偶然にも還暦を迎えた、ふたりの人と話す機会があった。60歳の頃、私は何をしていたのだろう。市長選挙に敗れ、さてどうしようかと思っていると、高校の教え子から、彼が運営しているデイサービスに来ないかと誘われた。
工業高校の別の科の生徒で、1年生の時に美術を教えたことがあっただけなのに。「資格も無いのにいいのか」と、尋ねると「居てくれればいい」と言う。利用者の人たちと一緒に体操したり、散歩したり、ほとんど何の役にも立っていなかった。
20くらい年下の女性が2人働いていて、彼女たちから見れば私は利用者のひとりの様な存在だっただろう。女性のひとりが時々駅まで送ってくれ、何時しか親しく話すようになった。駅までが、駅で待ち合わせて喫茶するようになった。
「老いらくの恋」の始まりで、彼女に会いたいために通勤するようになった。一緒に映画を観たり、私が聞きたかった講演会に誘ったりした。その日は冬の寒い日で、路面の残雪が凍り付いていた。彼女がヒョイヒョイと歩く姿がとても可笑しかった。
先日の対談の、「原稿が出来上がったので見て欲しい」というので、彼女と昼食を食べた。私は食事の後、「どこか行きましょう」と誘われると妄想していた。ラブホテルだったら、どこへ行くのかと思い巡らしていた。
彼女は「コーヒー、飲みませんか」と言う。店に入って、コーヒーを飲み、彼女のお父さんやお母さん、ダンナさんや孫の話はしたけれど、ホテルの話は出なかった。当たり前のことなのに、妄想ばかりが肥大化していて情けなかった。
もうひとりは市議で、「質問文を見て欲しい」と言う。行政の在り方や議会の存在などについても話が飛んだ。市長は行政を変えようとしている。市長の本音を聞き出し、古い議会を変えていったらいいとけしかけた。
自分たちの地位を保つことばかりの議会や行政は、変革されるべきだ。考えてみれば、市長は50代で孤軍奮闘している。改革を目指す議員ならば、市長と共闘すべきだろう。意欲に満ちた年齢が羨ましい。
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