生命保険会社の人が来るというので、北の部屋を元の応接間に戻すために寝具を移動し、机とイスを元の形に並べ直した。明日は孫娘が曾孫と一緒にやって来るし、24日は茨城の次女一家が泊まりに来る。私の回復具合を自分の目で確かめたいのだろう。
次女夫婦はワインが好きだから、ぜひとも杯を交わしたい。義理の父親と娘のダンナは、男同士の話がある気がする。私は自分の父親が高校生の時に亡くなってしまったので、親子で話をしたことが無かったが、カミさんの父親とは酒を飲みながらよく話をした。
ほとんどが義父の、子どもの頃から退職に至るまでの苦労話だったが、テレビに映る東大全共闘の山本義隆のアジ演説を観て、「この男は大物だな」と言った時はビックリした。義父は警察官だったから、体制擁護の人だと思っていたからだ。
義父の亡くなった歳を超え、今度は私が義理の息子たちの話を聞く番がきた。それぞれに社会の中堅となり、仕事の上でも重要な役割を担っている。私が経験してきた苦労の何十倍もの苦労を背負っていることだろう。
話すことで気が楽になるのなら、いくらでも聞こう。アドバイスなど出来るような経験も論理も持ち合わせていないが、それでも年寄りと話すことで気が晴れてくれるなら、有難いことだと思う。
アメリカの大統領選挙は、「老対老」決戦と揶揄されている。バイデンさんが81歳、トランプさんが77歳、アメリカにはもっと若い政治家はいないのかとさえ思ってしまう。年寄りが悪いと言う訳では無いが、やはり若い人に譲った方がいいと思う。
年寄りがいつまでも頑張っていると、どうしても若い人の活躍の場を狭めてしまう。「まだまだやれる」と思うのは勝手だが、本当は老害になっていると自覚した方がいい。ハルノ宵子さんの『隆明だもの』を読んでいると、つくづくそう思う。
吉本隆明に傾倒した団塊の世代も、既に後期高齢者になっている。
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