鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

大馬鹿娘のひとりごと。

2021-05-31 22:51:26 | Weblog

風薫る5月最終日。

今日も、心地よい風の吹く一日。

宵から、激しい雷雨。

 

母の遺品整理が、遅遅として捗らないのだけれど、今度は、なんと・・・11年前に亡くなった大叔母の娘・・・母にとっては従妹に当たるSちゃんに宛てた書き損じの手紙が出てきた。

(Sちゃんについては、拙ブログ↓をご参照下さい ↓ )

今日も風が強い・・・/ダンサー(オルゴールの思い出) - 鼎子堂(Teishi-Do)

 

11年も前の・・・しかも、書き損じかよ・・・と思いながら、読んだ。

大したコトは書いてなくて、でも、こんなの序の口だ。

膨大な家計簿メモ、メモ帳など・・・そこに書かれているのは、テレビでオンエアされた健康法、健康食品、料理レシピ、推薦図書・・・などの他に、日々、母の身辺に起こったことなどが、きれいな文字の時もあれば、書きなぐりのような文字のときもあり、訳の分からぬ・・・というより、判読できぬものなどもあって、その中に、私のコトもいろいろと書いてある。

 

○月○日・・・風邪で休む・・・とか、派遣先が変わるらしく、夕方、上司と面談、うまく行くといいのだが・・・(余計なお世話だ・・・と思う)。

 

家族のコトで一番多いのは、孫と何処へ行ったとか、保育所へ送り迎え・・・などとい他愛もない記載が多く、自分の息子・・・コイツが、しょうもないバカで、いろいろ悩まされたコトなども書いてあった。

極めつけが、(そのバカ息子のことで、私とケンカしたときなど)、私の名前に『大馬鹿』と書いてあった。

流石に、ソレって・・・と思い、今更ながら、無性に、ハラが立ってきた。

 

母が、亡くなってから、(故人の家族の前で、故人を悪く言う人は、たぶんいないと思うけれど)誰もが言う・・・。

『お母さんは、物凄く優しいひとでした。』

それは、母の外の顔で、家に居るときは、私は、女中扱いだったし(失業してから、喰わせてもらっていたけれど、その分、家事、身辺の世話など、食費光熱費分くらいは、役に立っていたと思うのだ)、自分のバカ息子、その嫁、その子供(つまり孫)と、折り合いの悪いときは、私に愚痴を言い、愚痴を聞くのがイヤになって、無視していると、薄情だ!と言って怒り出し、脚が痛むときなどに、私には、対処できないから、明日病院へ行ったら・・・というと、

『どうして、こんなに痛いのに、そう冷たいんだ!』

と、怒り、本を投げつけられたこともあったりした・・・。まあ、コレは、病気が言わせてたことだろうけれど。

世間の人が、知らない母の別の顔だ。

 

本当に、よい母だったのか、単なるわがままな婆さんだったのか・・・。

真夜中に、血圧が高いと起こされ、早朝、具合が悪いと言っては、起こされる・・・。

そして、ひとの悪口を、書き残して、そのまま、死んでしまった。

母的には、自分が死んだあと、薄情なバカ息子が、何の躊躇もなく、ゴミとして片付ける!だから、大丈夫だ!!と明言していた。

その薄情なバカ息子に、遺品整理は任せられない、大馬鹿娘の私が、全て(・・・でもないけれど)の感情を引き受けざるを得なくなって、今、こんな状態である。

 

躊躇なく、ゴミとして、全部、捨ててしまえれば、どんなに楽なことだろう・・・。