青い空、まるで急に初夏が来たように暑い。今日が最後になりますようにと願いを込めて、法務局へ出かけた。書類を提出し、4月8日までに呼び出しが無ければ完了となる。スッキリと、今日の天気のように終わりたい。
車のラジオから、尾崎豊の歌が流れて来た。私はもう、オジサンになっていたはずなのに、尾崎豊の歌を最初に聴いた時、歌と同じ10代に戻っていた。尾崎豊のファーストアルバムが発売されたのは1983年というから、私は39歳になっていたのに。
それでも共感して聴けたのは、10代の頃の感性のせいだろう。私は真面目な高校生だったが、通っていた普通高校の授業に嫌悪していた。バンカラが校風の学校だったが、教師は大学入試のことばかり口にした。
新聞部の機関紙で、生徒の萎縮を取り上げると、校長室に呼び出された。それならと、自分たちで金を出し合って新聞を作り、登校して来る生徒に配ったりした。同級生の中には、学生服の裏生地に龍や虎の絵のあるものを着て、不良ぶっている者もいた。
喫茶店に入ることも、男女の交際にも厳しかった。多くの同級生が、なんというバカらしさかと思っても、目立って反抗することも無く、「いい大学」へ行くことだけを目的に日々を送っていた。それでも書くことが好きな友だちは、自主出版の「本」を発行した。
生きている意味を求めて、私はキリスト教会に通い、自分の恋愛に浸っていた。「あなたはあなたが作り上げた私が好きなだけなのよ」。「僕は、君が僕ではなく、他の男性と文通していることは知っている。それを止めてくれとも思っていない」。
寛容であることが愛の証と思っていたのだろうか。尾崎豊の歌をキチンと聴いてみたい。今度、孫娘が来た時、アマゾンで買ってもらうつもりだ。そんな操作も出来ないジイジなのに、尾崎豊の歌が聴きたいなどと言ったら、笑われてしまうかな。
そもそも孫娘は尾崎豊など知らない、むしろ長女の高校時代だったかも知れない。夕陽が眩しく輝いている。
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