友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

緊急時に使える井戸があれば

2024年03月30日 17時24分50秒 | Weblog

 明日の選抜高校野球大会の決勝戦は、群馬の健大高崎と兵庫の報徳学園に決まった。雨で順延もあり、選手や関係者には「お疲れ様でした」と伝えたい。一生懸命なプレイを見ていると、どちらも勝たせてやりたくなってしまう。

 明日は知り合いのピアノ教室の発表会で、プログラムには私が朗読クラブにいた時、お世話になった舟木淳先生による音楽劇『窓際のトットちゃん』が載っていた。どんな演出なのか楽しみであり、ご挨拶を兼ねて観に行く予定なので、残念ながら決勝戦は見られない。

 今日は、何年ぶりかで井戸掘りの依頼を受け、現場を見て来た。能登半島地震を見ていて、井戸の必要を感じたと言われる。依頼主は、私が地域新聞を発行している時からの知り合いで、町長選挙に出た時は本当にいろいろと応援してもらった。

 工夫することが大好きなご主人は、表具師なのにその技術を伝える教室まで立ち上げていた。そればかりか、父親の体質を受け継いだのか長男さんも、細かな手作業で宅配ボックスに、荷物が届いたことを知らせる仕組みを作っていた。

 それだけでも充分感心させられたのに、2重ガラスの引き戸で、夏も冬も快適に暮らせる工事をしている。それに、絶対に破れない網戸まで見せてくれた。2重ガラス戸の工事には、行政から半額援助が出ることも教えてくれた。

 表具よりも2重ガラス戸の設置が、今はメインの仕事になっているという。井戸は草花への水遣りのためだが、地震に対する備えの意味が大きいようだ。依頼を受けたからには期待に応えたいが、何しろ「井戸掘りおたすけ」は高齢化してしまった。

 私たちの後を受けて井戸掘りを続けてくれる人も、途中から加わったので手順がしっかり分かっていない。しばらくは私たちも一緒に作業し、彼に覚えてもらうしか無い。能登半島地震で、井戸の大切さはいっそう高まってきた。

 シルバー人材センターに、井戸掘りチームが出来ればいいのにと思う。緊急時に使える井戸がいくつかあれば、ずいぶん助かるはずだ。もう一度、井戸の必要性を訴えていこう。


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