さあー、今日から新たな一歩を踏み出すぞと決意していたのに、いざとなるとまあーいいかとナマケ心が出てしまう。カレンダーを見たのがいけなかったと、理由まで上げる図々しさだ。何しろ明日は「啓蟄」である。今日はまだ、ジッとしていていいのではとの勝手な解釈だ。
俳人の夏井いつきさんの『瓢箪から人生』を読み出して、あれ、この文章、誰かと似ているなと思った。とても読みやすく、歯切れも良く、惹きつけられるからだ。自分のことや自分の周りのことを書き記しているからかも知れない。『隆明だもの』の著者、ハルノ宵子さんと同じだ。
そこで生まれた年を見てみたら、1957年生まれの同年者だった。やっぱりこのくらいの歳の人は、こういう表現をするのかと納得した。60年安保の時は幼児だが、70年安保になると中学生だから、世間を見る目も出来て来る。ましてや、ハルノ宵子さんは吉本隆明の娘で、東京住まいである。
家には絶えず誰かが訪ねて来ていたように書いているが、彼女自身は遊んでくれる人くらいにしか感じていないから面白い。ハルノ宵子さんの回想からは、ごく普通の家庭でしかない。それは、当たり前と言えばその通りだが、隆明の思想の原点はこの本からはよく分からなかった。
夏井いつきさんはテレビの『プレバト』で拝見して以来、俳句を作る厳しさを痛感していたので、『瓢箪から人生』を読めば、少しは俳句作りが上達するかと思って買って来た。しかし読んでみると、夏井さんの人生録だった。おかげで気楽に読めたし、俳句にかける思いもよく分かった。
明日か明後日に、名古屋法務局に出かけて、解散手続きの後はどうしたら良いのか教えてもらいに行こう。法務局は全く融通が利かない。国会議員に出向いてもらい、体験して欲しい。法務局なのだから厳密な方が良いと言えるけれど、もう少し親切に教えてくれてもいいのにと思う。
ところで、「プレバト」ってどういう意味なの?