期待していたことがそうならないことはよくあることなのに、どうして落ち込むのだろう。晴れて欲しいと思っていたのに雨降りだったり、出かけていったら休業日だったり、全く些細なことなのにガッカリしてしまう。約束していて、やる気満々だったのに、急に取りやめになったりすると、自分に何か落ち度があったのだろうかと思ったりする。中学からの友だちがジャーナリストの「むのたけじ」さんの言葉を引用していた。
「今日がなければ 明日はない」。「むのたけじ」さんは朝日新聞の記者で、新聞が戦争を煽る記事を書いてきたのに何も反省しなかったことに失望し、故郷の秋田に戻ってひとりで週刊新聞『たいまつ』を発行してきた。反骨の記者魂は地域新聞を発行してきた私には憧れの存在だった。権力と対決することこそがジャーナリズムの使命である。しかし、朝日新聞は慰安婦問題で腑抜けになってしまった。テレビは中立の名の下に主張がない。
今日は8月6日、平和公園で「広島原爆の日」記念式典が行なわれた。安倍首相がどんなあいさつをされるのかと注目した。安倍首相は「70年を迎えた今朝、私は改めて平和の尊さに思いを‥」「核兵器国と非核兵器国の協力を求めつつ、核兵器のない世界をめざしてまいります。このため、国連で核廃絶の法案を提案していきます」と述べていた。
同盟国との連携を強化し、集団的自衛権を行使しようとする国が、どうして核廃絶を提案できるのだろう。「世界で初めての被爆国である日本は、どこの国とも同盟もしないし戦火も交えない、だからまず核兵器の廃絶を提案します」と主張して欲しい。安全保障を結ぶのなら、アメリカだけでなく韓国や中国いや世界中の国と結ぶ方がいい。全ての国と戦争をしない条約を結ぶ方が日本の進む道だろう。
憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」。
何度読んでも、「戦争をしない」が国の定めなのに、自衛権は否定していないと解釈され、今度は集団的自衛権も3要素に適合すれば行使できると解釈される。言葉をこれほど軽く使うのは、言葉に重みを感じていないからだ。広島での安倍首相のあいさつが虚しく聞こえる。