さくらの日々是好日

余命半年から生還♪今年21年目の【金つなぎ勝ち抜きRoad】を走り続ける、多重がん患者の病老の日々や患者会活動をご紹介!

♪我は はなたれたる魚雷なり 往きて再び還らざればなり

2011年08月15日 23時55分55秒 | さくらジャーナル
8月15日(月)晴

66回目の終戦記念日を、高槻の実家に伺う長男一家を見送り、もう一日滞在予定の次男一家とゆっくり過ごした。

午後のニュースで、菅直人総理が「?」印の付くような談話を発表されたことが報じられ、いつもながらのこの人の能天気ぶりに呆れ果てたのだった。

                    ◆

終戦記念日における、菅直人総理の式辞(全文)

天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族並びに各界代表多数のご列席を
得て、全国戦没者追悼式をここに挙行いたします。

終戦から66年が過ぎ去りました。あの苛烈を極めた戦いの中で、三百万余の方々が、
祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、異郷の地に
亡くなられました。戦没者の方々の無念を思うとき、今なお悲痛の思いが込み上げてきます。

改めて、心からご冥福をお祈りいたします。

また、最愛の肉親を失った悲しみに耐え、苦難を乗り越えてこられたご遺族に、深く敬意を表します。

先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えました。 深く反省するとともに、犠牲になられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。

本日、ここに、我が国は不戦の誓いを新たにし、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継ぎ、平和国家として世界の人々との絆を深めてまいります。

本年3月の東日本大震災により、多くの命と穏やかな生活や故郷が奪われました。今、被災地は、復旧・復興に懸命に取り組んでいます。我が国は、国民一人一人の努力によって、戦後の廃虚から立ち上がり、今日まで幾多の困難を乗り越えてきました。そうした経験を持つ私たちは、被災地を、そして日本を、必ず力強く再生させます。それが、先人の尊い犠牲とご労苦にお応えすることだと考えます。

終わりに、戦没者の御霊(みたま)の安らかならんことを、そしてご遺族の皆様の今後のご平安とご健勝をお祈り申し上げ、式辞といたします。

                     ◆

かつて、列強に取り囲まれたこの国の、閉塞を余儀なくされた現状打破と明るく豊かな未来のために…と願って国のため、同胞のため、家族のために戦ったのが、先の戦争であった。

その時の止むにやまれぬ我が国の大義を語ることもなく、いたずらに言辞を弄しお詫びすることに終始した罪と、唐突に持ち出された東日本大震災被災者への鎮魂ともとれる文言…。

>被災地を、そして日本を、必ず力強く再生させます。
…って、この場所で言う事ではないでしょう?

先の広島、長崎の原爆記念日には、原爆投下日を1日間違って口にする体たらくもあり、「日本の未来が、本当に心配!」とお嘆きの英霊がたの声なき声が、耳元に聴こえた。

                      ◆

お盆には息子たちの家族8人が我が家に集まるので、泥縄式の大掃除を敢行した、と以前に書いた。

そうしたら、応接間に積み上げてあった実家の長姉・妙子ねえさんの遺品を整理していたら、厚さが4㌢ほどもあるドイツリードの歌集が見つかった。

東京音樂書院の『獨逸歌曲集』。
表紙をめくったら、扉にペン書きの文字が読み取れる。

我は はなたれたる魚雷なり
往きて再び還らざればなり
森さんよ
森さんの「若き日のうた」が
何時までも 何時までも 
美しき思ひでの数々を
奏でんことを…
 「征で立たんとする前に」

裏表紙の





            






            




         
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