地域新聞が廃刊となり、昔を懐かしんで電話やハガキをいただく。私が新聞を発行したのは1985年の10月で、右も左も分からない土地だったから、地元の人からは「来たり人に出来る訳が無い」と言われた。
それでもやって来られたのは、新聞作りが好きだったことと、それしか生きていく手段が無かったからだろう。しかし振り返ってみれば、多くの人に支えられたからだと思う。意地悪の人はいたが、受け入れてくれる人は多かった。
地域新聞の最後の編集長を務めてくれた彼女に午後、会って話をした。今、彼女は2つの大学で教えている。昔、「先生になるのが夢」と言っていたから、夢を叶えたことになる。「小説は諦めた」と言っていたが、エッセイには挑戦しているようだ。
彼女から好きな作家や、好きな小説をいろいろ聞いた。また、学生の中に「困った子がいるの」という話も聞いた。その学生に「やる気」を持たせた方法を聞き、すっかり先生になっているのを実感した。
地域新聞の廃刊に伴い、昔話をしようということで、日時や会場を決め、私からみんなにハガキを送ることにした。彼女が新聞に携わったのは、創刊から5年目で、ネコの手も借りたいくらい忙しかった時だった。
彼女のおかげで新しい仕事に着手出来たから、実際はさらに多忙になった。戦争の話や物の見方に共鳴するものがあり、仕事を終えてからもよく話し込んだ。今日は髪を後ろで縛って上げていたので、何十年も前のことが思い出された。
「退職金をもらったので、保険に加入することにした」と言う。私が辞めた時は、退職金は無かったから、会社らしくなったと思った。取材費も交際費もなく、取材した議員が「タバコ代だ」と言ってくれた金をみんなで遣った。
そんな苦労話を話す気は無い。おもしろおかしく、ワイワイと懐かしい話が出来ればいい。