昨日の日曜日は、終日、冷たい本降りの雨でしたが、夜になって、雨も止んできて、深夜を回った頃、フクロウが啼き始めました。
雨の昼間は、木のウロの家で、うとうとしていたのかも知れません。私のように・・・。
ホホーっホッホホー。
冬のような冷たい雨。
こんな冷たい雨の日の夜には、高校の時に亡くなった同じクラスの子の事を思い出しました(これは以前のこの拙なブログに記載済かもしれませんが。重複していたらごめんなさい)。
彼女とは、高校2年生のときに、同じクラスになったけれども、話をしたことは、一度もありませんでした。
高校一年生の時に、骨肉腫で、片足を切断して、義足で学校に来ていたけれど、学校には、あまり登校していなかったのでした。
学期が進んで、再び、医大附属病院に入院していた彼女に、同じく医大付属病院に通院していた私は、お見舞いのお花を渡してもらおうと診療の帰りに、病棟のナースセンターを訪ねました。
面会時間外だし、お花だけ渡していただければ、それでよかったのです。
看護師さんが、折角だから、会っていってあげてと、病室に入れてくれました。
彼女は、入院以前から、かなり細いひとでしたが、更に痩せて、もう身体を起こすチカラさえもなくて、横になったまま、ただ虚ろな目で、私を見ていました。
或るいは、見ていなかったかもしれません。
私が同じクラスだなんて、知らなかったと思います。
お互い、病がちで、登校日数が少なかったので。
早く元気になってねって、言えたのは、それだけだったけれど、今考えみれば、随分と残酷な言葉だったのかもしれません。
彼女のお母さんから、担任教師に、私がお見舞いに行ったことが、伝えられて、御礼を言われたそうです。
もう末期症状だったようで、お見舞いに来るひとも、いなくなっていたとか。
それから間もなく亡くなって、私も、少し病気が進んで、学校を休むようになって、担任から、彼女は、不治の病でも、頑張っていた。おまえの病気は、大したことないのだから、もっと頑張れみたいに言われてしまい、そりゃ、今日とか明日とか、すぐに死ぬ病じゃなかったけれど。
お見舞いを思いついたのは、ほんの気まぐれで、何の他意もなく。
その後、何かにつけて、最後に彼女に会ったのは、私だった・・・とか言われ・・・(そう言われても、ただのひとことも話したこともなくて。でも彼女の綺麗な声は、今でも何故か覚えているのです。授業で発言したときの声だったのかも)。
タイミングが、悪いのは、いつもの事。
そんな巡り合せなのでしょうが、今思えば、この担任も、相当なアホだったと思っています(青春ドラマの悲劇の教師にでもなったつもりだったのかな?)。
高校を卒業して少し経って、誰かが、運転免許を取ったので、みんなで、御墓参りをしようと言うことになって、6人くらいで、お墓参りをしたのが、昨日のように冷たい雨の降る早春の日でした。
梅だか、桜だかが・・・咲いていたような???記憶があって。
新しいお墓。
白っぽい色の真新しい御墓に、眠っているのは、享年十七の女子高校生。
彼女の刻は、17歳で止まってしまって、私は、もう婆ァになって。
そんなことを思い出した春の冷たい雨のふる夜・・・。