友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

初秋の一日はとても平和だった

2022年09月21日 18時32分57秒 | Weblog

 どこへ行こうかと考え、インターネットで調べてみた。岐阜県安八郡のバラ園へは行ったことが無かったので、どんなところか見ておきたい、そんな気になっていた。しかし、カミさんは「帰りに靴と飲み物を買って来たい」と言う。

 そうなると遠くへは行けないから、前にも行ったことのある「フラワーパーク江南」がいいかと思い直し、その近くで食事が出来る店も探しておいた。台風一過、爽やかだがちょっと肌寒いくらいになり、出かけるにはちょうど良い。

 「フラワーパーク江南」はチューリップの咲く頃に来たことがある。緑の芝が広がる公園で、散歩のついでに見て回るには適当な広さだ。無料の駐車場も確保されていてありがたい。1時間もあれば充分に楽しめる。

 私の目当てはヒガンバナだったが、意外に見つからない。それでも歩いて行くと、わずかだがヒガンバナのコーナーがあった。台風の影響なのか、倒れているものもある。公園はまだまだ整備の途中のようで、ここにこんな花を咲かせてみよう、そんなことを考えていたら楽しくなった。

 岐阜県海津市の津屋川の堤防には、10万本と言われるヒガンバナが見られる。有名になりすぎて駐車場で困ったかも知れないから、今年はここでヨシとしよう。時計を見たらまだ正午前だ。決めていた食事処に電話して行く。テレビでも取り上げられたことのある天ぷら屋で、とっても美味しかったし、食後のコーヒーもうまかった。

 カミさんの言いつけ通り、靴と飲み物を買い、家に帰る。買い物に時間がかかったが、思ったよりも早く帰宅できた。平日だからか、フラワーパークは老夫婦が多かった。買い物をした店も思ったよりも客が入っていたが、女性たちが目立った。初秋の一日はとても平和だった。

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宗教は儀式化することでさらに偉大さを顕示する

2022年09月20日 17時51分37秒 | Weblog

 エリザベス女王の「国葬」をテレビで見ていて、イギリスは未だに「騎士」の国だと思った。子どもの頃、なんとかいう王がイギリスを統一する「時代劇」を観た。日本の戦国時代と同じように、それぞれの領主が群雄割拠していたが、織田信長が天下統一を成し遂げた様に、イギリス王室を築き上げていった映画だった。

 けれど、イギリス王室は清教徒革命によって廃絶されたことがある。清教徒のクロムウィルが独裁し、その圧制の為に反乱が生まれ、王政が復活した。欧州の各国は海外に進出し、植民地からの強奪が盛んになっていく。エリザベス1世の時代、イギリスの艦隊がスペインの無敵艦隊を破り、イギリス王室は飛躍的に発展していった。

 エリザベス女王の棺が葬儀の行われたウェストミンスター寺院から、ロンドン郊外のウィンザー城に運ばれたが、その役を担ったのはイギリスの礎を築いた海軍の水兵だった。きわめて用意周到に行われた「国葬」を観ていて、バカげたことだが、安部前首相の「国葬」は統一教会に司会・演出を任せたらと思ってしまった。

 アリス・マンローの小説を読んでいて、キリスト教に多くの宗派があることを知った。カトリックに対して、「聖書に戻れ」とプロテスタントが生まれたが、そのプロテスタントの中でも様々な宗派がある。仏教は日本で最も発展した訳だが、だからこそいろんな宗派が生まれた。真摯になればなるほど、いろんな解釈が生まれるのは自然なことだ。

 イギリス王室はプロテスタントとカトリックの対立を抑えるため、2派を折衷してイギリス教会を国教と定めた。エリザベス女王の葬儀はこれによって行われたが、豪華で厳粛なカトリックそのものに見えた。人心を掴むためには宗教の存在は大きい。宗教は儀式化することでさらに偉大さを顕示する。

