同年者の集いの案内ハガキを検討するために、初めてふたりで喫茶店に入った。メールのやり取りで出来ないことはないが、話もしたかった。彼から頂いたファイルを見ていたら、スタートから今日に至るまで、ほとんどの事務作業が彼の手で行われていた。
最初の提案者から、事務方を引き受けることになった経緯も知りたかった。でも、ファイルを見ていたら、とても几帳面な人だと良く分かったから、頼りにされたのだろう。以前はどんな仕事をしていたのだろうと、次の疑問が湧いてきた。
自動車の部品を造る下請け会社で、営業を担当していたと言う。私の中学からの友だちと同じだ。東京へ行くことが多かった。当時の立川は基地の街と言うこともあって、薄暗い路地に怪しげな飲み屋がいっぱいあったそうだ。
店に入るとドアがロックされたというから、相当ヤバイ店だったのだろう。1晩で10万円は遣ったと言うから、バブル期の接待を象徴している。私の先輩も1カ月に100万円遣ったと豪語していたし、中学からの友だちも接待に苦労したことをブログに書いていた。
丁度、ワープロが生まれ、パソコンへと変わっていった頃で、見積もり書や商品説明書もパソコンでやり取りすることになり、技術を習得していったと言う。彼自身が事務能力に秀でているし、真面目にこなせるから、今も高齢者グループで出している「たより」は、彼の担当になっている。下校の見守りもやっているし、地域のボランティア活動をいくつも引き受けている。
「元気だね」と言うと、「実はそうでも無くて、目は片方しか見えないし、腰の手術はしているし、満身創痍だよ」と話す。見ただけなら、とても元気そうなのは、何をやるにも惜しまずにキッチリやる人だから、そう思えてしまうのかも知れない。
彼と話して、前向きに生きていかなくてはと、私も元気をもらった。グダグダと生きるのも、他人の役に立つことをやれるだけやろうと生きるのも、人生に変わりないのなら、やっぱり彼のように生きていきたい。
今日は強い風が吹いてとても冷たい。家から出て、彼に会えて本当によかった。
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