処暑。
曇りがちで、蒸し暑い日が続くも、週中、週末にかけて、季節変わり目の秋の長雨の予報。
いづれにせよ、すっきりとは晴れない晩夏。
夜間から、明け方にかけて、何回か目が覚める。
浅い眠りの日々が、もう10年近く続いているけれど、母が居た頃は、昼間もよく眠っていました。
不安があったけれど、母が居た安心感が、昼間でも眠れるってことだったのかもしれないな・・・などと。
朝寝して、母の夢を見ました。
なんと・・・夢の中で、母は、その死から、生還していたのでした。
死んだと思っていたのは、夢で、本当は、生きていたんだ!
この安堵感は、ナニモノにも代えがたく、暖かく、穏やかな感情でした。
死んで、生き返ってきた母に、喪中葉書も出してしまったんだけれど、やっぱり、生きていたんだね。帰ってきたんだね。よかった、よかったと喜び、喪中葉書を見せようと、探すのだけれど、文箱の中に、喪中葉書はなく・・・探しているうちに、母は、火葬して、お骨になったんだった・・・と思い出し・・・ああ、やはりこれは夢・・・とこのくだりで、脳は覚醒したらしく、現実を思い出させるのでした。
それでも・・・。
ああ、やはり死んだのは、夢だったんだ・・・この安堵感。
そして、ああやはり生き返ったのは夢だったんだ・・・と思う絶望感。
こんな夢を繰り返し見ているような毎日なのですが、不思議と今日の朝寝の夢には、絶望感はなかったのでした。
夢の中の母は、暖かで、穏やかで、生前の老い、痛み、苦しみとは、無縁の顔をして、暖かい春の光の中に居たようなのでした。
母が亡くなって、もう1年半になろうとしているのに、まだまだ母の死を受けることが出来ずにいるようです。