友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

彼女にそれを告げなかった

2023年04月09日 17時49分58秒 | Weblog

 「いい夫婦 今じゃどうでも いい夫婦」。「ゴミ出し日 捨てに行かねば 捨てられる」。「なんだっけ?取りに来たのに また戻る」。「離さない!10年経つと 話さない」。「僕の嫁 国産なのに 毒がある」。

 サラリーマン川柳は毒があるけど面白い。きっと誰もが経験したことが歌われているからだろう。今朝の朝日新聞に掲載された短歌にも心惹かれた。「ミモザ咲きマスクの下の君の顔 みつめられずにまたクラス替え」。「『卒業の前に好きっていうつもり』 決死のメモがまわる3組」。

 この2つの短歌は若い人が作ったような気がする。マスク生活が続く学校、春になってマスクを外してもいいと言われたけれど、素顔の君を見られなかった悔しさがよく分かる。次の歌は、卒業までに好きだと言うつもりだったのに、決意のメモがクラス中に回ってしまったようだ。

 3組には縁がある。私は中学校も高校も、卒業した時は3組だった。しかも中学1年で同じクラスになり、高校3年も同じクラスだった初恋の人と思い込んでいた女性から卒業間際に、「あなたが好きなのは、あなたが描いた私なのよ」と言い放された。

 ふたりで一緒にいて、話したことがほとんどなかった。話し合うことがどんなに大切だったのか、今なら分かるが10代の時は、好きだと思っていれば「結ばれる」と思い込んでいた。本当はふたりで一緒にいたかったのに、「不良」扱いされることを恐れていたかも知れない。

 「誰のための校則なんですか」とか、「文化祭に図書館も入れましょう」とか、主張していたのに、「なぜ、恋することがいけないんですか」とは言えなかった。文芸部の機関誌に、夜の川堤で咲く月見草の美しさを、誰も知らないが僕は知っている、そんな詩を書いたけれど、彼女にそれを告げなかった。

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これは政治の歪みではないか

2023年04月08日 17時40分56秒 | Weblog

 県議選も今日が最後なので、街宣車が頻繁にやって来る。最後の日は、候補者が最後まで演説して回って欲しいと思うが、候補者の中にはウグイス嬢にマイクを持たせて、自分は手を振るばかりの人もいる。きっとこの人は落ちるだろう。

 市議や県議の選挙で、「実現する公約」を訴える候補がいるが、「あなたひとりでは実現しませんよ」と思ってしまう。首長選挙なら、「当選したらこれを行います」と「公約」することはあるし、具体的な公約を掲げない候補には票が集まらない。

 首長は議会に条例を提案できるから、自分が実現したい政策を議員に賛同してくれるように話す。首長の権限は大きく、賛同議員を多く得れば、自分の目指す「街つくり」が出来る。議員も議員提案で条例を提出できるけれど、ひとりでは提案も出来ないし、賛成多数を得なければ条例にならない。

 首長と議員は、権限も役割も大きく違う。地方議会は身近であるはずなのに、投票率がかなり低いのは、有権者が身近と感じられないからだろう。これは議員の日頃の活動が見えないことに原因があるように思う。

 岸田内閣は軍備費を本年度から5年間で43兆円にするという。「何にいくら使うのか」と問われると、「軍事機密なので詳しいことは申し上げられない」と言う。異次元の少子化対策として打ち出された「家庭子ども庁」も、予算規模や具体的な内容は「これからしっかり検討していく」と言う。

 具体的な政策の中身が曖昧模糊としているのに、どうして真剣な論議が出来るのか、全く不思議な国だと思う。政府も県や市も、日本の有権者はフランスのように、怒って抗議デモをしないことをいいことに国民を舐めている。「街つくり」に有権者は目を向けるべきだ。

 戦争がなくて、なんとなく毎日食べられて、暮らしている現状に、私たちは甘んじているが、祖父母や親を世話するヤングケアラーが増えているし、自殺する人も多い。これは政治の歪みではないだろうか。

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今日は朝から嵐のような日

2023年04月07日 17時43分22秒 | Weblog

 2歳半の曾孫は会う度に成長しているが、身体は相変わらず大きくない。けれど、だんだん自我が成長してきて、好き嫌いがはっきりしてきた。白いご飯は大好きでパクパク食べるのに、おかずは食べるものと全く口にしないものがある。

 曾孫の母親である私の孫娘は、そんな息子と上手に付き合っている。いや、失礼、上手に育てていると言うべきだろう。きつく叱ることもなく、こまめに世話をする母親役に徹している。どうしてこんなに円満な性格の女性に育ったんだろう。

