鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

2022年忠臣蔵の日・点描

2022-12-14 22:08:08 | Weblog

良く晴れて、午後から、強風。

強い西風。

玄関前に散らばった落ち葉を、綺麗に吹き飛ばしてくれた冬の西風。

 

車の12か月点検。

古い車だから、毎年、毎年、費用がかさむ。

見積もりを見て、かなりの金額・・・最低限必要なメンテナンスをお願いする。

 

昼過ぎ。

国道を西進していたら、真昼の富士山。

風の強い良く晴れた冬の日には、見えることもよくあって・・・。

真偽は知らねども・・・富士山は、日々?大きさ(見え方)が変わるそうな。

同じ場所からみても、大きさが記憶と違う・・・マンデラ・エフェクト???ってヤツでしょうか。

今日の富士山は、いつも(去年の記憶)より、大きく見えた(ような気がする)。

記憶が曖昧なのか、それとも、次元が違っているのか・・・とか、相変わらず、バカなことを考えている。

量子論?とか。

・・・コレ迄の物理学が、全く違ったものに、変容していくのか、違うのか。

高校の物理で、最初から躓いていたんで。語る資格なし。

 

街中で、通っていた高校の生徒とすれ違う。

姪は、私と同じ高校だったのだけれど、制服が、変わってしまった。

昔の制服は、もっと上品だった。大正浪漫風?。

紺色のジャンパースカート、短めのボレロ、白い丸襟のブラウス・リボン・タイ。

ノーブルだったんだよ。女子高だったしさ・・・しかも教育理念が、良妻賢母の育成・・・だったもんね。

ゆっくりとした田舎の女子高。その中でも、相当鈍くさい女子高生だった私。

 

今の制服は、流行のチェックのスカートとブレザー、リボン・スカーフ。まあ、可愛いけれど。

 

十二月と言えば、忠臣蔵。時は元禄十四年?でしたか???違うかも。

赤穂浪士討ち入り日。

母と訪れた泉岳寺。四十七士の墓所。

日帰りの年末のバス・ツアー。

泉岳寺、そして、横浜・三渓園。十二月の紅葉の広い庭園。

あの頃(母が70歳になる前頃だったかも)母が一番、幸せだった頃だろうか。身体もよく動いて、多少の不調もあったけれど。

随分と元気だった頃。

・・・私は、仕事がツラかった時期。

1日だけだったけれど、歳末の東京・横浜を楽しむ。

この時期になると、毎年、泉岳寺に行ったね。三渓園に行ったね・・・と母と話した。もう話すこともできないけれど。