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行事はいい口実を与えてくれる

2022年09月19日 17時51分49秒 | Weblog

 孫たちから、「パパちゃん、敬老の日おめでとう」とメールが届いた。コロナ禍で気楽に会えないが、忘れずにメールをくれる気配りが嬉しい。私は行事を大切に思い、集まって食事をしたり、みんなで出かけたりしてきた。

 娘たちはもちろん、そのダンナや孫の誕生日もカレンダーに書き込んである。誕生が無ければ出会いも無いからだ。誕生日は変わらないのでいいけれど、「敬老の日」「体育の日」「成人の日」など、昔と変わってしまったのには往生する。

 「ハッピーマンディーと言ってね、連休になるんだから、みんな都合がいいのよ」とカミさんが言う。働いている時なら嬉しいが、年金暮らしではたいして恩恵が無い。それでもこうして孫たちからメールが届くのは、「祝日」だからだろう。

 今日はエリザベス女王の「国葬」が行われる。カミさんはテレビで放映される様子を楽しみにしている。安倍前首相の「国葬」に反対する集会やデモ行進が、台風の下でも行われている。今や安倍前首相の「国葬」に反対する人の方が多くなっている。

 イギリスでも王室制度に反対する人々はいるが、反対の集会やデモは行われていないのか、行われていても報道しないのか分からないが、これは国柄の違いというより人柄の違いなのかも知れない。気がかりなのは、イギリス政府は中国の習主席に招待状を送っているのに、議会が入国を拒否していることだ。

 「弔問は外交」と言われている。政府と議会は、どんな思惑があるのだろう。みんなが誕生日を祝うように、みんなが逝去を惜しみ、悲しみに服することは出来ないのだろうか。もちろん嫌だという人に、無理やり強制することは出来ない。人は誰も、他人の心まで支配することは出来ない。

 今晩は「敬老の日」を祝って、シャンパンで乾杯しよう。行事はいい、口実を与えてくれる。

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自然に対してただ受け入れるしかない

2022年09月17日 17時54分53秒 | Weblog

 台風14号の接近に備え、「ルーフバルコニーのものを片付けておいてよ」とカミさんから指示される。鉢植えの花たちは出来るだけ集めてある。風が強ければ痛めつけられてしまうが、それは防ぎようが無い。ひっくり返った時は、鉢の運命と受け取るしかない。

 ペチュニアは今を盛りに咲き続けているが、伸びた花は風には弱い。小さな可愛い花のトレニアもどういう訳か、今年は絶えることなく咲き続けている(写真)。ペチュニアもトレニアも今年は購入しなかったから、昨年の種から発芽したものだ。

  

 2ケ所の排水口は掃除をして、水が溜まることの無いようにした。残るのは、ルーフバルコニーのガラス戸から、西陽が射し込まないようにと取り付けた天幕を、巻き上げて固定するちょっと面倒な作業だが、ひとりでなんとか成し遂げた。

 これだけ準備をしておくと、実は何事も無かったという結果になる気がする。「備えあれば憂いなし」というものの、備えることに機敏では無かったと自分を振り返る。自分から勉強する「備え」があれば、もう少し良い結果を出せただろうに、範囲の無い実力試験の方がよかったために、実力で臨めばいいと思っていた。

 実力は積み重ねから生まれると今なら分かる。だから、今のこの結果が私の実力なのだろう。9月1日から毎晩お酒をいただいている。カミさんの指導は厳しく、ワイン1本を2晩でと決められている。そんなにまで健康に備えて、何があるのかと不思議でならない。

 今日は朝から風も無く、薄曇りだったけれど、夕方になって少し風が吹いてきた。昨日の夕方は西の空が赤く輝いてきれいだった。今日は灰色の雲の覆われている。自然に対しては、ただ受け入れるしかない。災害に備えて。

