友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

戦後の日本が育てたもの

2015年08月11日 19時08分24秒 | Weblog

 働くことの意味は、はた(側)をらく(楽)にすることだと先輩は言う。人が動くのではなく、人のために動くことが働くことなのだと教えてくれた。かなり屁理屈だと思うけれど、そう考えれば働くことも楽しくなる。先輩はさらに、「今の子どもたちは精神が貧しくなった」と嘆く。何をもってそう言うのか、はっきり分からなかったけれど、話を聞いているうちに、他人に対して思いやりがなく自分勝手であると言いたかったようだ。

 子どもたちが全員、わがままで思いやりに欠けるとは思わない。そういう子もいることは確かだけれど、おそらくいつの時代もそういう子はいただろう。「日本の美しい伝統的な精神をGHQが破壊した」とか、「日教組が利己的な子どもをつくった」とか、そこまで言い出すと、「それは違うと思います」と反論したくなるが、先輩の顔を立て沈黙する。先輩たちの年齢の人には結構そんな風に考える人がいる。

 GHQが日本の伝統的な精神を破壊したのは当然で、天皇制を残しながら、軍国主義を復活させないためだったが、おかげで戦後の日本人は民主主義を曲がりなりにも手に入れた。GHQは個人の尊重に重点を置いたけれど、それは戦後の日本が再出発するための必要なエネルギーとなった。資本主義の根本は個人主義であり、経済復興の原動力となって世界第2の経済国家にまで進むことが出来た。

 個人主義は残念ながら利己的な面を伴う。利己的な子どもたちをつくったのは日教組というより、戦後の経済活動の産物である。社会そのものがつくりだした。戦後社会で働いてきた私たちは、マイホーム・車・電化製品・レジャーをどん欲に求め、他人よりもよい暮らしに努めてきた。そのため物品に価値を見出し、したがって精神は荒廃した。精神的なものに目を向けてみようという提案を私も支持するけれど、日本人の怖いところはいくつもの選択肢を許さないことだ。

 いや、日本人の伝統的な精神はあいまいさで、何でも受け入れる寛容さだ。若い頃の私はそれがとても嫌だったが、年取ってみるとグダグダと右へ左へと迷いながら、少しずつ進んでいくのが人の常だと思えるようになった。そのためには、一人ひとりが自分の考えを持つことが大事、つまり個人主義の徹底が民主主義を育てると思うようになった。

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