鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

本の重量

2021-05-29 21:32:31 | 本・読書

風爽やかな夏日。

 

最近では、紙の本・・・という形をとらなくても、比較的簡単に、電子本などが出版できるようで、様々な情報発信にも利用されている。

筆者が、試した健康法とか、投資、メンタル強化・・・などなど。

一個人の試験的な結果ではあるが、役に立つひともいるだろうし、逆に、害になる恐れも否めないような気がする。

 

過去に出版された本というのは、重量もさることながら、本に記述することは、文字となって、後世迄、残るから、いい加減なことは、書けないし、また書いてはいけない。

でも、現在は、重量は、スマートフォンの中に、数百冊分(或いは、数千冊???)の蔵書を確保できるから、軽量であるし、なにより、普通のひとが、学術的に研究して書いた・・・と言う訳でもないので、実践するなら、自己責任で・・・との但し書きもあったりで、内容的にも、軽い・・・ような気もする(なかには、素晴らしいものあるのだろうけれど、なにぶん、本は、紙で読みたいので)。

物心???両面で、『本』は、軽くなってきているのだろう。

そして、デバイスから、削除すれば、もう片鱗も残らず、消えてしまうのが、電子本だろう。

本ではなく、『データ』としての扱いだ。

 

そして、あと数年もすれば、紙の本は、淘汰されるのかもしれない。

 

紙の本は、重たい。

燃やそうと思っても、なかなか燃え切らない。或る程度の火力がないと、途中で、火が消える。

ページをバラしてやらないと完全燃焼するのに時間が掛かる(もっとも、火力の強い焼却炉なんかは、そんなこともないのだろうけれど)。

燃えた残骸も、何故だか、悲しい気がする。

 

そして、経年により、劣化する。

光劣化(日焼け)、シミが侵食し、安価な紙だと、お醤油で煮しめたような色に変色したりする。

高額な本のカバーに、昔よく使われていたハトロン紙とか、パラフィン紙?というのだろうか・・・。

アレが、劣化して、物凄いコトになっていた。

ボロボロと崩れ落ち残骸となっていた。

 

ボール紙の箱のカバー、ハトロン紙の表紙、そして本体。高額な本の装丁は、価値がある。

ソレをみるだけで、いざ、別世界へ・・・と。

 

それでも、歳月は、酷い。

本も時間の砂に埋もれていくようだ。

本当に、砂に埋もれるように、ほおっておくと、ホコリにまみれながら、劣化していく。

太陽光も、湿度も、埃も・・・全て、本の敵だから、蔵書管理は、難しいし、時間が潤沢にあるひとでないと、保てないし、面倒なのだ。