風爽やかな夏日。
最近では、紙の本・・・という形をとらなくても、比較的簡単に、電子本などが出版できるようで、様々な情報発信にも利用されている。
筆者が、試した健康法とか、投資、メンタル強化・・・などなど。
一個人の試験的な結果ではあるが、役に立つひともいるだろうし、逆に、害になる恐れも否めないような気がする。
過去に出版された本というのは、重量もさることながら、本に記述することは、文字となって、後世迄、残るから、いい加減なことは、書けないし、また書いてはいけない。
でも、現在は、重量は、スマートフォンの中に、数百冊分(或いは、数千冊???)の蔵書を確保できるから、軽量であるし、なにより、普通のひとが、学術的に研究して書いた・・・と言う訳でもないので、実践するなら、自己責任で・・・との但し書きもあったりで、内容的にも、軽い・・・ような気もする(なかには、素晴らしいものあるのだろうけれど、なにぶん、本は、紙で読みたいので)。
物心???両面で、『本』は、軽くなってきているのだろう。
そして、デバイスから、削除すれば、もう片鱗も残らず、消えてしまうのが、電子本だろう。
本ではなく、『データ』としての扱いだ。
そして、あと数年もすれば、紙の本は、淘汰されるのかもしれない。
紙の本は、重たい。
燃やそうと思っても、なかなか燃え切らない。或る程度の火力がないと、途中で、火が消える。
ページをバラしてやらないと完全燃焼するのに時間が掛かる(もっとも、火力の強い焼却炉なんかは、そんなこともないのだろうけれど)。
燃えた残骸も、何故だか、悲しい気がする。
そして、経年により、劣化する。
光劣化(日焼け)、シミが侵食し、安価な紙だと、お醤油で煮しめたような色に変色したりする。
高額な本のカバーに、昔よく使われていたハトロン紙とか、パラフィン紙?というのだろうか・・・。
アレが、劣化して、物凄いコトになっていた。
ボロボロと崩れ落ち残骸となっていた。
ボール紙の箱のカバー、ハトロン紙の表紙、そして本体。高額な本の装丁は、価値がある。
ソレをみるだけで、いざ、別世界へ・・・と。
それでも、歳月は、酷い。
本も時間の砂に埋もれていくようだ。
本当に、砂に埋もれるように、ほおっておくと、ホコリにまみれながら、劣化していく。
太陽光も、湿度も、埃も・・・全て、本の敵だから、蔵書管理は、難しいし、時間が潤沢にあるひとでないと、保てないし、面倒なのだ。