次女が一人暮らしを始めるというので、持って行く布団を出していた。
我が家は、布団だけはたくさんある。
義父母と同居する際、義父母たちが旅館でも始めるのかと思うくらい大量の布団を持って来たのだ。
戦後の物のない時代を経験した世代の家は、実家もそうだったが、なぜか布団をたくさん持っている。
昔は親戚などがよく泊まりに来たので、布団もある程度は必要だったのだろうが、どう見ても多すぎる数で、夫が「こんなに持ってきて押し入れに入らない。捨てるぞ」と言ったが、義母が「もったいない。絶対に捨てない」と言い張った。
結局、親戚に声をかけて欲しい人に持って行ってもらったが、それでも押し入れに入り切らなかった布団が、ずーっとロフトに入れっぱなしになっていた。
今回は「新しい布団を自分で買う」という次女に見てもらって、あわよくば買わずにウチにある布団を持って行ってほしいと思っていた。
で、半年ぶりに(いや一年ぶりかも)ロフトへ行ってみた。
布団は湿り気や見た目にカビは無さそうだが、広げるとやっぱりカビくさく古い物特有の臭いが鼻をつく。
これは次女が持っていくとは言わないもしれない。
もったいないので(今になって義母の気持ちがわかる)比較的きれいな布団は私たちが使い、もう使わない布団は処分して行こうと夫と話していた。
ところで最近の夫の口ぐせが「俺たちの世代で終わりにしよう」なのだが、これは昭和を生きた親世代の慣習を、自分たちの世代で終わりにしようということで、まだたくさんある古い布団を前にして、また口ぐせの「俺たちの世代で終わりにしよう」と言った。
これは何も布団ばかりのことではない。
長男夫婦は親の面倒を見なければいけないとか、自分たちの大切なものはきっと子どもたちにも大切で必要なものだろうと言った我よしな考えなど、私たちが「これはおかしい」と思いながらも従ってきたことを、もう私たちの世代で終わりにしようということだった。
ところで捨てるという行為は、私が貧乏性のせいか精神的にとても負担に感じる。
特にまだ使える物を捨てるのは心が痛む。
これは自分のものじゃなくても同じで、実家や義父母が亡くなったあとの家の整理は「もったいない、でも取っておいてどうする?」という葛藤の連続でとても疲れた。
ほしいと言ってくれる人がいたら喜んで差し上げたいが、人にあげられるようなものばかりとは限らない。
自分がこの世から居なくなった時には、捨てようが燃やそうがかまわないのだが、自分がやりたくないことを子どもたちにさせることの方が心が痛い。
元気なうちに少しでも処分しておこうと思う。
ところで家電販売店に行ったら電子ジャーが売っていた。
懐かしいーーー!
この形、この絵柄。まさに昭和の時代、子供の頃にウチにもあった電子ジャーだ。
令和になって、また目にすることになるとは面白い、、、