友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

音楽に親しむ

2012年02月05日 20時12分53秒 | Weblog

 今日は長女のダンナの両親が長女夫婦のところへ来るという。ダンナの両親は息子のところに生まれた孫の顔が見たいという思いが強いのだろう。私もそれはよく分かる。ありがたいことには、ダンナの両親は長女の連れ子である高校2年の孫娘も自分たちの孫のように可愛がってくださる。せっかくの機会であったから、私は高2の孫娘のためにも家を出て行くべきだと思っているので、「この子には鹿児島か沖縄か島根か鳥取でもいいし、新潟や福島か岩手でもいいので、どこか遠くの大学に行って欲しいと思っているんです」と話した。お父さんもダンナはちょっとびっくりして否定的だったけれど、真っ向からの反対ではなかった。いや、反対だとは言えないように私はつぶやいたのだ。

 

 孫娘の両親がヘンだなと思ったのは7年くらい前からだと思う。別々のフトンで寝ていると言っていたし、ちょうど韓国の子どものホームステイを引き受けた時だと思うけれど、なぜかノリが悪かった。孫娘はそんな両親を見てきたためか、「私は、結婚はしない」と言う。それはそれでいいと私は思っている。そんなことを言っていても実際には結婚する場合もあるし、逆のケースもあるので、格別反論する必要はない。我が家は共働きであったので、長女は結婚せずに母親のような働く女性になると言い、次女は早く結婚して子どもが帰ってきたら一緒におやつを食べる家庭を作ると言っていた。しかし、長女は確かに手に職をつけたけれどすぐに結婚した。次女はなかなか結婚しなくて働くことに喜びを感じていて、遅くなってから結婚したけれど子どもはいない。

 

 人生は決して思い通りにはならない。今日も長女のダンナの両親と話していてそう思った。ダンナのふたりの姉は小さい時からピアノを習っていて、末の弟である彼も当然のようにピアノを習った。けれどもそれが彼には苦痛の種になるとは誰が予想できたであろう。小学校へ上がるとピアノを弾く男の子は異様な目で見られたという。それで彼はピアノを止めてしまったけれど、ピアノの先生は「この子は必ずどこかで芽を噴きますよ」と言っていたとお母さんは語る。彼が再び音楽に目覚めたのがいつからかは知らないけれど、音楽のセンスがあると私も思う。

 

 ダンナのお父さんは音楽好きで、その血はまたさらに先祖に遡るのかも知れないが、音や歌には敏感でありこだわりがある。「お父さんはいつ頃から音楽にのめり込んだのです?」と聞くと、「高校生の頃かな」と言う。私が中学生の頃だから、ジャズとかボサノバが流行していた記憶がある。そうした音楽と地元に伝わる和楽器の音楽とがダンナの父親の中で新しい音楽を築いていったのかも知れない。その血を受けて彼は小さい時からそんな音を聞いていたのだろう。ピアノと横笛や太鼓の音がミックスしていったのだ。私たちが聞き親しんできた短調の物悲しい音と、洋楽の、ジャズやボサノバの故郷のアフリカを思う音とがミックスして、もっと前向きで楽しく明るい音を求めたのだろう。それが長女のダンナが作り出した音の原点なのだ

コメント
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