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女性の時代なのかも知れない

2022年09月16日 18時05分57秒 | Weblog

 運動会が近いのか、小学校の運動場には白線が引かれ、徒競走の練習が行われている。別のクラスは鬼ごっこのようなゲームに夢中だ。そんな中で、奇妙な光景が気になった。小4か5学年と思われるが、若い男の先生を女の子が4人で取り囲んでいる。

 そう見えたが、実際は抱き着いていた。先生が何か言ったら2人は離れたが、残りの2人はさらに強くしがみついていく。2人のうちの1人は背の高い女の子で、その子も先生に言われてなのか、しがみついていた手を離した。

 残る女の子は、しがみつくというより先生の身体に、正面からピッタリと抱き着いている。両脚で先生の身体を挟み、両手は先生の首の後ろで結んでいる。授業が終わっても、この女の子は先生の腰にしがみついていた。

 「わいせつな行為」で咎められそうだけれど、先生はそのまま校舎へ引き上げていった。周りの子どもたちも騒ぎ立てることも無かった。心に傷のある子なのだろうか。だから先生は叱ったりせず、動揺する様子もなかったのか。

 ルシア・ベルリンの『すべての月、すべての年』は、19の短編から成る小説だが、一気に読める。ルシアより5歳年上のアリス・マンローの『ディア・ライフ』も14の短編を集めたものだが、ふたり共に「人にはそれぞれの人生がある」と言い切っているように思う。

 アリス・マンローは短編の女王と称賛され、ノーベル文学賞を授与されている。男性の作家で最近、凄いなと思う作家に私は出逢わないが、私が新聞で知り読んでみたいと思ったのは、結果的に女性の作家ばかりだった。

 彼女たちの何気ない日常を淡々と描写する筆使いに、知らず知らず引き込まれてしまう。小説の世界は今、女性の時代なのかも知れない。私の中学からの友だちは男性だが、彼のブログを読み、彼の周りを題材に小説を書いてみたらいいのにと余計なことを考えてしまった。

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新鮮な気持ちで会話する相手が欲しい

2022年09月15日 17時57分48秒 | Weblog

 中学からの友だちがブログに、市営駐車場で見た光景を載せていた。駐車している車を追い越した車が駐車すると女性が降りてきて、駐車している車に乗り込んでいった。運転席の男性と乗り込んだ女性の年齢はかなり差があったが、ふたりとも浮き浮きしていたとある。

 そして、「不倫カップルが行き着く先が、どんなところか、私には想像がつかない」と結んであった。10年以上前のブログには、「友達以上恋人未満」の女性と花の名所や美味しい店へ出かけた記事を載せていたし、彼がプレゼントした首飾りを着けていないと拗ねてもいた。

 キスしたこともラブホテルに行ったこともないから、「不倫カップル」では無いというのだろうか。抱きしめたいという思いがあっても、抱きしめなければ「友達以上恋人未満」の範疇なのか。だったら、駐車場で見たカップルを「不倫」と断定するのはなぜなのだろう。そもそも、既婚者に「純真な恋愛」は許されないのか。

 今朝の朝日新聞の投稿欄『ひととき』が面白かった。「先日、大通りをひとりで歩いていると、後ろから後期高齢者と思われる男性が近づいてきて、『ちょっと涼しくなってきたねぇ』と声をかけてきた。『そうですねぇ』と返すと、『そこの喫茶店で一緒にお茶を飲んでもらえないかね』。エーッ、これってナンパ?と一瞬ビックリ」。

 「今は急いでおりますので」と断ったけれど、友だちに話したら「お茶くらい付き合ってあげればよかったのに」と言われたが、78歳の投稿者は昨年他界した夫と「無性に喫茶店でおしゃべりしたかった」と結ぶ。でも私が知る限り、喫茶店にいる高齢者夫婦は会話することはなく、週刊誌を読みふけっている。やっぱり新鮮な気持ちで会話する相手が欲しいのだと思う。

