11月22日(水) 晴
正午前に、名張市役所内の名張市市政記者クラブに参上した。
12月1日に迫った『第30回 逝者鎮魂・生者安寧~祈りの電飾』のニュース・リリースをお届けに行ったのだ。 もっと早くに参上するはずが、なかなかニュース・リリースに取り掛かれなくて、10日前という慌ただしさ。 どこか1社さんはいてくださるかとドアを開けたら、毎日新聞、中日新聞、ゆうの3社さんが在室であった。 毎日新聞・衛藤達生支局長、同・久木田照子記者、中日新聞・北村大樹記者、ゆう・須田雄介記者。
引き続き「お話を聞かせてください」とのことで、「平成7年に1本の庭木に取り付けて、光が心を癒し慰める効果を知り、【逝者鎮魂・生者安寧の電飾】につながりました。 以来、今年で30周年を迎えます」とお伝えしたら、夕方に久木田記者からSMSが入り、「ご主人さまがお亡くなりになったのは、平成6年(1994年)、平成7年(1995年)のどちらでしょうか。中日新聞、毎日新聞の過去記事を検索したところ、夫が亡くなった1994年の暮れに電飾を始めたという趣旨の記述がいくつかあります。細かくてすみません」と、チェックが入った。
「久木田さま、誠にありがたい、記者の裏取り。
なんと! 不埒な妻は、夫の没年を平成7年と思い込んだ(恥;)あげく、今年を30周年と表記したのだけれど、「年数が合わない」と疑問を持たれた久木田記者は、過去記事を検証なされ、問い合わせてこられたのであった。
およそ、記事を書くに当たって当然の、【検証と裏取り】は、記者ならば当然わきまえるべきことなのだけれど、近頃の記者各位はお忙しいのか能力が足らないのか、【垂れ流しNews】も多い。 昨今はとりわけ、夕刊紙、テレビNewsにおいて、それが顕著である。 久木田記者の王道を往く取材に感じ入り、点灯式の記事が、今から楽しみである。
ことし電飾30周年を迎え、ニュースリリースにもリキが入っていた。
さっそく各社さん宛てに、「夫の没年を間違えておりましたので…」とSMSで訂正(恥;)し、翌日には再訂正で元に戻すという、お恥ずかしい顛末となった今年の電飾点灯式。 ご近所の皆さまや富貴ヶ丘老人クラブ・富貴の会の皆さまのほか、金つなぎの会は地元からはもちろん大阪や奈良からホテルを取って参加してくださる。 小さな電飾に込めた【鎮魂・安寧の思い】を、30年もの間、変わらず伝え続けてくださったマスコミ各位のおかげ、参加してくださった皆々さまのおかげ。 ただひたすらに「ありがとうございます。 まことに、【難有り有難し】でございます」
26日に、地元・比奈地文化センタ―の【センターまつり】に舞踊で参加させていただくシュズイさんとさくら♪は、西川先生にお願いして、番外のお稽古に励む。 出来る幸せを満喫しながら。
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