アメリカの東部、ペンシルベニア州バトラーで、演説中のトランプ前大統領が銃撃された。「こんなものじゃーないとトランプ撃つ青年にわが身写せり」。ダメだ、31文字になっていない。短い言葉の中に、情景や心境を表すのは難しい。
この街も夏になれば、セミとカエルがやかまして寝られないくらいだった。「セミとカエルの大合唱 今聞こえるは電車と車の音のみ」。岸上大作をまねて、短歌に挑んでみたがうまくいかない。31文字でどうしてあんな表現が出来るのだろう。
私の市にも、中日新聞と朝日新聞の歌壇に登場する歌人がいる。地域新聞の記者に尋ねても、「どこの人なのか分からない」と言う。市の短歌クラブに所属する人では無いようだ。その歌人、月岡龍二さんの作品が、11日の朝日新聞に掲載されていた。
「今ならば父と酒飲み語り合うこともできたと蛍見て思う」。いつもいい歌を作るなと感心してしまう。この市には蛍が飛び交う場所があるが、蛍から父親と酒を酌み交わす発想が凄い。親子で酒飲みながらどんな話をしたのだろうか。
親と子、とりわけ父親と息子は、子どもの時はほとんど会話が無いだろう。親としてはつい、勉強したかとか、何になるつもりだとか、そんなことでどうするんだとか、激励のつもりが叱言になってしまう。親を理解していないと非難し、親の心子知らずなどと嘆く。
子は親の気持ちが分かっていても、どうしてそんなに圧力をかけるのかと嫌悪が先に立つ。それが打ち解け合って、話が出来るようになるにはやはり年月が要るのだ。私は高校生の時に両親を亡くしたので、親ともっと話がしたかった。
結婚してカミさんの両親と話す機会を得た。自分の生い立ちや子どもの頃の夢、社会人としての苦労、家族の自慢やズレなど、全くとりとめのない話だが、きっと私の両親も、こんな風に私と話したかっただろうなと思った。
高校生の時、学校に逆らって自主新聞を発行したが、処分を受けるかも知れなかったのに父は黙って認めてくれた。送辞を読むことになって下書きを見せると、筆で清書してくれた。父の書棚にあった『美徳のよろめき』を隠れて読んでいても、何も言わなかった。