 「3歳までが大事」とか「3歳までに決まる」とか、世間は3歳までの育て方を重要視するが、本当の子育ては子どもが自分を意識し始める小学3・4年生からではないかと私は思う。3歳までは性格とか情緒とかに関わるが、それも自分次第で変えられる。

 長女のところで飼っていた、3匹の猫の最後の1匹が亡くなった。15年飼っていたというから、かなり長寿だ。長女は悲しみで、「仕事も手につかない」と言っているようだ。看護師がそんなことでは、患者が不安になってしまうのに。

 我が家はマンションだから犬・猫は飼えないが、長女が友だちからもらってきたセキセイインコを飼っていた。部屋の中で放し飼いにしてあったが、玄関ドアを開ける音を聞きつけて迎えに来てくれた。手乗りなのに、私の頭に乗る、人懐っこい鳥だった。

 セキセイインコの「ハッピー」が亡くなった時、娘たちは大泣きだった。亡骸を箱に収め、霧ヶ峰高原に埋葬した。生まれたものはいつか死ぬ。「ハッピー」は我が家にもらわれてきて、みんなから「ハッピー」と可愛がられた。

 私は教え子から「先生、大丈夫?」と身体のことを心配してもらい、教員冥利に尽きる。まだまだ元気だから困ったもので、いつでも旅立てる覚悟なのに、身の周りは乱雑で整理が行き届いていない。みんなにありがとうと言いながら、パソコンに向かっている。今日は朝から嵐のような日。

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頭までも疲れたのかフラフラする

2023年04月06日 17時11分29秒 | Weblog

 久しぶりに電車に乗った。昼間だったから混み合ってはいなかったが、皆さん春らしい服装になっていた。けれど、マスクを外している人は、電車の中はもちろん、街中を歩く人も見当たらなかった。まだ自分から率先して外すことは出来ない雰囲気だ。

 今日は入学式があったのか、新しい制服姿の子によく出会った。親子連れで、母親と一緒のようだ。高校生の女の子は短いスカートをはき、素足を誇らしげに見せていた。高校生ばかりか、大人の女性たちも素足の人が目についた。

 日赤病院は相変わらず込み合っていた。診察室の前で名前を呼ばれるまで、持ってきた本を読みながら待つ。私の診察予約時間は12時半から13時となっていたが、丁度中間の45分過ぎに名前が呼ばれた。

 先生が「お身体の具合はどうですか?」と聞くので、「いたって順調です。血圧も140から150で安定しています。血圧を下げる薬は手術以来飲んでいませんが、飲まなくても構いませんか」と尋ねた。

 「血圧が高いのは脳梗塞や脳血栓が心配ですが、治療を続けるか否かはご本人の生き方の問題なので、なんとも言えません」とおっしゃる。「私としては充分に生きてきたので、何があろうとも受け入れる覚悟です」と言うと、「娘さんは納得されていますか?」と聞く。

 娘はこの病院で働いていて、先生とは懇意のようなので、「パパならそう言いそうと、笑っていると思います」と答えた。「それでは治療はこれで終了としますか?」と先生が言われるので、「はい、そうしてください」と頭を下げた。

 延命治療は行わず、後は死亡診断書を書いてくれる医師を見つけるだけだ。この街に新しくできたクリニックに行って、相談して来ようかと思う。久しぶりに街に出たからか、歩く必要のない道を歩いたからか、曲がらない左脚が疲れた。頭までも疲れたのかフラフラする。

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新聞の役割はまだあるのに

2023年04月05日 17時42分11秒 | Weblog

 車の12ケ月点検のために出かけた。1時間ほどで完了するというので、近くの喫茶店で待つことにした。友だちが「年金喫茶」と呼ぶだけあって、客は年寄りが多い。4人の高齢の女性グループは、おしゃべりが盛んだったが他は静かだった。

 ひとりで来ている男性の年寄りが多く、そんな人は家では読めないような、裸のグラビア週刊誌を眺めている。私もひとりなので、そんな週刊誌を探して来たが、ウエイトレスがコーヒーを運んでくると気が引けて閉じてしまう。

 12ケ月点検が終わり、書店に行くつもりだったが、天候が心配になり急いで帰宅した。ルーフバルコニーに、鉢から出した土が山積みのままになっている。雨が降ってくる前に片づけてしまいたい。そんなに律儀に頑張る必要はないと思いながら、またもや張り切ってしまった。

 今朝の朝日新聞の1面に、「購読料改定のお願い」が載っていた。そして、「愛知、岐阜、三重の3県では夕刊を休止します」とあった。朝日新聞の集金に来る女性は、夕刊の配達と集金を担当しているが、「集金だけではお金にならない」と嘆いていた。

