昨日の金曜日(15日)の寒さは、何処へやら。
日中は、風もなく、穏やかな春の暖かさ。
市内WESTのショッピング・モールの中にあるホーム・センター・ペット館に居る九官鳥と遊んでいて、ふと思い出した。
九官鳥と私とのファースト・コンタクトは、今から、数十年前に遡る。
母方の祖母が、九官鳥を飼育していて、盆暮れ正月に帰省すると、九官鳥が居た。
この祖母は、私とは、血の繋がりがなくて、母の母親が、早くに亡くなったあと祖父が迎えた後添い(後妻)さんだった。
継子だった母は、結構、シビアに苛められ?反発して?早くに、結婚して、この家を離れたのだった。
まあ、そんなこんなだけれど、この後妻さんは、夫(つまり私の祖父)が、亡くなったあと、一人暮らしの寂しさからか、動物を飼い始めた。
最初は、十姉妹、カナリア、セキセイインコなどの小鳥。そして、九官鳥。
私は、学校が休みになる盆暮れ正月、春分の日(祖父の命日に近い)、夏休みなどに、祖母の家に行くのが楽しみだった。
祖母の家は、私の居住地より、車で2時間くらいかかる県北にあった。
九官鳥は、やはり、『きゅーちゃん』という名前で、この子もよくおしゃべりをした(・・・と言っても、きゅーちゃんは、ただ人まねをしているだけで、言葉に意味があることを知らない)。
人間の言葉をしゃべる(真似る)鳥が、可愛くて、珍しくて、何時間も遊んでもらった。
初代のきゅーちゃんがなくなると、二代目のきゅーちゃんが、来たけれど、この子は、あまりしゃべらない子だった。
そして、二代目も割と呆気なく、この世を去って、祖母の動物飼いは、犬に向かった。
犬より、猫に向かなかったのは、何故なのだろうと今になって思う。老人だったら、散歩の必要ない猫の方が、飼育しやすいように思うのだけれども・・・。
犬が、亡くなると、次は、お猿さんだった・・・。
コレには、周囲の親戚が、ぶったまげ・・・『ついには、猿かい?』と眉を顰めるひとも多かったらしい。
その頃には、私は、もう高校生くらいになっていて、祖母の家には、あまり行かなくなっていて、お猿さんは、一度か二度見たきりだったが、老人に猿は、ちょっと手に余ったのだろうか・・・お猿さんも、あまり長生きしなかったような記憶があるけれど、よくわからない。
(↓使いまわしですみません。日光・半月山のお猿さんです)
その後、メニエール病を発病し、母の弟である私の叔父いる都内の病院へ入院し、四半世紀と少し前にこの世を去った。
私の父と同じ頃に亡くなったので、お葬式が続いたのだった。
遺品の整理をした叔母が、箪笥の中から、数百個の貴金属類を見つけたそうだが、安価なものばかりで、幾らにもならなかったと言っていた(真偽の程は、知らない)。
現在でもかなり高額な九官鳥やら、雑種ではない犬、そして猿・・・ペットショップに相当つぎ込んだし、価値のない宝飾品類も好きなだけ購入して、恩給?や年金など、収入源は、確保され、気儘に暮らし、当時、私が思っていた『お祖母ちゃんひとりで、寂しいのかな?』なんてことは、たぶん、ほぼ無かったように思える。或る意味、幸福な人生だったのではないかと思う。若い頃の写真をみると楚々としたか弱そうな美人であったが、身体強健?で不屈の女性(にょしょう)であったと聞いている。
(↓案外可愛いかも?)
(ジムマスター)gym master がま口金 バードスウェットリュックサック G621345 (05:九官鳥) | |
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