良く晴れて、午後から、強風。
強い西風。
玄関前に散らばった落ち葉を、綺麗に吹き飛ばしてくれた冬の西風。
車の12か月点検。
古い車だから、毎年、毎年、費用がかさむ。
見積もりを見て、かなりの金額・・・最低限必要なメンテナンスをお願いする。
昼過ぎ。
国道を西進していたら、真昼の富士山。
風の強い良く晴れた冬の日には、見えることもよくあって・・・。
真偽は知らねども・・・富士山は、日々?大きさ(見え方)が変わるそうな。
同じ場所からみても、大きさが記憶と違う・・・マンデラ・エフェクト???ってヤツでしょうか。
今日の富士山は、いつも(去年の記憶)より、大きく見えた(ような気がする)。
記憶が曖昧なのか、それとも、次元が違っているのか・・・とか、相変わらず、バカなことを考えている。
量子論?とか。
・・・コレ迄の物理学が、全く違ったものに、変容していくのか、違うのか。
高校の物理で、最初から躓いていたんで。語る資格なし。
街中で、通っていた高校の生徒とすれ違う。
姪は、私と同じ高校だったのだけれど、制服が、変わってしまった。
昔の制服は、もっと上品だった。大正浪漫風?。
紺色のジャンパースカート、短めのボレロ、白い丸襟のブラウス・リボン・タイ。
ノーブルだったんだよ。女子高だったしさ・・・しかも教育理念が、良妻賢母の育成・・・だったもんね。
ゆっくりとした田舎の女子高。その中でも、相当鈍くさい女子高生だった私。
今の制服は、流行のチェックのスカートとブレザー、リボン・スカーフ。まあ、可愛いけれど。
十二月と言えば、忠臣蔵。時は元禄十四年?でしたか???違うかも。
赤穂浪士討ち入り日。
母と訪れた泉岳寺。四十七士の墓所。
日帰りの年末のバス・ツアー。
泉岳寺、そして、横浜・三渓園。十二月の紅葉の広い庭園。
あの頃(母が70歳になる前頃だったかも)母が一番、幸せだった頃だろうか。身体もよく動いて、多少の不調もあったけれど。
随分と元気だった頃。
・・・私は、仕事がツラかった時期。
1日だけだったけれど、歳末の東京・横浜を楽しむ。
この時期になると、毎年、泉岳寺に行ったね。三渓園に行ったね・・・と母と話した。もう話すこともできないけれど。