車の12ケ月点検のために出かけた。1時間ほどで完了するというので、近くの喫茶店で待つことにした。友だちが「年金喫茶」と呼ぶだけあって、客は年寄りが多い。4人の高齢の女性グループは、おしゃべりが盛んだったが他は静かだった。
ひとりで来ている男性の年寄りが多く、そんな人は家では読めないような、裸のグラビア週刊誌を眺めている。私もひとりなので、そんな週刊誌を探して来たが、ウエイトレスがコーヒーを運んでくると気が引けて閉じてしまう。
12ケ月点検が終わり、書店に行くつもりだったが、天候が心配になり急いで帰宅した。ルーフバルコニーに、鉢から出した土が山積みのままになっている。雨が降ってくる前に片づけてしまいたい。そんなに律儀に頑張る必要はないと思いながら、またもや張り切ってしまった。
今朝の朝日新聞の1面に、「購読料改定のお願い」が載っていた。そして、「愛知、岐阜、三重の3県では夕刊を休止します」とあった。朝日新聞の集金に来る女性は、夕刊の配達と集金を担当しているが、「集金だけではお金にならない」と嘆いていた。
私は夕刊に興味を感じていなかったので、朝日も中日も朝刊しか取っていない。夕刊に魅力を感じない人が多いのか、朝刊しか購読しない人が多いという。それに、新聞を取らない世代が増えているようだ。
何でもスマホで調べられるから、新聞は不要になってきたのだろうか。娘たちの家も結婚した孫の家も、新聞は購読していない。ニュースよりも新聞に掲載されている特集記事が、新聞社の個性が出ていて面白いと思うのに、残念な時代になってしまった。
新聞の取扱店では、折り込みのチラシが少なくなったと嘆いていた。いつか新聞そのものがなくなるのだろうか。軽井沢へ行った時、喫茶店に地域の新聞が置かれていた。随分丁寧な新聞だったので、思わずいただいてきた。読み物である新聞の役割はまだあると、新聞好きの私は思う。