友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

親切は快く受けなさい

2007年02月28日 18時45分49秒 | Weblog
プールに孫を迎えに行った時のことだ。
送っていった時は降っていなかった雨が土砂降りになっていた。孫ももう一人の友だちも傘を持っていない。私は車で行ったので「一緒に送っていこうか」と、そばに来た孫に聞いた。彼女は友だちのところへ行って「送っていってもいいよ」と聞いた。友だちは家に電話をかけて「迎えに来るからいい」と言ったようで、「いいわ。行こう」と言う。友だちの家は帰り道の途中にあり、以前には彼女たちの家に寄ってプールへ来たこともある。孫はその友だちを「○○イノチ」と言う。

「エッ!どうして、乗せていってあげるのに」と聞き返すと、「迷惑になると思ったんじゃーない」と孫。「どうして?帰り道なんだから何も迷惑にはならないよ」と私。「迷惑になるから私だって絶対頼まない!」と孫。「それっておかしいよ。わざわざお母さんに来てもらうよりは、一緒に乗っていった方がお母さんも助かると違うの!」と私。孫はムッとしたままもう口をきこうとはしなかった。「人の好意が受け入れられないイヤな奴だね」と私は腹の虫が納まらない。

駐車場に着くと、雨が降っている中を孫は傘もささずに走って行ってしまった。「頑固モンのクソ爺」というところだろう。その時、知り合いの男性が傘もささずに歩いてきた。彼は私より若いが脳卒中のため右手右足が不便だ。おせっかいが身のついてしまっている私は、当然のように孫の方ではなく彼の方へと歩き出し、傘を差し出した。彼は身体を大きくゆすりながら、ゆっくりゆっくりと歩く。傘は役に立たなかったのかも知れない。彼は時々挨拶する程度の私に自分の昔話をしてくれた。

 エレベーターの前で孫は私たちを待っていた。彼が孫に「ありがとう」を言う。孫の顔には車の中にいた時のようなムッとした表情は無かった。もうくどくどと言う必要はない。人が好意でやってくれようとすることを「要らん」と言うのは情けない。人は決して一人では生きていけないし、人の好意の中に幸せを感じるのではないのだろうか。人に甘えるなと母親はきつく教えているのかもしれない。学校でも他人を信用しないように言っているのかも知れない。これもイヤな世の中だ。

 人の好意を当てにばかりすることは愚かな人だ。自分がどれ程人の役に立っているかわからない人にこういう人が多い。でも大事なことは自分が人の役に立つことだろう。人のために自分を役立たせる、そういう人間が尊いことをしっかり教えるべきだ。人の親切は受けない、その代わり人にも親切にしない、こんな人間は最低な奴だと私は思う。そんな淋しい生き方を私は求めないし、子どもや孫にもして欲しくない。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 確定申告終わりました | トップ | 6年生を送る会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事