 私は夕刊に興味を感じていなかったので、朝日も中日も朝刊しか取っていない。夕刊に魅力を感じない人が多いのか、朝刊しか購読しない人が多いという。それに、新聞を取らない世代が増えているようだ。

 何でもスマホで調べられるから、新聞は不要になってきたのだろうか。娘たちの家も結婚した孫の家も、新聞は購読していない。ニュースよりも新聞に掲載されている特集記事が、新聞社の個性が出ていて面白いと思うのに、残念な時代になってしまった。

 新聞の取扱店では、折り込みのチラシが少なくなったと嘆いていた。いつか新聞そのものがなくなるのだろうか。軽井沢へ行った時、喫茶店に地域の新聞が置かれていた。随分丁寧な新聞だったので、思わずいただいてきた。読み物である新聞の役割はまだあると、新聞好きの私は思う。

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書棚を探しても見当たらない

2023年04月04日 17時56分49秒 | Weblog

 南のベランダに出て、カミさんが育てているハーブのローズマリーを見ていたら、上の方に何かいる。近づいてもピクリともしない。けっこう大きいバッタがローズマリーにしがみついていた(写真)。

 カミさんに話すと、「昨日からいる。動いてもいない」と教えてくれた。携帯電話を近づけて写真を撮ったが、全く動じる気配もなかった。地上30メートルはある我が家のベランダに、どうやって辿り着いたのだろう。

 昼からもう一度見に行ったが、既にどこにもいなかった。春になって、ルーフバルコニーの植木鉢の上を花の蜜を求めて、チョウやハチが飛び回るようになった。しかし、バッタの姿を見ることは出来なかった。

 こんな地上から離れたところでも、バッタを見かけることはあったが、春のこの時期は初めてだ。バッタもチョウもハチも、交尾の相手がいなければ子孫を残すことは出来ない。たまたま、花の蜜を求めてやって来ただけで、交尾の相手を求めに来た訳では無いのかも知れない。

 虫の好きな友だちがいるが、私は小さな時から花の方が好きだった。見かけない花を見つけると、「あれはなんという花?」と父に聞いていた。父は校長だったので、学校に出入りする本屋から植物図鑑を買い、「これで調べてみるといい」と渡してくれた。

 NHKの朝ドラの主人公、牧野富太郎監修の『植物図鑑』だった。牧野富太郎氏がどんな人だったかは知らないが、「この人が一番植物のことを知っている」と父が言っていたので、名前だけはよく覚えている。

 でも、学習百科事典ほど見ることは無かった。学習百科事典は知らないことがいっぱい載っていて、絵や写真も多く、見ているだけで楽しかった。牧野富太郎氏の『植物図鑑』は結婚するまで持っていたはずだが、今、書棚を探しても見当たらない。

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「思ったことを発言しなければ、世の中は変わらない」

2023年04月03日 18時14分42秒 | Weblog

 相変わらずルーフバルコニーで、植木鉢から土を取り出す作業をしていた。天気が良く風もそんなに無かったので、マンションの北の棟では布団やシーツが干されていた。午後になって、少し風が吹くようになった。そして、急に強い風が吹いた時、干してあった布団が1枚、風に煽られて宙に舞い上がった。

 幸い、1階の出入り口を被おう屋根の上に落ち、管理事務所の人が屋根から拾い上げてくれた。管理事務所はマンションの維持管理と、住民の願いに応えてくれる、小さな役所の役割を果たしている。自治会は管理事務所を統括して、住民の要望や苦情を聴き取り、適切に処置してくれている。

 自治会長はいわば首長で、議会に当たる議員は12世帯で1組の組長が担当する。組長は毎年、輪番制で担当し自治会の役員は組長の中から選出する。この方式を考えたのは、このマンションが出来た当初の人々で、当時としては大学出のエリートたちで、60年安保の体験者だった。

 今、この地域は県会議員選挙の真っ只中にある。少し地域が広いだけに、市議選のような密着度が無い。市議ならば、地道に地域を回り、有権者と話す機会がある。県議選は市議が持っている票頼みのところがある。県議も市議もその課題から、政党に左右されることは無いはずだが、どういう訳か縦割りになっている。

 今朝の中日新聞に良い企画があった。『地方議会を再生するには?』というタイトルで3人の方の発言が載っていた。地方議員を経験した2人の発言が的を射ていた。「議員同士が政策について議論しない」「首長に対峙する存在は、議員ではなく議会です。だから、議会の合意形成が重要になります」(元川崎市議)。

 「議員同士が自由闊達な討論を重ね、学び合うべきなんです」「意見を言う場と機会さえあれば、積極的に声をあげてくれる住民はいる」と、「政策サポーター」と「議会だよりモニター」を設けた(元長野県飯綱町議長)。議会の情報公開や住民参加が議会改革となる例である。

