先週末、大学のある町へ戻る次女を送って新千歳空港へ行った。
お天気は快晴で「これなら飛行機は飛ぶね」と言って次女を見送った。
ところが家に戻る途中から徐々に吹雪はじめ、そのうちに前も見えないほどの猛吹雪になった。
時計を見ると、すでに次女の乗った飛行機は空の上だったが、悪天候で飛行機が揺れなければいいなと思っていた。
あとで羽田に着いた次女から「揺れなかったし、こっちは晴れて暖かいよ」と電話をもらって一安心したのだが、吹雪は一向に収まる気配がなく、ニュースを見て次女の乗った便の後からすべて欠航になったことを知った。
空港で一夜もしくは二夜も過ごした方々には申し訳ないが、一便の差で戻ることができたのはよかった。
今冬は雪が少なく、あわよくば少ないまま冬が終わって欲しいと思っていたが、やっぱり例年のように雪は降り、そして雪かきもしなければいけないのかと窓の外の吹雪を見ながら思っていた。
というわけで、今朝は週末から降った雪がかなり積もっていた。
そして、朝からご近所の方々も雪かきに励んでいた。
この辺りは一軒家が多いため、雪が降るとそれぞれが自宅前の雪かきをしているのだが、見ていると雪かきにも個性があっておもしろい。
人がひとりやっと通れるくらいの「けもの道」ほどしか除雪をしない人もいれば、家の前を広々と除雪する人もいる。
足跡が点々と玄関まで続いているだけで、ほとんど除雪はしてないのかな?と思うような家もあるし、几帳面に地面が見えるほど雪を削り取って除雪する家もある。
うちは・・・と言えば、私はそこまで広く開けることはしないが、とりあえず毎年やっているように自宅と車庫前と敷地に面した公道まで除雪するようにしている。
自宅と車庫前の除雪は仕方がないのだが、公道は特にやる必要はなく自宅前の除雪はきれいにやっても公道はまったくやらないというお宅も多くある。
やる意味は何かと言うと、道路を歩く人のためにせめて自宅に面した道くらい除雪しようということだろうか・・・
自宅前を終わらせたら、今度は外の灯油タンクに灯油を入れにくる業者さんのために、庭に道をつけなければならない。
こちらも業者さんから「道をつけておいて」とは言われていないが、灯油を入れる重そうなホースを持って深い雪をかき分けながらやってくる業者さんのことを思うと、道をつけておくくらいはした方がいいなあと思ってやっているのだが、距離があるのでけっこう大変だ。
今日は雪が多かったこともあって、体力的にきつかった。
ふとご近所の家を見ると、公道は除雪していない。
一瞬、今日は公道の雪かきはやめようかなぁと思った。
そう思ったのだが、今度はいつもきれいに雪かきをしているお宅が目に入った。
きれいに公道まで除雪しているお宅を見たら、公道まで除雪をしないのがとても中途半端な気がして、もうひと頑張りと雪かきをやってしまった。
終わったあとは背中が汗でぐっしょりと濡れていて、足が冗談ではなくふらふらだった。
雪かき後に倒れて亡くなるという話は、身近でもよく聞く。
今月58歳になるという年齢でもあることだし、自分の身体を過信して無理しすぎない方がよいのかもしれない。
「やらない勇気」・・・どこかで読んだような言葉だが、雪かきをやり過ぎないという意味で「やらない勇気」も必要だと感じた今朝の雪かきだった。
北国に住んで、一軒家に住む限り雪かきは必要だが、ほとんど雪かきをやっていない家も几帳面にやっている家も、夏になればどちらも同じく雪が消えているのだ。
必要最低限の雪かきでいいのではないだろうか。
よし、うちも「けもの道」で行こう!
とかなんとか・・・私にとって、やらない勇気を出すのは難しい。
お天気は快晴で「これなら飛行機は飛ぶね」と言って次女を見送った。
ところが家に戻る途中から徐々に吹雪はじめ、そのうちに前も見えないほどの猛吹雪になった。
時計を見ると、すでに次女の乗った飛行機は空の上だったが、悪天候で飛行機が揺れなければいいなと思っていた。
あとで羽田に着いた次女から「揺れなかったし、こっちは晴れて暖かいよ」と電話をもらって一安心したのだが、吹雪は一向に収まる気配がなく、ニュースを見て次女の乗った便の後からすべて欠航になったことを知った。
空港で一夜もしくは二夜も過ごした方々には申し訳ないが、一便の差で戻ることができたのはよかった。
今冬は雪が少なく、あわよくば少ないまま冬が終わって欲しいと思っていたが、やっぱり例年のように雪は降り、そして雪かきもしなければいけないのかと窓の外の吹雪を見ながら思っていた。
というわけで、今朝は週末から降った雪がかなり積もっていた。
そして、朝からご近所の方々も雪かきに励んでいた。
この辺りは一軒家が多いため、雪が降るとそれぞれが自宅前の雪かきをしているのだが、見ていると雪かきにも個性があっておもしろい。
人がひとりやっと通れるくらいの「けもの道」ほどしか除雪をしない人もいれば、家の前を広々と除雪する人もいる。
足跡が点々と玄関まで続いているだけで、ほとんど除雪はしてないのかな?と思うような家もあるし、几帳面に地面が見えるほど雪を削り取って除雪する家もある。
うちは・・・と言えば、私はそこまで広く開けることはしないが、とりあえず毎年やっているように自宅と車庫前と敷地に面した公道まで除雪するようにしている。
自宅と車庫前の除雪は仕方がないのだが、公道は特にやる必要はなく自宅前の除雪はきれいにやっても公道はまったくやらないというお宅も多くある。
やる意味は何かと言うと、道路を歩く人のためにせめて自宅に面した道くらい除雪しようということだろうか・・・
自宅前を終わらせたら、今度は外の灯油タンクに灯油を入れにくる業者さんのために、庭に道をつけなければならない。
こちらも業者さんから「道をつけておいて」とは言われていないが、灯油を入れる重そうなホースを持って深い雪をかき分けながらやってくる業者さんのことを思うと、道をつけておくくらいはした方がいいなあと思ってやっているのだが、距離があるのでけっこう大変だ。
今日は雪が多かったこともあって、体力的にきつかった。
ふとご近所の家を見ると、公道は除雪していない。
一瞬、今日は公道の雪かきはやめようかなぁと思った。
そう思ったのだが、今度はいつもきれいに雪かきをしているお宅が目に入った。
きれいに公道まで除雪しているお宅を見たら、公道まで除雪をしないのがとても中途半端な気がして、もうひと頑張りと雪かきをやってしまった。
終わったあとは背中が汗でぐっしょりと濡れていて、足が冗談ではなくふらふらだった。
雪かき後に倒れて亡くなるという話は、身近でもよく聞く。
今月58歳になるという年齢でもあることだし、自分の身体を過信して無理しすぎない方がよいのかもしれない。
「やらない勇気」・・・どこかで読んだような言葉だが、雪かきをやり過ぎないという意味で「やらない勇気」も必要だと感じた今朝の雪かきだった。
北国に住んで、一軒家に住む限り雪かきは必要だが、ほとんど雪かきをやっていない家も几帳面にやっている家も、夏になればどちらも同じく雪が消えているのだ。
必要最低限の雪かきでいいのではないだろうか。
よし、うちも「けもの道」で行こう!
とかなんとか・・・私にとって、やらない勇気を出すのは難しい。