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「子は親の背を見て育つ」のだから

2022年09月14日 17時45分45秒 | Weblog

 こんな小さな市でも、小学校の高学年の中には、弟や妹の面倒をみなければならない子がいる。不登校の子もいるようだが、実態は分からない。中学校ではこうした子の数はもっと多いだろう。でも、学校としては何が出来るのだろう。

 担任による家庭訪問は、まだ行われているのだろうか。一切の問題を担任だけが抱え込むには無理があるし、予算があれば専門の教師を置くことも出来るだろうが、それで「解決」とはならないだろう。運動場では子どもたちの元気な様子が見られるのに、見えない子にも光は当っているのだろうか。

 「いじめ」も深刻な問題だ。調査することが吉とも凶ともなる。クラス全員の生徒や児童に目を配り、尚且つ問題を見つけ、掘り下げる、そんなゆとりが個々の教師にあるのだろうか。教師にも個人差があるのは仕方ないし、学校によっても取り組みは違ってくる。

 今は、ほとんどの子どもたちがスマホを持っている。情報は過剰に出回っている。何が正しいのか、何がウソなのか、果たして子どもたちに判断できるのだろうか。テレビで中国の軍事力を元自衛隊の将校が分析していた。中国国民も例外なくスマホを持っているようで、軍は統制をかけることで「まとめる」だろうと言っていた。

 情報の公開は民主主義の根幹である。どんな情報であっても、統制を許さず、個人が判断できる能力を身につけることだ。ひとり親世帯への援助など、お金で解決できることは政府に早急にやらせればいい。税金は困っている人に遣われてこそ生きる。

 私たちの時代には無かった過酷なことが、子どもたちに迫っている。善悪の判断や価値観、美意識は押し付けることは出来ない。子どもたちがそれぞれに選択できるように、大人は手本を示さなくてはいけない。「子は親の背を見て育つ」のだから。

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ジッと耐え忍ぶだろう、きっと

2022年09月13日 17時51分08秒 | Weblog

 おおー、涼しい風が吹き抜けているのに、午後5時を過ぎても室温は31度もある。午前中、日陰のルーフバルコニーで作業をしていた。爽やかな風が吹いていたのに汗びっしょりになってしまった。

 居間で新聞を読んでいたカミさんは、「秋を感じるわね」と風流なことを言う。意地悪して「どこに?」と聞いてみた。「風とか、陽射しとか‥」と答える。確かに、真夏のようなムシッとした暑さは無い。それでも身体を動かすと汗がどっと出てくる。

 しかも暑いのに鼻水が出る。急いで汗で濡れた下着を脱ぎ、タオルで身体を拭き、新しい下着に替える。テレビでイギリスのエリザベス女王の棺が運ばれる様子が報じられていた。沿道ではたくさんの人々が棺の車列を見送っていた。ロンドンのウェストミンスター寺院に安置され、19日を休日とし「国葬」されるが、それまでは国民の弔問も可能という。

 岸田総理大臣は「やれやれ、間が悪い」と思っていることだろう。安部前首相が凶弾に倒れ、「国葬」を口にした時は、こんなに反対の声が多くなるとは思っていなかっただろう。「統一教会」との関係で安部前首相が深くかかわっていたことが分かってきて、「ヤブヘビ」と悔やんでいることだろう。

 イギリスの共産党も「国葬」反対とは言い出しにくい。弔意を表すことに異存はないだろう。安部前首相の場合は「国葬」の根拠が曖昧である。国家元首と首相とは位置づけが違う。しかし、岸田総理の口から撤回はあり得ない。後は昭惠夫人から「国葬辞退」を言ってもらうしかない。

 「国葬」には国民の心を一つに向かわせる働きがある。参議院選挙で勝利し、「未来を切り拓く、新しい資本主義」を謳う岸田総理には絶好の機会と見えたのだろう。インターネットに、「やぶれかぶれの岸田総理は解散・総選挙に打って出る」の記事もあったが、勝てない選挙よりもジッと耐え忍ぶだろう。きっと。