 首長の持つ権限は大きいのに、議員は勉強もせず、従って議論もせず、手を上げているのが地方議会の現実だ。「思ったことを発言しなければ、世の中は変わらない」と、非戦・脱原発を訴え、環境保護に尽力した世界的な音楽家の坂本龍一さんが亡くなった。

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別々に行動する余裕が無いのが現実

2023年04月02日 17時45分47秒 | Weblog

 今朝、植木鉢を大中小合わせて12個、土を4袋、持って、友だちのところへ行って来た。部屋からエレベーターまで運び、1階に降りてから駐車場の車まで運ぶ。1度に2袋あるいは2個が運べる限界なので、往復を繰り返すうちヘトヘトになってしまった。

 ペースメーカーを施術された人は、急に重い物を持つのはよくないと言われているから、ゆっくり動いたつもりでいたが、それでも体力が無くなっていると痛感した。植木鉢はきれいに水洗いしておいたので、「いい鉢じゃーない」と喜んでもらえて良かった。

 家に上がってコーヒーをいただく。よもやま話に花が咲く。友だち夫婦は共に、百歳近い親族がいる長寿の家系である。私はもうすぐ79歳になるが、マンションには私より歳上の人が何人もいる。夫婦ともに元気な人もいれば、片方が具合が悪い家庭もある。

 思わず笑ってしまったのは、ふたりとも元気なのに口を利かない、家庭内別居のケースだ。「歳を取ると、頑固になるのよね。それでケンカにならないように、話しかけないみたい」と言う。我が家でも、友だちの家でも、「そこにあったでしょう」と「いや、無い」とで、言い合っている。

 どうも都合の悪いことは相手のせいにしてしまうようだ。我が家で揉めるのは、「今晩は何にする」とカミさんが聞いてくれるので、「ワインがいいね」と答えると、「飲み過ぎるからダメ。焼酎の水割りにしなさい。7対3の割合でなければ健康に悪いからね」と厳しい。

 それなら初めからそれを用意してくれればいいのにと思うが、ここで逆らえば険悪になってしまうので、「はい、はい」と答えている。いくら長い年月を共に過ごしてきても、好き嫌いや価値観のようなものは一致することは無い。

 友だち夫婦はイヌを連れて、桜並木の五条川を散歩して来たとスマホの写真を見せてくれた。私たちも出かける時はいつも一緒だから、マンションの知人が「仲良しね」と冷やかす。年老いた夫婦は、別々に行動する余裕が無いのが現実なのだ。

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人生の終末をいきるとは‥

2023年04月01日 17時31分37秒 | Weblog

 選抜高校野球大会は山梨学院が優勝した。3回に報徳学園が2点リードした時は、やっぱり報徳の優勝かと思った。1回、2回を無安打で山梨の投手は抑えて来たのに、ボーグで1点入り、やっぱり緊張しているようだった。

 ところが5回に、山梨の猛打が爆発し一挙に7点をあげた。それでも「逆転の報徳」のことだから分からないと思っていると、8回に報徳は1点をあげ、これで逆転劇の始まりかと思わせたのに、最後まで投げ抜いた山梨の投手に抑えられた。

 山梨県勢初の快挙に球場も、山梨県の人々も大喜びだ。WBC効果がここにも表れているようだ。最近の高校野球は県対抗とは言えないと批判する人がいる。強豪校に県外からも選手が集まり、県対抗と言うよりも強豪校対決の様相が強い。

 甲子園で活躍すれば、プロ野球選手になれる、そんな夢を子どもたちは見ている。それでいいのではないかと私は思う。プロで食べていけるスポーツは、野球とサッカーくらいだろう。憧れを持って何が悪いのだろう。

 私はルーフバルコニーのあるマンション部屋を譲り受け、映画で見た、花が咲く誇る屋上庭園を造ろうと思った。少しずつ植木鉢を増やし、中には直径50センチ、高さも45センチある大きな鉢が5個もある。

 マンションの修繕工事のため、ルーフバルコニーに物が置いておけなくなり、鉢を減らす作業をしている。カミさんが近くに住む友だちに、「植木鉢、要らない?」と聞いてくれた。「家の前に置いておけば、欲しい人が持って行くわよ」と言ってくれた。

 明日の朝、彼女のところに鉢と土を運ぶ。コロナ禍でしばらく会わなかったが、元気な様子だ。もう私は、子どもたちのように夢を追いかけることは出来ない。ささやかな憧れも封じて生きている。人生の終末をいきるとはこういうことかと思う。

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