我が家には、抹茶の茶碗がたくさんある。抹茶を入れる壺やぐい飲みの茶碗などを含めると、かなりの数になる。飾り棚に並べて、来た人が興味を抱くように陳列してある。興味を持った人は、「どなたの作品ですか?」と作家名を知りたがる。
これらの作品の作家は、カミさんの父親である。義父は趣味の多い人で、陶芸の他に書道や盆栽などにも秀でていた。頼まれて、高校の卒業証書に生徒の名前を書いていた。もともとは警察官で、たまたま常滑署に勤務した時に出逢った陶芸家に、手ほどきを受けたことから、陶芸の道に導かれたようだ。
退職後は家の庭にガス窯を作り、楽焼に邁進していた。私は義父から、抹茶茶碗の面白さを随分聞かされたのに、余り覚えていないが、茶碗の見方は何となく分かった。カミさんも一時期、抹茶教室に通っていたから、茶道の道具は残っているけれど、娘たちは興味が無いようだ。
せっかくの茶碗が日の目を見ないのは可哀想で、何とかしたいと思っていた。地域新聞の昔から世話になっている文具店に行った時、主人が「お抹茶を飲んでいかんかね」と声をかけてくれた。抹茶の良さに魅かれて、夫婦で京都まで出掛けたと話す。この夫婦なら義父の茶碗の良さを分かってくれると思い、今日、持って行って来た。
「クリスマスのプレゼント」と笑って渡す。茶碗を眺め、手に持って、「素敵ですね」とカミさんが言ってくれた。主人も「頂いてもいいかね」と言う。「よかった。お父さん、褒めてもらったよ」と心で呟く。どんなに立派な作品でも、認めてもらえなければ意味が無い。
我が家に置いてあっても、ただの飾りものでしかない。興味があって、欲しいという人にもらっていただかなければ、価値が無くなってしまう。人も皆、そうかも知れない。自分を評価してくれる人に出逢えば、ますます頑張れる。だから逆に、良いところを見つけて褒める人になることだろう。抹茶茶碗に興味のある人はぜひ、我が家へ来て見て欲しい。
小ぶりの「丼」、剣山を使って生花の「花器」
究極は底に穴を開けて「鉢」、と使い道はいろいろ。
でも流石に穴は開けれませんよね。