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ぜひとも頑張って欲しい

2022年09月12日 18時18分52秒 | Weblog

 残暑が厳しく、今日の名古屋の最高気温は33.3度もあった。我が家のルーフバルコニーは、午前中は陽が遮られるので、この4日間ほど作業に徹している。バラの鉢にまでペチュニアが芽を出し、花を咲かせているので植え替えている。

 そのバラは根元にアリが巣を作っているのか、元気がない。アリが原因というより、根が伸び悩んでいるのかも知れない。アジサイもそうだったが、鉢植えでは限界が来るようだ。そこで思い切ってアジサイ2鉢とバラ1鉢を無くすことにした。

 鉢から根を引き抜き、土を出し、肥料や赤玉を加えて新しい土づくりをする。腰や手が痛い。やっぱり歳なのだと思う。出来るだけ、草花だけにして樹木は処分してしまうつもりだ。こんな作業が後、何年続けられるかと思いながら。

 昨日の沖縄知事選挙で、玉城デニーさんが2期目の当選を果たした。無所属の前衆議院議員と自民公明が応援した前宜野湾市長の得票の合計よりも1万票ほど上回ったから、良い結果と言えるだろう。

 それだけ沖縄県民は、米軍普天間基地の名護市辺野古への移転に反対の強い意思を示した。玉城さんは米兵の父と伊江島出身の母の間に生まれた。けれど父親は本国に帰ってしまい、母子家庭となった。高校時代はロックに夢中になり、それが縁で琉球放送ラジオなどでパーソナリティを務めることになったという。

 沖縄市議や民主党で衆議院議員にもなったが、民主党の消費税増税方針に反対し除籍される。翁長知事の後を受けて、2018年の知事選挙で初当選。米兵の血を受けた知事に沖縄県民は同郷の思いが強いようだ。難問は山積みだが、ぜひとも頑張って欲しいと思う。

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会話が成り立たないのは寂しい

2022年09月11日 17時16分09秒 | Weblog

 小学校の運動場から子どもたちの元気な声が聞こえるようになった。9月に入り、少年野球やサッカーのクラブチームも活動を始めた。コーチの大きな声が飛び、子どもたちが揃って「いいぞ、いいぞ」「ワッショイ、ワッショイ」と声を上げている。

 『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(石井光太 文芸春秋)を書店で見て買ってきた。今日の中日新聞の書評欄にも取り上げられていた。「若い世代の活字離れを憂う言説をよく耳にする。しかし、現在の日本が直面しているのは、そんななまやさしいレベルの事態ではないのだ、と本書は告げる」と。

 確かに、序章の授業風景を読んでビックリした。愛知が生んだ童話作家、新美南吉の『ごんぎつね』を読み、班ごとに話し合うどこの学校でも行っている授業である。兵十の家で母親の葬儀が行われている場面についての意見交換が凄い。「死んだお母さんをお鍋に入れて消毒しているところです」「死んだ人は燃やす代わりにお湯で煮て骨にしていたんだと思います」「死体をそのままにしたらばい菌とかすごいから、煮て骨にして土に埋めたのだと思います」。

 子どもたちは真面目にそう考えて答えている。今の子どもたちは、葬儀に立ち会ったことが無いし、会館で行う葬儀しか知らないだろう。私の子どもの頃までは、葬式は家で行った。ご近所さんが総出で手伝いに来て、料理を作ってくれた。鍋で煮るものはその料理なのだが、見たことが無ければそういう発想が生まれてくるのかも知れない。

 スマホで見るアニメは問答無用に殺してしまう。文字を追えば想像力が必要だが、映像は想像することを妨げる。子どもたちは「エグい」とか「ラグい」とか、英語なのか日本語なのか分からない言葉を使う。中学生の孫娘の発する言葉もよく分からない。聞き直せば、「ウザ」とそっぽを向かれてしまう。会話が成り立たないのは寂しい。

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