欲しかったという想いが強い心残りになってしまった。
その強い想いを叶えるために、また生まれ変わって来た。
まさしく今の私がやっている主婦の生活は、その時の人生では、やりたくてもできなかったことだった。
ちゃんと来世(今)で、その時にやりたかったこと、心残りだったことをやっているというのは、考えてみればすごいことだと思う。
もう二度と経験したくないと思った長くて苦しいつわりも、気づけば3回も経験したし、子どもはお人形のように可愛いがっていればいいだけのものじゃない、子育てはそんなに甘いもんじゃなかったということも、この人生を通して、よくわかった。
そして、(やったことはないが)滝に打たれる修行の何白倍も大変な修行の子育てと同じくらい、やってみてこれは大変な修行だとわかった結婚もまた、私が過去生ではできなかったことで(ありがたいことに)今世でチャレンジできている。
ところで私が転生してまでやりたかったことは、ほかにもあるが、最近までそれが何なのかわからなかった。
でも、ようやくそれが何だったのか、わかってきた。
それは今もやっているし、この先も、人生最後までやり続けることになるだろう。いくらやってもやり切ったと思えるかはどうかわからないが、もうこれで十分満足した、やり切ったと思えるくらいまで、この人生を生きたいと思う。
だから、元の世界に戻るのは、まだまだ先でいい。この仮の世界の中で、自分の望んできた人生を生き切りたい。
それにしても、傍から見れば、専業主婦の私の人生、平凡きわまりない。
もしかしたら多くの人もまた、自分の人生は平凡と思っているかもしれないし、平凡どころか苦しみに満ちていると思っている人もいるだろう。
でも、忘れているかもしれないが、本当は、自分が望んで生まれて来たこと、過去生でやり残して来たことにもう一度チャレンジするチャンスをもらえたのだ。
それを思うと、多少の困難も乗り越えられる気がするし、本当の自分が、やれる、やりたい、と思って来ているのだから、喜んでチャレンジしてやろうじゃないかと思う。
なにも人に注目されるような特別な人生を送る必要は全くない。
人生は人それぞれ、課題も人それぞれ・・・他人の生活を羨んだり、比較して落ち込む必要はない。
自分が望んで選んできた課題をやれるのだから、再び生まれて来れたことは、本当に幸せなことだと思う。
そして、最後に忘れてはいけない事。
この世界にいる間に、少しでも多くの自分の良心に沿った善行を行うことなのだと思う。
「過去の自分の行いが、今の自分の状況を創り、今の自分の行いが、未来の自分を形創る」
これは、今世のことだけではなく、過去生の自分の行いが今世の自分の状況を創り、今世の行いもまた来世の自分の状況を創るということ。
ひとりひとりが善き行いをして、この世界に善い未来を残すことは、今を生きる私たちが、未来に生きて行く子どもたちの為にしなければいけない義務であり責任なのだと思う。
いつか元の世界に帰る日まで、みんなチャレンジャー。