友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

居場所のない人々

2015年08月26日 18時15分15秒 | Weblog

 寝屋川市の中学1年の女の子と男の子が殺された事件で、腑に落ちないのはなぜ子どもたちが深夜に街中を徘徊していたかということだった。中日新聞が全面を使って『孤立する子ども 居場所は?―家も学校も居ずらい―』特集をしていた。「帰りたくない」。そう言う子どもが増えているそうだ。2013年度に児童相談所が子どもたちを一時保護した件数は3万3千3百件で、10年前に比べると1万件増えていると。

 子どもたちのためのシェルターを開設しているところもあるが、「都市部では10年前から、いっぱいいっぱい」と言う。学童保育を広げて子どもを受け入れようと進めている自治体があるが、学童保育は有料なので貧しい家庭は利用も困難なようだ。いったいなぜ、家にも学校にも居場所がなく、街中を彷徨う子どもが増えたのか、記事は明確に指摘していないが、貧困が原因の1つのようだ。

 殺されたふたりの子どもはケイタイを頻繁に操作していた。殺したであろう男もフェイスブックに投稿したり、友人とやり取りしたりしている。子ども2人は泊まるところもお金もない。殺しただろう男も長く続く仕事がない。世の中はいろんな物で溢れているのに、欲しいと思う人には手に入らないし、その人が本当に必要としているものとは違う。どこかがおかしい。どこか歪んでいる。

 20代から30代の未婚の男女の4割が「恋人はいらない」と答えている。そうかと思ったら、働き盛りの30代から40代の男性の中には「帰宅恐怖症」の人がいるという。「家には自分の居場所がない」という点で、街中を彷徨う子どもと同じだ。「妻が子どもを産んでから、何かにつけて不機嫌で、家事を手伝ってもやり方が違うと叱責され、最近、正直、なるべく家にかえりたくない」とまで言う。

 いったいどうなってしまったのだろう。私の友だちは「SEXすれば仲直りできる」と言っていたが、それはひと昔前の時代になってしまったのか。大人も子どもも、居場所がなく、満たされる機会もなく、何が本当に必要なのかも分からない。なんという悲しい時代になってしまったのだろう。

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